セロトニン

セロトニンの分泌量が多いと「幸福度」が高まる動物

このセロトニンの分泌量を左右する遺伝子の仕組みがあるそうで、3種類の遺伝子タイプに分けられるとのこと。簡単に言うと「楽観主義」「悲観主義」「中間型」

なんと日本人は「悲観型」が65%を占めているそうで「楽観型」は3.5%にか過ぎないとの記事を見ました。驚きです。遺伝子レベルで「幸福度合い」の感じ方に影響を及ぼしていたとは。

同時に日本人は「お金があれば幸福になれる」と思っている人が65%を占めていると言うデーターもありました。いやはや「お金」のために懸命に働いている国民を象徴するデーターです。

結論は「お金と幸福」は比例しませんよ。

多くの方は知ってはいるけど、納得できていないのが現実と思いますが。

北欧が「幸福度合い」が高いと言うのはよく言われております。同時に税金が非常に高く、社会保障がしっかりしていると言われており、且つ国民は「高税率」を誇りに思っているとのこと。民度のレベルがわかります。

「俺が稼いだ金を、なんで税金に回さないけないの」

「怠け者を助けるために税金使うな」

と言う意識とは大きくかけ離れており、自分たちが高額税金を納めることで、貧困をなくし老後を保証し、安心して暮らせる国を自分達が作っていると言う「誇り」が北欧を維持しています。これはまさに「志」を一番とする社会の現れです。

悲観主義」民族は、どんなに収入が増えても「幸福」にはなれないでしょう。それどころか少々うがった言い方をすれば幸福になる事は「罪」になる社会です。「何、のほほんとしてんだよ」「明日はどうなるかわからないよ」「収入増えても出費が増えて意味がねぇよ」「年収3千万と言うけど、1億は欲しいよね」常に「幸福」を感じる事を否定していくでしょう。

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つまり経済、収入の問題じゃない。

意識の問題なんです。教育の問題なんです。

飽くなき「幸福否定」思想は、遺伝子レベルで影響されていた。

そう言うふうに日本社会を見れば、納得できる面が多々あります。

寝不足自慢、残業自慢、休日返上労働自慢、タンス預金世界一、常に危機意識を主たる思考ゆえに、笑う事は罪になる。昔から日本社会は笑って仕事をしていると否定される。真剣な表情で、走り回って、理不尽な時は笑顔で対処し、周囲に気遣い文句も言わず労働するのが美徳社会。

笑う事を止めらて幸福になるわけもなく。

楽して生きることが罪ならば、幸福になる事もなく。

周囲に勝つ事に生きるなら、虚しさが増えるのみ、

政治の問題、文化の問題、様々な諸問題が絡んで今の日本、日本社会を作り上げ生きている。単純に政治家のせいにもできない、単純に親のせいにもできない、単純に相手のせいにもできないが、遺伝子が影響しているならば、後天的思考を変えるしかない。

それは教育というものだろう。

日本人が幸福度合いが低いのは、遺伝子の問題も影響していたとは新たな驚きでした。学術的に、性格は大雑把に言って半分くらいは後天的に変わると考えられています。人間には生まれつきの遺伝子を乗り越える力が備わっていることを、忘れないで自分で意識を変えて「幸福」になれるように努める事も大切です。

収入が増えたからと言って、決して単純に幸福になる事は有り得ません。知識だけじゃなく、キチンとその点を理解することが大切です。

陽水じゃないが、、、

「探し物はなんですか?」「這いつくばって一体何を探しているの?」

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BLM

日本ではピンとこないだろうが、全米で暴動を起こしている人種差別問題。この問題は非常に厄介だ。

誰もが差別意識は持っているものだし、好き嫌いもある。恐怖心もあれば防衛本能もある。異質なものや思考の違うタイプを嫌悪する気持ちは誰にでもある。

日本の場合はネット上の「誹謗中傷」問題がある。

人種絡みの嫌悪ではないが、他人を排除しようとする心理面では同じ問題だ。

人間は神ではない。

誰にでも両手広げて善人にはなれない。

嫌なものは嫌、気持ち悪いものは気持ち悪い、そう感じることは人間として普通の事であり、自然現象であろう。その当たり前の感情を否定する方向で動くと、さらなる問題が生じる。人間は動物であり、自然体で生きる事も大事な事である。

