未来 

Netflixghost in the shellが始まった。

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今、Ai、VRオルガノイド、それらが一層具現化して来ている。

今回オルガノイド脳を含めた各オルガノイド臓器が血管によって連結され生存実験で成功を収めた報告が上がった。

従来オルガノイド脳は10ヶ月以上の成長が見られず停止する問題を抱えていたが、臓器との連結維持が可能となることでそれ以上の成長が期待されるかもしれない。

メタルの骨格に、人工臓器が附着され機械代用での強化も踏まえながら、3Dプリンターで組織は印刷され、人工皮膚が人工ボディを覆っていく。まるで映画のオープニングが実際に繰り広げられる将来が具体化してきた。

人間とは何か?存在とは何か?精神とは何か?

心は脳にあるのか臓器にあるのか?最近の研究では「心」は臓器にあるかもしれなとの報告も出ている。脳はあくまでも臓器が感じ得た指令を体全体へ発信する働き。貴方が心を指すときに脳ではなく心臓に手を当てるのは、臓器が「心はここだよ」と教えてくれていたのかもしれない。

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現在多くの臓器が再生可能となっている。今回のオルガノイド臓器の血管による連結実験で、脳も含まれており「意識」が生まれていた可能性も否定できないと議論を呼んでいる。

3Dバイオプリンターで印刷された人工皮膚は、血液も含めほぼ完全に再生され対象物に附着していくレベルまで来ている。

 

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人工皮膚のロボット

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これらは映画用のセットではない。現実の世界で進んでいる写真である。まるで映画の世界と言って過言ではない。

 

これは映画の画像

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ほぼ上記の現物と大差はない。

 

人間は何を求めているのか???

一定の臓器も持ち、怪我をすれば出血もし、感触はほぼ人間。しかしそれは人工物である。疲れも知らない、文句も言わない、貴方の命令のみに従い行動をする。生身の人間にはできないことが「人工人間」は可能とする。

オルガノイド技術が進み、妊娠の仕組みも明確になっているので、近い将来「人工人間」が子供を産むことは確実である。人間は人間を求めなくても、自分の子孫を維持することができる。

人間は何を求めているのか????

今日、倫理学的に否定をされているので誰も口にしていないが、結局人間は「思い通りになる奴隷」を求めているのだろうか?何を要求しても文句も言われない、好きな時に好きな事を要求する。思ってもいない「気遣い」は不要となる。命令する人間は「人工人間」AHを愛する様になるだろう。子供も産める、sexも可能。後は何を求めるのか?自分が死ぬ時は共に暮らしたAHを破壊して「一緒に死んでくれ」とでも言うのだろうか?

作られたAHは意識を持つだろうか?

その可能性は大いにある。それを管理するのは?

同時に肉体を必要としない世界もある。

VRである。

V Rが進めば、貴方の心はデジタル化となり、永遠の命を得ることができる。滅びる肉体を持たずにVRの世界で永遠に生きていける。

VRと現実の世界に違いはあるのか???カフカの世界ではないが結論は無くなるだろう。現状は技術の問題で現実とVR世界では確かにギャップはある。しかい人間の5感全てデジタルができる。感触さえ電気信号を送れば、感触さえ得られる。人間の意識は全て電気信号が流れて発生する仕組みだからだ。脳に直接電気信号を与え、5感全てを得られる様にできる。そう成れば「脳」だけが存在して電線で繋がれている貴方は既に何が現実なのか認知は不可能となる。

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写真の様な状態でいる貴方は、人間と呼べるものだろうか?

貴方自身は肉体を持つ今も、写真の様な状態になった後も、何も変っちゃいない。いつも通りの肉体を持ち、いつも通りの感触も得る。第三者だけが「外界」の貴方の姿を見ることができる。貴方は不老不死を得て「全てが思うがままに」生き続けることが可能になる。

人間の肉体は非常に複雑で解読は容易にはいかない。

例えAI、オルガナノイド、VR技術が発達しても数年レベルでの実用化は困難と思うが、30年、100年と見ればかなり近い状態まで進む事も確かな事だろう。

こう言った議論は既に何十年と繰り返して来ている。

アマゾンアレクサ、アップルシリのように既にアシスタントレベルでAiは生活に溶け込んでいる。今後アシスタントは肉体を持ってくる可能性がある。今2次元の仮想パートナーと結ばれている人間も存在している。Ai相手にチャットしてみればわかるが、実際に会う事をしない限り「違和感」は感じない。Aiへ感情が湧き、会いたいセックスしたいと段階を踏んだ時、もし彼らが肉体を持ち子供まで産むことができるとなれば、間違いなく人間はAiと結婚するだろう。

