やはり問題あり

最近学校などの指導者の暴力、暴言問題が日に日にとあり挙げられている。多くの人達の感想は、暴力暴言が悪、色んな個性の子供達一人ひとりに合わせて指導すべき、と言う意見が大半を占めている。

例えば、暴力と言っても4、5歳の子を大の大人が真面に平手打ちなどしたら大怪我をする訳だから、それは傷害罪に当たると思うが、インターハイや甲子園を目指す「勝つ為の集団」にいる高校生が、多少殴られた蹴られた程度で弱音を吐く程度なら初めから「勝つ為の集団」に入らなければ良い。

日本がすべき事は、体罰=暴力=悪で排除することではないと思う。

例えばだが、クラブ活動をする

①地面にしがみついても勝つ、プロになるコース

②プロは目指すが、焦らず楽しむ事から成長したいコース

③プロなどと明確なゴールはないが、取り敢えず打ち込みたい

④単なる余興レベル

などとその集団や目的のあり方を細分化し、存在の多様性を認めるべきだろう。

昨今、弱さ、出来ない、弱者の立場になってやる事の一色で、基準値が低下している。骨が折れようが、多少怪我しようが、それでもやるんだと強い精神を持って「勝つ」と言う事に執着する人間もいるんだよ。

その集団に別の価値観の「苦痛じゃなくエンジョイすべき」と言う人間が入ってくれば調和は乱れる。

意識が違う、目的も違う、生き方も違う。一方だけが正しいという事はない。

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日本は余りに画一的過ぎる。多様性をもう少し考え直したほうが良い。それでもきっと日本式の多様性になるはずだから。

性別問題も然り、男の子だから多少雑に扱い転んでも「その程度で泣くな」と怒り、女の子だから「大丈夫痛かった?」と庇うのは差別と言うが、人間は人間として育てないと人間にならないと言う事実を認識しているだろうか?

人間は人間として育てないと人間にならないが、犬は放って置いても犬にしか育たない。動物は誰がどの様に扱おうが、その動物にしか育たないが、人間だけが人間として育てないと人間にならない。戦士は戦士として教育されているのである。

男の子に「その程度で泣くな」と言う厳しい言動は、男として育てる為なんです。差別でも何でもない。女の子は女ことして育てないと、女性らしくはならないと言う側面があると言う点を認識しなければいけない。

では、サラで生まれてくる生物学的「男の子」、この子が男になりたいかどうかは、親が決めるべきじゃない、ニュートラルに育てて大きくなったら自分で性を選ぶべき、と言う考えはどうなるのか?それはニュートラルに育てるので中性的な人間になる可能性が高いでしょう。当然男っぽい女性、女っぽい男性が増えていくでしょう。

では人間として生まれ落ちた子が、人間になりたいと本当にその子は思っているのか?

誰が証明出来ましょうか?

ならば、貴方はあくまで、生まれ落ちた子の自主性に任せると言うのでれば、人間としてではなく動物としてのニュートラルにすべきでしょう。そう考えた時、それは極端すぎると言うのであれば、男の子として意識的に育てると言う思考も否定は出来ないでしょう。産んだ瞬間貴方は人間として育てると親の意思決定で、その子を育てている。男は男らしく、女は女らしくと言う思考も基本は一緒の判断基準である。

ニュートラルに育てたい、いや男女別に、厳しく、優しく、厳格に、友達の様に、様々な育て方があり、それは全て親の思い、勝手な期待で決定している事には変わりはない。

教育、指導のあり方も然り、優しく楽しくもあり、厳しくもあり、色んなあり方があるべきであり、焦点はどこを目指すのか?どの様になりたいのか?に大きく影響されるでしょう。

多少の体罰はやむを得ない、それより強い精神、強い肉体と勝つと言う経験をさせてあげたい、だから先生うちの子は多少殴ろうが蹴ろうが、厳しく指導してください。インターハイで勝ちたいと本人も望んでいます。甲子園で勝たせたいんです。と言う親御さんと、厳しさの中這い上がって勝つと言う経験をしてきた指導者が「勝つ為の強い集団」、組織を作るのであれば、なんら問題はない。

別の思考の「楽しむ事からはじめよう」と言う思考の方々も、その目的と方向性に合った集団を作れば良い。今はまるで勝つ為の強気集団、戦士を育てる様な厳しいく荒い指導が悪として消され始めている。それでは勝てる訳もない。皆んなが一辺倒りの価値観になれば、国は崩壊する。国際社会でも負け、近隣諸国からも負け、大人しい従順な民族、国家に成るしか道はなくなる。世界は様々な民族がいて、様々な思考、価値観がある。道徳だけでは事は済まない。愛情だけでも事は済まない現実がそこにある。負けられない側面は絶対に出てきます。勝つ事だけが全てではないが、負けられない時もあるのも事実。価値観の画一化が怖いのは、そう言った現実に対応できなくなる「机上の理論」だけの危険をはらんでいるからです。肉体的に強い者、精神的に強い者、発想的に強い者、先発型、後発型、守備に強い者、色んな奴が共存できる環境得でなければいけない。

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これから学校も少子化で経営が困難になるでしょう。

学校側も自分たちの学校方針を明確にして、教育現場が率先して多様性のある環境を整えていく事も重要なのではないでしょうか?

我が校の経営理念は「強い精神、強い肉体、勝つ事とはどう言うことかを徹底して教育し、大人になってもへこたれない社会人になって頂くことを理念としている」

我が校は「人生は苦痛ではなく楽しい事だと教えたい。勉強もスポーツも楽しくチャレンジし結果に囚われずチャレンジ精神をモットーにそだて、将来、労働を楽しめる社会人になって頂きたい」

我が校は「学力のみ集中致します。知能の開発、発育こそが人間形成にとって最も重要なファクターと信じ、その理念に沿った教育を致します」

我が校は「文武両道、その調和に重きを置きます。強いだけではなく、人の弱さも認められる様な、知能だけでもなく、人様の感情を理解してあげられる様な調和の取れた指導を目指し、将来は叡智と感情両面の幅と奥行きの深い社会人になって頂きたい」

などと学校毎に大きく理念の違いがあり、そして批判し合うのではなく、お互いを尊重し且つ自分たちが考えるベストの道を進める様に環境を整えていく。それが指導者達の責任であり、やるべき事と思う。学校の本文は「営利目的」では無いはずです。現実問題資金は要します。それでも本文は見失ってはいけないでしょう。考えるべきを考えて、教師とは何か?指導とは何か?教育現場とは何か?真剣に教育現場及び教育人としての責任や義務をもう一度考え直して欲しいものです。

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指導者達が親御さん達に、多様性とは何か?人生の幸福とは何か?教育とは何かを伝えていかなければ、誰がつたえるのか?

指導者同士が排他的思考で価値観の排除や画一的思考に明け暮れてはいけない。

もう一度、教育者として、親として、其々がキチンと責任を果たせる様に自分の襟を正す事が先決であり、批判し合っている場合じゃいないと思う。