感情を押し殺すのではなく、お互い好き嫌いはある、相性が合う合わないもある、と言う事を認知し合う事だ。私はこれは嫌い、僕はこれが苦手、アジア人は親近感があるけど、白人は身構えてしまう、そう言った事を「狂気」「暴力」で表現するのではなく、そう言った感情がある事を柔和に伝え、伝えられた側も相手を尊重してあげる事が大事と思う。嫌いになる、どうしても嫌なタイプと感じる事を否定して、善人のようにならねば「悪」とハジいてしまうと「狂気の正義」へと化していく。

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誰しも「嫌われる」事は嬉しくないが、感情の問題だ。人間が人間である以上感情は生まれる。

誹謗中傷も、人種差別も、様々な差別問題は、お互いに主張し合い、衝突を生み出す事にある。衝突を生み出す土台に、人間には愛情があるためだ。差別された側は「可哀想」「悲しい」と言う原点から「正義」が顔をだし「正統性」を主張する。特に弱者保護となると「愛情」は大活躍する。

差別する側も多くの場合「恐怖心」から「防衛」が働き「自己愛」が顔を出してくる。愛情と愛情のぶつかり合い。

故に「感情」感じる事を否定すれば、人間は人間でなくなる。嫌いなもんは嫌い、相性が合わないものは合わない、怖いもんは怖いと感じる事は止めてはいけない。

大事なことは、その感情を「どう表現していくのか?」である。

愛情や正義で押しつててはいけない。

感情は理屈じゃない。自分を好いてくれる人にタイプじゃないなぁと思う事は止められない。問題はどう相手に理解してもらうのか。どう相手の気持ちを尊重していけるのかである。

伝え方、尊重の仕方、そう言った事を知らない人間が増えていることが問題なんだ。問題を履き違えてはいけない。道徳に縛られ感情を押し殺してもいけない。伝え方、尊重の仕方なんだ。

一方で、、、今回の暴動の背景には、文化の違いもある。

日本は「沈黙は得」

世界は「沈黙は罪」

この背景の違いも理解した方がいい。

主張していくことがお互いの理解を深める文化と、主張をしないで読み取ることで理解を深める社会の違い。この違いは恐らく未来永劫変わらないだろう。

日本と世界は本当に相違点がある。

伝え方、尊重の仕方、、

つまり、主張の仕方と空気の読み取り方とも言える。

一方では「主張」をキチンと明確に伝える

一方では相手の気持ちを「読み取り」理解し尊重する

この両面がキチンとできていれば大きな問題にはならない。

人間は感情を持つ動物である。

人間は伝えねば理解してもらえない

人間は読み解く力も持ち尊重せねばいけない

これらの調和を一人一人が保ち、自己管理を行うことである。

 

汚れた悲しみ

弁護士事務所に、自分がネットに書き込んだ内容が誹謗中傷に該当するのか判断してほしいと問い合わせが殺到しているとのこと。

その報道を見て、

誹謗中傷"した側"が
「これってセーフですよね?」
「私の書き込みは大丈夫ですよね?」と問い合わせが殺到してるそうな。人を殴っておいて殴ってない判定をもらいに行くのか…

と描き込んだ投稿に16万件の「いいね」がついた。

・不安になるなら初めからやらなければいいのに。

・問い合わせするぐらいなら素直に謝ったほうがいい。

・言葉が出ません。酷すぎる。

言葉は時に、凶器になります。

と投稿が高まっている。

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本当に崩壊状態にしか見えない。

*自分の言動の善悪を他人に判断してくださいと思う思考

*言葉は狂気にもなると言い聞かせるレベル

*非常識的人間を非難する思考

自分たちの姿が見えていない証拠だ。

ウェブ上に誹謗中傷を平気で書き込む愚かさはあまりに情けないが、毎朝ワイドショー見て他人の不倫を非難したり、政治家を非難したり、親や上司をバカにしたり、国や会社を非難したり、今回の誹謗中傷問い合わせの人間達を非難したり、見下したり、両方とも何の違いがあるのだろうか??