現在ロボット染色体はある。

これは、人格を持つことができる人工生物を作るための、コンピュータ化されたDNAコードです。このDNAをTNT(再生チップ)を通して皮膚細胞に注入すると、その遺伝子を子孫に継承することが可能。つまり女性の卵子を必要とせずに子孫を作り出す方法を発見したことになる。

さてさて、明治の時代2000年未来を夢見た人類、多くの物を具現化しながら現代にたどり着いているが、これから100年後、人類は一体どんな世界を作り上げているのだろうか?

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保証とは、、

今回のコロナ問題で多くの国民が不安を感じている。

生命の危険、そして経済的危険

どちらも目に見えぬ危険で、驚きから不安へ、そして不安から怒へ、怒りから恐怖、狂気へ変換していく。

目に見えぬものとの戦いに勝つには、自分自身に打ち勝つのが手立ての一つでもある。

ウィルスの問題は専門家に期待するしか出来ない。全身性血管炎症が起きている事もわかってきており、ただの肺炎ではない環境もわかってきた。徐々にだが懸命な日々の努力にて徐々にウィルスの実体が明らかになっていくだろう。

一方で経済的不安。これは応急処置としては「支給」しかないと思うが、保証制度が十分に整備されて来ていなかった問題が溢れ出している。それは日本が忘れていたわけでも、蔑ろにして来たわけではないと思う。非常に厄介な問題であるからである。

税金もしかり、数%増の税金がダメと騒ぐなら、こう言った場合の保証準備はある程度個人で管理してくださいと述べるべきだった。国も企業も資金が余っているわけではなく、普段の活動で「お金」を生み出して「分配」している。

今回のウィルス問題だけはなく、経済危機、戦争危機、様々な危機が今後も起きる事は確かである。いい加減「保証」制度をキチンと再整備する事が急務と思う。それには国民の理解と協力は避けられない。今経済界ではAiなどの台頭で産業革命が起きている。今後人間が労働する機会が大きく減っていくだろうと予想されている。コロナ以上に企業は人員削減、自動化、を進め、職を失う人数は増えていく。順番は「保証」制度が整備されていない弱い立場から苦境へ追い込まれていく。

こう言った社会保障を進めて行く時「働かざるもの食うべからず」の思考では前に進まない。稼げるものが稼いで、稼げない者達に分配する思考で進めなければいけない。今の日本に、今の国民にその気概があるだろうか?マスクでさえ奪い合い。それが「お金」となったら「稼いだ俺の分であり、なんで稼がない奴に分け与えなければいけないんだ」と保証制度は既知として進まない気がする。

恐らくこれからウィルスが治ったとしても、補償問題はしばらくのあいだ議論され続けるだろう。今日、職を失った者、これから職を失う者、一層収入を減らしていく者達が年々増えていくはず。

10万円支給がドウノコウノト文句を言うばかりじゃなく、どうすれば良いのか?自分たちは何ができるのか?何を見直していくべきなのか?一人一人が意識改革を行い、みんなで国を変えていく、みんなで保証精度を構築していくとならない限り今回のウィル問題で犠牲になった人たちは、報われる事もなければ救われる事もないだろう。

救われなかったもの達は、一層「自分だけは」「世間は助けちゃくれない」と心を閉じていくのみ。そんな思考の人間がどんなに集まっても、どんなに稼いでも、どんなに賢くなっても、良い世の中が構築されるわけもなく、愚かな議論を繰り返すのみ。

保証とは「稼げる人達が稼げない人達に分配する事」

そして分配を受けるものたちは、基本対等な分配を望むものである。「10稼いで1分け与えてやった、文句を言うな」では成り立たない。10稼いで5を分け与えるくらいの気概がないと、保証制度は構築されないのである。国が悪い、政府が悪い、企業が悪いではない。貴方自身にその気概を持って「保証制度」を構築していこう!と言う気持ちがあるかどうかなのである。

