保証とは、、

今回のコロナ問題で多くの国民が不安を感じている。

生命の危険、そして経済的危険

どちらも目に見えぬ危険で、驚きから不安へ、そして不安から怒へ、怒りから恐怖、狂気へ変換していく。

目に見えぬものとの戦いに勝つには、自分自身に打ち勝つのが手立ての一つでもある。

ウィルスの問題は専門家に期待するしか出来ない。全身性血管炎症が起きている事もわかってきており、ただの肺炎ではない環境もわかってきた。徐々にだが懸命な日々の努力にて徐々にウィルスの実体が明らかになっていくだろう。

一方で経済的不安。これは応急処置としては「支給」しかないと思うが、保証制度が十分に整備されて来ていなかった問題が溢れ出している。それは日本が忘れていたわけでも、蔑ろにして来たわけではないと思う。非常に厄介な問題であるからである。

税金もしかり、数%増の税金がダメと騒ぐなら、こう言った場合の保証準備はある程度個人で管理してくださいと述べるべきだった。国も企業も資金が余っているわけではなく、普段の活動で「お金」を生み出して「分配」している。

今回のウィルス問題だけはなく、経済危機、戦争危機、様々な危機が今後も起きる事は確かである。いい加減「保証」制度をキチンと再整備する事が急務と思う。それには国民の理解と協力は避けられない。今経済界ではAiなどの台頭で産業革命が起きている。今後人間が労働する機会が大きく減っていくだろうと予想されている。コロナ以上に企業は人員削減、自動化、を進め、職を失う人数は増えていく。順番は「保証」制度が整備されていない弱い立場から苦境へ追い込まれていく。

こう言った社会保障を進めて行く時「働かざるもの食うべからず」の思考では前に進まない。稼げるものが稼いで、稼げない者達に分配する思考で進めなければいけない。今の日本に、今の国民にその気概があるだろうか?マスクでさえ奪い合い。それが「お金」となったら「稼いだ俺の分であり、なんで稼がない奴に分け与えなければいけないんだ」と保証制度は既知として進まない気がする。

恐らくこれからウィルスが治ったとしても、補償問題はしばらくのあいだ議論され続けるだろう。今日、職を失った者、これから職を失う者、一層収入を減らしていく者達が年々増えていくはず。

10万円支給がドウノコウノト文句を言うばかりじゃなく、どうすれば良いのか?自分たちは何ができるのか?何を見直していくべきなのか?一人一人が意識改革を行い、みんなで国を変えていく、みんなで保証精度を構築していくとならない限り今回のウィル問題で犠牲になった人たちは、報われる事もなければ救われる事もないだろう。

救われなかったもの達は、一層「自分だけは」「世間は助けちゃくれない」と心を閉じていくのみ。そんな思考の人間がどんなに集まっても、どんなに稼いでも、どんなに賢くなっても、良い世の中が構築されるわけもなく、愚かな議論を繰り返すのみ。

保証とは「稼げる人達が稼げない人達に分配する事」

そして分配を受けるものたちは、基本対等な分配を望むものである。「10稼いで1分け与えてやった、文句を言うな」では成り立たない。10稼いで5を分け与えるくらいの気概がないと、保証制度は構築されないのである。国が悪い、政府が悪い、企業が悪いではない。貴方自身にその気概を持って「保証制度」を構築していこう!と言う気持ちがあるかどうかなのである。

今、10万円支給に文句を述べている者達のセリフには、そこを理解し「みんなで変えて行こう、みんなで支え合って行こう」と思考が全く見えない。他人を非難して俺の方ができる、俺の方が正しいと騒いでいるだけ。それにくっついてこっちだ、あっちだと右往左往しても何ら意味は無さない。

ロスト20年、30年と言われたこの時間で、日本人が失ったものは本当に大きく、今後取り戻すにはあまりに重症化している。

経済保証の問題は、国でも政府でも企業でもない。先ずは貴方自身が、何ができるのか?何をすべきか?得た利益を他人と等分できる精神を持ち得ているのか?そう言ったところが問題の根源である事を認識した方が良い。

今回ウィルス問題で、患者を救うため、ウィルスを解明するため、生活インフラを止めないために、自分の命の危険さえ顧みず行動を起こし、感染しているもの達が世界には沢山いる。それこそが「支え合う」「保証制度」なのである。