TV番組での内容や、Web上での投稿内容、多くの人間が喜んで笑って話している内容は、全て他人の批判や評価。

自国民が、これほどの思考崩壊に至っている事への恐怖やショックは無いのだろうか?全ては「私は違う」と思っているのか?

側から見れば、今回の誹謗中傷した側も、その誹謗中傷を見下している側も、全く同類の人間にしか見えない。今の日本人の多くがそのレベルの人間と化したとしか見えない。

小さな国の中で、同じ人種の人間がお互いを見下し、非難し、否定しあい「私は違う」「自分はこいつらと違う」と思っている愚かさ。自国民がこう言った問題を起こしている事への悲しみも感じない。他人を批評する前に自ら襟を正そうと思わない。イジメは良くないと言いながら、異質なものを平気で排除する幼さ。

「狂気」としか表現できない。

自分たちの国民の問題なんだ

自分たちの地域の問題なんだ

自分たちの会社の問題なんだ

自分たちの家庭の問題なんだ

自分たちの友達の問題なんだ

なぜ、自分達の問題として認知しないのか??

自分の言動の善悪を他人に判断してもらわないと、わからないという現象は、本当に人間として社会として末期状態なんだ。呆れる前に、悲しめよ、馬鹿にする前に恐怖を感じろよ、全て自分たちの国、日本の中でのことなんだ。

ここ暫く、日本はジョーカーが降臨したと述べているが、、今回もまた悲しみを禁じ得ない。

愚かな罪を犯す奴も、それを非難する奴も、自分だけは拘らないようにリスク回避しかできない奴も、私はこいつらと違うと思っている奴も、平気で自国の政治家を馬鹿にする奴も、上司を見下す奴も、親を馬鹿にする奴も、全部同じレベルの人間なんだ。

そんな人種が何十万人もいると言う恐怖。

本当に日本はこのまま崩壊するだろうか、、、

 

 
 
 
 

誹謗中傷

今回、女子レスラーの方が多くの人間の誹謗中傷を受け、精神的に追い込まれ自殺をした事件が騒がれ、多くの方々がショックを受けているようです。

ネット上での匿名コメント、かなり前から匿名による誹謗中傷の問題は話題となっておりましたが、このような悲しい事件が起こるべくして起きました。

様々な方々が、誹謗中傷者に制裁を!ルールや罰則がないから、やり放題、ルール罰則を設けるべきとの声が多いように見受けます。

感情論での憤りは重々理解できますが、このような誹謗中傷やその他悪いことを起こす問題点は、ルール罰則がないから問題が起きるわけじゃないんです。

人間性が幼稚、人間性が劣化しているから問題を起こすのです。

普通に成熟した大人はルール罰則がなくても、悪いことや他人を無闇に傷つける事はしません。ふざけて痛めつけたり、ふざけて悪いことをするのは、子供のすることです。事の重大さを理解できずに、ついついノリで悪いことをやり「こんなになるとは思わなかった」と平気で言うのは子供の証拠です。

今の日本の最大の問題点は、学校教育の質であり、家庭教育の質であり、国の風潮や環境、倫理観の喪失が一番の問題です。

そこを履き違え「ルール罰則がない」事が問題だと認識すれば、ルール罰則を作れば対処になり、こう言った事は削減できると認識します。

ルール罰則は、一時的対応の手段です。

日本が真剣に考え直さなければいけない事は、人間の成熟度合いが余りにも劣化している点を反省していく事です。

コロナ問題でも然り、国が指導しないからダメなんだ、と言いますが、自分の健康、自分の命、家族の健康、家族の命です。国や企業や自治体から指示されないと対応もできない、ルールを決めてもらわないと行動も取れない事自体が問題なのです。

ネット上での誹謗中傷、掛け麻雀問題、コロナ問題、多くの問題は倫理問題です。多くの国民が成熟しキチンとした大人社会ならば自然に対処し、大きな問題にならない問題なのです。