今、10万円支給に文句を述べている者達のセリフには、そこを理解し「みんなで変えて行こう、みんなで支え合って行こう」と思考が全く見えない。他人を非難して俺の方ができる、俺の方が正しいと騒いでいるだけ。それにくっついてこっちだ、あっちだと右往左往しても何ら意味は無さない。

ロスト20年、30年と言われたこの時間で、日本人が失ったものは本当に大きく、今後取り戻すにはあまりに重症化している。

経済保証の問題は、国でも政府でも企業でもない。先ずは貴方自身が、何ができるのか?何をすべきか?得た利益を他人と等分できる精神を持ち得ているのか?そう言ったところが問題の根源である事を認識した方が良い。

今回ウィルス問題で、患者を救うため、ウィルスを解明するため、生活インフラを止めないために、自分の命の危険さえ顧みず行動を起こし、感染しているもの達が世界には沢山いる。それこそが「支え合う」「保証制度」なのである。

ず~っとだよ。

いつからだろう、他人と張り合う事に終始しているのは?

いつからだろう、他人と比較して妬むようになったのは?

いつからだろう、余計な関わりを持たなくなったのは?

いつからだろう、イライラが普通になったのは?

いつからだろう、、、愛する者を邪魔に思い始めたのは?

元来日本は村社会。

常に話し合い、みんなでアイデアを出し合って一緒に土地を開拓して、里山を作り上げながら自分たちの村を作り上げてきた。その名残が現代の社会組織にも活きている。結果企業が求める人材は専門的に優秀な人材ではなく「人柄がよく周囲と上手くコミュニケーションをとりながら、真面目に稼ぐ人材」なのである。故にコミュ力重要なんて話題になる。日本社会の優秀な人材とは「まとめ役」「真面目さ」が優先され人気投票が選択の手段となってしまう。

海外は専門性が重宝される。頭脳が良ければ頭脳の仕事があり、足が早ければ足を活かすポジションがあり会話が上手ければ会話を活かすポジションがある。そうやって各専門性の役割分担が明確にされチームが構築される。人気投票ではなく、何ができるか?で自分のポジションが決まってくる。

日本は高学歴=ワーキングプア

正しく優秀な頭脳より、うまく周囲を取り纏めれる人。鋭い分析力よりも周囲をまとめられる人。全てに於いて周囲をまとめられる人、それが求められる人材であるから、ある側面から言えば「優種な人は組織にいない」となる。うがった言い方をすれば、周囲をうまくだまし込んで取り入れたら組織の中では登っていく。猿知恵が活かされる社会となっている。

それと日本の個人スキルは決して低くはない。詰まり高学歴との格差も他国から見ればそんなに酷くはない。スキルでの格差が低く、話し合いで動く組織となれば、求められる人材は自ずと決まってくる。そして周知如く誰がリーダーになるのか「‘内輪揉め」「派閥」と言った足の引っ張り合いが自然発生していく。

このような話し合い型「村社会」に於いて最も重要なのは「村の長」絶対君主である。その普遍の絶対君主が存在すれば「村社会組織」は活かされてくる。内輪揉めした時に「こうする」と有無を言わさず全体がひれ伏す「村の長」がいれば、みんなでアイデアを持ち合って試行錯誤する組織は活かされる。絶対君主が存在しない「村社会」は崩壊へと向かう。これが今日の日本社会の問題点だろうし、これからの時代絶対君主が出るとは思えない。

時代はスピード感を持って前へ前へドンドン突き進み、変化を生み出しながら新たな価値を創造し利益を追求していく。分析能力が高い者、交渉能力の高い者、機動力に長けている者、発想力に長けてるもの、様々な専門的スキルが高い者達が、総合頭脳に長けている者の元で明確な戦略戦術を理解しながら、各自の持ち場に責任を持ち組織は動いていく。此処で必要とされる優先事項はスキルでありコミュ力でも調整能力でもない。得意分野でキチンと責任を負える者たちである。此処に世界と日本の大きな隔たりが生じている。頭脳が優秀な高学歴は重宝される社会である。

勿論世界的な問題として、頭脳集団と肉体集団の格差などの問題は周知の通り注視されており今後是正していく方向になると思う。

話し合い型「村社会」ではどうしても根回し、妬み、足の引っ張り合いは自然発生し生産性を大きく妨げる。繰り返しだが絶対君主が存在すれば話は別。

ズ〜ッと日本は「内輪揉め」で破壊と創造を繰り返してきた。

富に高学歴は必要とされない「ポピュリズム」が湧き上がったのは「普通の子がアイドル」になった時代からだろう。誰でもアイドルになれる、誰でもリーダーになれる、そんな幻影を見出して一層狭い世界での癒着、根回し、仲良しクラブが良しとされ専門的高スキル者は時代からはじかれてきた。高スキル者にとっては非常に生き難い社会となり、生産性は低迷しロスト20年、30年と呼ばれるようなった。

今後日本は何処へ向かうのか?

