BLM
日本ではピンとこないだろうが、全米で暴動を起こしている人種差別問題。この問題は非常に厄介だ。
誰もが差別意識は持っているものだし、好き嫌いもある。恐怖心もあれば防衛本能もある。異質なものや思考の違うタイプを嫌悪する気持ちは誰にでもある。
日本の場合はネット上の「誹謗中傷」問題がある。
人種絡みの嫌悪ではないが、他人を排除しようとする心理面では同じ問題だ。
人間は神ではない。
誰にでも両手広げて善人にはなれない。
嫌なものは嫌、気持ち悪いものは気持ち悪い、そう感じることは人間として普通の事であり、自然現象であろう。その当たり前の感情を否定する方向で動くと、さらなる問題が生じる。人間は動物であり、自然体で生きる事も大事な事である。
感情を押し殺すのではなく、お互い好き嫌いはある、相性が合う合わないもある、と言う事を認知し合う事だ。私はこれは嫌い、僕はこれが苦手、アジア人は親近感があるけど、白人は身構えてしまう、そう言った事を「狂気」「暴力」で表現するのではなく、そう言った感情がある事を柔和に伝え、伝えられた側も相手を尊重してあげる事が大事と思う。嫌いになる、どうしても嫌なタイプと感じる事を否定して、善人のようにならねば「悪」とハジいてしまうと「狂気の正義」へと化していく。
誰しも「嫌われる」事は嬉しくないが、感情の問題だ。人間が人間である以上感情は生まれる。
誹謗中傷も、人種差別も、様々な差別問題は、お互いに主張し合い、衝突を生み出す事にある。衝突を生み出す土台に、人間には愛情があるためだ。差別された側は「可哀想」「悲しい」と言う原点から「正義」が顔をだし「正統性」を主張する。特に弱者保護となると「愛情」は大活躍する。
差別する側も多くの場合「恐怖心」から「防衛」が働き「自己愛」が顔を出してくる。愛情と愛情のぶつかり合い。
故に「感情」感じる事を否定すれば、人間は人間でなくなる。嫌いなもんは嫌い、相性が合わないものは合わない、怖いもんは怖いと感じる事は止めてはいけない。
大事なことは、その感情を「どう表現していくのか?」である。
愛情や正義で押しつててはいけない。
感情は理屈じゃない。自分を好いてくれる人にタイプじゃないなぁと思う事は止められない。問題はどう相手に理解してもらうのか。どう相手の気持ちを尊重していけるのかである。
伝え方、尊重の仕方、そう言った事を知らない人間が増えていることが問題なんだ。問題を履き違えてはいけない。道徳に縛られ感情を押し殺してもいけない。伝え方、尊重の仕方なんだ。
一方で、、、今回の暴動の背景には、文化の違いもある。
日本は「沈黙は得」
世界は「沈黙は罪」
この背景の違いも理解した方がいい。
主張していくことがお互いの理解を深める文化と、主張をしないで読み取ることで理解を深める社会の違い。この違いは恐らく未来永劫変わらないだろう。
日本と世界は本当に相違点がある。
伝え方、尊重の仕方、、
つまり、主張の仕方と空気の読み取り方とも言える。
一方では「主張」をキチンと明確に伝える
一方では相手の気持ちを「読み取り」理解し尊重する
この両面がキチンとできていれば大きな問題にはならない。
人間は感情を持つ動物である。
人間は伝えねば理解してもらえない
人間は読み解く力も持ち尊重せねばいけない
これらの調和を一人一人が保ち、自己管理を行うことである。