しかしこの20年以上は日本の価値観が変わりました。

「できないのが当たり前」「指導の仕方が悪いからダメ」だから怒っても問題解決にならない、助けよう、上手にリードしてあげよう、弱者保護的に「できない」事が世の中の基準となり「できないのが普通」であり、それらの「できない」人達をどの様に導けばベターになるのか?と言う価値観に変わりました。

この「上手にリードしてあげよう」「怒鳴っても解決ならない」と言う思考自体は決しておかしい事ではなく、当然のことであり、素晴らしいことです。

問題は「本質の欠乏」です。

今回の誹謗中傷問題も、本質は「国の倫理観、人間の成熟度合い」が本質なのです。「できるできない」の問題も「できない」のが普通なのではなく「できない」事は問題なのであり「できる」事が普通なのです。指導する側の工夫は付加価値の部分であり、本質は「できない」人間が問題なのです。

それを本質を履き違えた結果、いつの間にか「先生が良くない」「学校が悪い」「親が悪い」「上司が良くない」「会社が良くない」と言う風潮になりました。良くない本質は「できない人」なのです。

今回も「ルール罰則がない」のが問題じゃないのです。

誹謗中傷を平気で行う人間が問題なのです。

それは国の倫理観、個人の精神の成熟度合い、が問われているわけです。

平気で人を殴る、平気で物を盗む、平気で他人に迷惑をかける、平気で悪いことをする、平気で他人のせいにする、平気で言い訳ばかりを述べる、平気で飲酒運転をする、平気でドラッグに手を出す、平気で誹謗中傷を述べる、平気で他人をバカにする、平気で国を批判する、平気で政治家をバカにする、平気で上司や年配者をバカにする、そう言った事を笑いながら「ちょっとくらい大丈夫だろう」と平気でする。

それは人間が劣化している事なのです。

ルール罰則がないのが問題じゃない。

問題の本質を履き違えると、又同じ事の繰り返しになりますよ。

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ルール罰則を作る、それでも「やる奴」は出てくる、そしてその「やる奴」は悪の存在として排除される。つまり手間暇かけず異質を「排除」する事が対処方法だとなってしまう。もしくは「ルール罰則に落ち度がある」と文句を言うだけ。今の日本の様に文句の応酬、誰が悪い、何が悪いと騒ぐのみ。

ルール罰則がないのが問題となってしまえば、全てがルール罰則に則って行う様になり、貴方は何も考えなく、考える事を許されなくなります。雁字搦めの監視社会に陥ります。

人間の自由や自主性を維持するには、キチンと自分で考えて自制して生きる成熟した大人が増える事なのです。

今、日本が直面している問題はそこなのです。

一人一人が自分の倫理観を持って、自制して成熟した大人の言動をとれば、この様な事件は間違いなく減っていきます。ルール罰則のせいではなく、国民の倫理観が問題なのです。

ルール罰則がなくても、キチンと生きてほしいものです。

新たな問題か?

新型コロナの問題点は

以前にも話したが、感染者が無症状の場合がある点

更に今別な問題が懸念されている。

再発者問題。

一旦感染したが、治癒して治った人、抗体を持った人、と言われている方々が再発している。これは再感染ではなく、抗体によって死滅したと思われているウィルスが、実は死んでおらず休眠していただけの可能性が出てきた。

世界中での感染者は380万人程度、その内26万人が死亡。

360万人が休眠しているウィルスの保持者となる。

そして、初期からの問題点があるように、無自覚、無症状。

危篤化するまで、症状が出ないため診察も難しい、対応も難しい、当然治療も難しい。更に症状が出ない人へ、自宅待機を促しても多くの人間は通常生活を送り、出勤し、遊び、暮らす。

つまり感染者は死ぬまで無自覚のまま、感染拡大をしている事になる。そして最悪の場合1ヶ月の間に何十万の人間が同時に死亡する可能性があると言うことになる。

世界はマスク着用が普通になり、ガードマスクを着用し、まるで汚染が悪化した近未来の映画のような防護服を着た生活に変わるかもしれない。オンライン活動も普通になり、会社へは出勤せず、買い物もお店には行かず、学校もオンライン。