村社会を邁進していくのか?都市型開発思考へと切り替えていくのか?

この議論は実はず〜っと昔から継続地位で、日本は過去から今も普請中なのである。という事は今後も恐らくこのまま未来永劫普請中なのである。

どんなに世界との差異が分かっても、どんなに「こうすべきだ」と理解できても、何千年と流れてきたDNAの記憶は「日本の善」「日本文化」を捨てきれない。これからも優秀な人材は住み難く、高学歴は重宝されない。

その中で貴方はどうやって生きて行くのか?

そこをしっかり考えた方がいい。

世界へ飛び出るのか?日本の村社会で生き延びていくのか?

何方が正しいと言う問題じゃない。

貴方が好きな方、本当に望む方を選んで生きていけば良いだけの事。

最も重要な事は、貴方は何者で何を好み何が嫌いで何をしたいのか?貴方自身を明確に理解する事が最も大切な事である。

不安と幸福

一般的に現代社会の不安、妬み、と言ったものはどこから発生してくるのか?それは「お金がない」=「死」と言う直結する問題からです。

それは多くの方が述べているように間違いない事実と思います。

しかし、昨今の日本を見ていると原点を忘れていると思います。

人間はお金だけで生きてません。お金の為に生きてないという事です。

お金持ちになったら幸福か?違います。

金持ちなって良かったと死んでいった人はいるか?居りません。

今回のコロナ問題で多くの国民が不安に悩まされます。今ニュースを見ていると殆どが「お金」で不安を取り除こうとしています。

それでは「不安」と言う癌細胞はずーっと貴方の中に生き続けます。

現代の「不安」を本来の生きると言う原点での視点で取り除いてあげたら、多くの国民の今後の人生はかなり違ったものに変化していくと思います。

日々、お金、お金と正義感、責任感を持って騒いでおりますが、人間はお金だけでは生きていないのです。好きな人と笑い合う、助け合う、隣の人に挨拶する、家族と共に時間を過ごす、そう言った「生きる」と言う原点を思い出さなければいけないと思います。

どうせ幸福感が低い国民と国が今の日本です。

もう一度貴方の不安はどこから来ているのか?深く見つめ直し、政府も国民も「人間はお金の為だけに生きていない」と言う原点を思い出してみるのもいいのではないでしょうか?

「お金」の不安を「お金」で解決したら、その後もずーっと同じことの繰り返し。又、イライラし稼いで稼いで経済的に安定はしているが、幸福感は非常に薄いと言う人生に戻ってしまいます。

心から「それで良いよ」と理念をお持ちの方はいいのでしょうが、そうじゃない方はせっかくの機会だから、自分の心を見つめ直して見てください。

人間霞を食べては生きてはいけないのですが、食べ物食べていたら生きていけると言う事ではないんです。物が満たされていれば便利ですが、それで幸福だと言う事には直結はしないんです。

いつですか?貴方が心から笑った日は?

誰とですか、貴方が幸福感を感じた相手は?

嬉し涙が止まらなかったあの日は「どうしてだった?」

多くの貴方の中の宝物は「お金」と直結してないと思いますよ。

だから、もう一度、、

お金の不安をお金だけで解決する事はお薦めしません。

落ち着いて、、

家族で話し合って、好きな人と話し合って、もう一度。

人となり

今回のコロナ問題で多くの著名人がメッセージを発信した。

各国の首相や企業の経営者たち、そして芸能人も本当に多くの人間がビデオクリップをYouTubeなどにアップロードした。

大量のメッセージを見ながら感じた事がある。

メッセージは、その人間の人生以上の事は語れないと言う事。どんなに格好いい文面を構成し作り上げても、口にして述べている人間の人生が透けて見える。

人間はその人の人生を感じ取る能力があると思う。

例えば音楽。

音楽も演奏者の人生以上の音や作品は出てこない。そして、その人の人生と共感する者たちが、そのミュージシャンの音楽に感動を覚える。似た者同士が感動という集団を作り上げていると思う。