無自覚、無症状、そして抗体により死んだと思われていたウィルスが休眠だったとなると今回の問題は根深い。

経済活動再開を全く新たな方向性での再開を目指す必要性もある。

世界各地で経済の方向性を見直しが既に行われている。

恐らく近未来的目標を前倒しで、今から新たな生活へ転換していく活動へ向かう可能性が高い。日本も企業も国民も新しいスタイルの生き方、働き方、活動方針に向かい活動開始した方がいいかもしれない。

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コロナ対策

以前日本は「物作りの国だ」と国家あげて経済復活を訴えた時期があるが、結果日本からは物作りは衰退した。あの時誰も聞く耳を持たなかったが「物作り復活」の最大の失敗は「客を創造しなかった事」どんなに良いものを作っても、それを買うお客が存在しなければ物作りは継続できない。

軽薄短小、時代は兎に角便利で安くて短時間に変化して小型化にして、商品サイクルを短くデジタル化を図り時代は進んだ。非常に便利でライフスタイルを変える影響を持った現在の製品群。今後もIT中心にデジタル製品、コネクテッド製品は続々出てくるだろう。

「良い物」と「便利な物」と「お得な物」「必要な物」全て違う。

日本の物作りは「良い物」に執着し過ぎたかもしれない。決してそれは間違ったわけじゃなく、客が「良い物」をそれほど望んでいなかった、と言う事になる。それよりも「安くて便利な物」それが時代のニーズになった。

「物作り」を活かそうとすれば先ず「客を育てる」事が最優先となる。「物作りどうするんだ」「現場の問題点は何だ」「どうすれば儲かるか」と蹇々諤々議論する事ではなく「客を育てる」事なのである。「良い物を見分ける客」「良い物の価値を知る客」「良い物を欲する客」それらの客がいて初めて「良い物」を生産する事ができる。

今、コロナ問題で日本経済への影響が多大で、これから更にどうやって行くんだ、保証はどうしてくれるんだ、救済してくれないのか?などと蹇々諤々議論を継続しているが、国民一同やらねばいけない事は「市場の活性化」である。

「不安」「消費しない」「市場停滞」

それでは日本経済は復活しない。自分で自分の首を締めるだけ。お金は使う事で活性化し増えるシステムの物なのである。溜め込んでは経済は動かない。

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今回コロナ禍で、在宅勤務、ウェブ授業など従来日本はあまりやっていなかった事が生活に入り込んでいる。それこそが日本経済のチャンスにすべき事だろう。時代はコネクテッド、Ai、IoTであることには変わりは無い。携帯電話でLINEをするだけじゃなく、ライフスタイルを見直し新たなスタイルを取り入れる。

スマートウォッチで車やバイクを呼ぶ。冷蔵庫は不足している食品を自動で判別し、オーナーの携帯へ通知、承認をかければアレクサが発注して、夕方には注文した食品が自宅へドローンで配送されている。仕事疲れで帰宅途中にスーパーへ寄り、思い荷物を持って変える必要はない。

家の中でも洗濯機は一定量になれば自動で洗濯、乾燥、折り畳みオーナーが帰宅した時には折り畳まれた衣類がそこにあり、朝も洗面所で歯を磨いている時、鏡のスクリーンをタッチしれば、コーヒーメーカー作動し、トースターが作動し、キッチンへ行った時には淹れ立てのコーヒーと焼き立てのトーストが出来上がっている。

スマートウォッチは貴方の健康状態を24時間記録し監視をする。勤務中に家族になんかあっても、スマートウォッチとアレクサが異常を自動感知し、救急車と病院と貴方に同時連絡。貴方は携帯で部屋の様子を即時に確認、倒れて意識がなくても、到着した救急隊員とウェブ通話をしながら、スマートウォッチで玄関の施錠を開けて救急隊に家族を見てもらい、救急車が出発後は貴方は病院へ直行、施錠も再度ウォッチで閉めれば済む。家に戻ることもなく、万が一の対応もその場でできる。移動中も車のモニターで救急隊員と通話継続すれば、家族の状態変化を確認しながら病院へ行ける。

帰宅した子供が鍵を持ってなくても、貴方が再度端末から玄関のドアの鍵を開け、子供たちとはウェブ上で会話をする。貴方の帰宅が遅くなっても携帯からエアコンも操作、お風呂の温度調整も携帯端末で、デリバリーも配送も全てウェブ上で、子供が寝た後もアレクサが貴方に映像とデーターを送る。

この程度のコネクテッドライフなら直ぐに導入できる。

この程度のライフスタイル国民が変えるだけで、多くの製品を買い替え、もしくは新たに買うと言う行動が必要になり、企業も新たにコネクトを意識した製品を至急大量に生産せねばいけないとなる。間違いなく企業も多忙になる、国民の仕事も増える、経済は活性化が図れる。

他人の批判は即座に止め、自分自身のライフスタイルを変える意識をとが、企業への活動チャンスを広げ、物は生産され購買され、収入復活、新たな職の機会も創造され経済は短期間で復活可能になるかもしれない。

国民は自分自身の生活を省みて、消費を活発化し、必要な要望を企業にあげていく。それこそが今我々が集中し行動を起こすべきアフターコロナ対策なのである。

心と体 危機感の矛盾性

今回のコロナ問題、様々な追加情報が飛んでいる中、非常に気になる情報がある。

アメリカ空母内で感染が広まったが、感染者の6割が無症状

今度はマリオン刑務所で調査した結果、2300人の感染者のうち
2028人が無症状だったことが判明した。

それを受けて他の刑務所でも検査した結果、合計3277人の内
96%の感染者が無症状であると結果が出ている。

各国で感染者数、死亡者数を公表しているが、それはあくまでも検査を実施した分だけで、無検査を含めたらどれだけの人間が感染しているかは、全く不明。上記の無症状比率を考えると、80億人の内40億人以上の人間が既に感染し且つ無症状の可能性もある。

現在何故無症状なのか判明していない。

偶然なのか?抗体があるのか?単に未だ発症していないだけなのか?全く背景はわかっていない。人類は「無症状」に対して多くのエネルギーをかけていない。

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人間と言う動物は、普段リスク回避をする生き物だが一定のリスクが目の前に起きると、リスク回避からリスク受容へと意識を変える。「あまりにも誇張が多い」「新型コロナウイルスはインフルエンザのような単なるウイルス」「感染するのがむしろ困難」「騒ぎすぎだよ」と思考は変化する。「遠く離れた脅威」に対して適切に反応できない動物なのです。身近に重症化した感染者がえない限り、どっかで「大丈夫じゃない」と言う意識が働くのである。

防衛本能?パニックが引き起こす拒否反応か?などと言われておりますが、人間と言う動物はそのように変化する動物なのです。思いなどの「心」で貴方は貴方の「体」をコントロールする事は出来ないのです。人間の脳は矛盾を好みます。

倫理と本能、感情と知識、回避と受容、、、、

ダメよダメ、、と思っていても貴方の体は勝手に反応していく。

至極当然のことであり、それは人間である証拠。普段我々は全く意識していない。では貴方は今、思うだけで貴方の心臓を止められる?出来ない。願うだけで病気を治せる?出来ない。そう「心」と「体」は別物である。

危機が迫っていると分かっていても、大丈だよと行動をとる。

この人間と言う動物の特徴が在る限り、人類は滅亡への道を辿る可能性は非常に高い。

「今後数十年で1000万人以上が亡くなる事態があるとすれば、戦争より感染性のウイルスが原因でしょう」と述べている人がいる。「21世紀は人間の滅亡を賭けたロシアンルーレットと同じ状況だ」と述べている人がいる。6分の1の確率で21世紀中に人間が滅亡するというシナリオを述べている人がいる。リスク回避に生きながら一方でリスク受容の行動をとる人間の矛盾性。

非常に危険を孕んでいる事は間違いない。

今回のコロナ問題、少しでも人間と言う生き物は動物であり、矛盾を好む事実を再認識するきっかけとなってくれるだけでも「自覚」を産む。そして貴方の「思い」も「体」も、微弱な電気信号で動いている事実。その微弱な電気信号は何処から発せられているのか?