例えば絵画。

絵画も作者が描く線は、その人の人生を超える線は描けない。生きてきた作者の魂が点を描き線を生み出し、面を構成し色を生み出していく。魂のこもった線は、たとえたった一本の線であったとしても感動を生み出す物なのだと。

例えば小説。

言葉の羅列、構成、単語そう言ったものを積み重ね様々な物語を紡ぎ出していく。出来上がってくる文章は、やはり作者の人生を越す作品にはなり得ない。生きて来た人生の集大成が言葉一つ一つに意味合いを生み出し、読む者に感動を生み出していく。

 

音でも線でも色でも言葉でも、一人の人間から発生されるものは、やはり全てその人の人生を通して生み出されるものであり、その人の人生を越すものにはなり得ないものなのです。

今回のコロナ対策における各国の事情、各国の問題、各地域の問題、様々な問題が絡み合い簡単には対処しきれない側面はあるとは思うが、発信されているメッセージを観ていると、本当にその人の普段の人生が滲み出ている。

そこには製作ノウハウなどで隠しきれぬ思いというものが滲み出ている。

勿論、それは感じ取る側にも全く同じことが言えるだろう。

人生が発した叫びは、同じような人生を生きている者にしか聞こえない波長がある。そこが「どう読み取る」「どう感じ取る」かという人それぞの世界が生まれてくる。

物事の創作表現に生きている者達は、懸命に誰かになにかを伝えようともがいているのだろうが、結論はその人の人生を越す作品は生まれないと私は強く感じる。観る側も、その人の人生を越す「読み取る能力」は生まれない。

深く重く生きるのも人生、浅く軽く生きるのも人生、いろんな人生があって面白いのも事実であるが、結局人間は何に涙するのか?何に感動しているのか?そして何故それらに感動するのか?何故心が揺さぶられるのか?其処を見つめていけば、人生の中で大事なものが見えて来るのではないだろうか?

今回のコロナ問題を切っ掛けに一旦貴方の暮らしを見つめ直してみるのも大事な事ではないだろうか?虚しさ、苛つき、不安、嫉妬、妬み、そう言ったものは全て貴方の心中に生まれているもの。誰かが貴方の心に植え付けたものでもなく、貴方自身が生み出したもの。

幸せに人生を過ごしたいなら、貴方自身を見つめ直して見る事も本当に大切な事と思う。しっかりと自分自身で生きていく、それが貴方の幸せというものなのです。

不思議な国

ちょっと前に、コロナ感染の男性がスナックかなんかで豪遊して、従業員への感染拡大とお店閉店に追い込む結果を生んだ事件で、件の男性は「罪人」になると思うのだが、、、。特にお店は損害賠償起こすだろう。

一般企業人が出勤などの勤務体制を維持したおかげで、感染を広めている場合は「お仕事」だから罪にはならないのか?

企業活動中、出張や出勤で感染し死亡した場合、企業は責任を負うのか?

出張、出勤は個人の判断故に、企業は無関係ですよと言うのかな?

外出している若者は「遊び」のイメージが強いので、感染広めるなと非難されているが「お仕事」で感染広める分には罪はないのか?

その辺が日本を見ていると不思議に思う。

ホームワーク?テレワーク?を推奨しているので、弊社は社員行動には責任はございませんとシラーっと言うのかね?遺族にしてみたらやりきれないね?

マスコミは一切企業活動には触れない。

金儲け活動の感染、死亡は容認。

遊びの感染、死亡は許せない。

と言うのが本音なのだろうか???

やはり日本と言う国は経済的安定、経済至上主義の最たる国なんだろうな。

「収入どうしてくれるんだ」も感情論では理解できるが、騒ぐ順番が違う気がするのは大きな誤解だろうか??????????

本当に不思議な国です。

事が起きてから会社を恨んだり、泣いたり騒いだりするくらいなら、降格しても一旦失業したとしても、何が貴方にとって最優先なのか?家族にとって最優先なのか明確に自覚した方がよろしいのではないでしょうかね?

人生お金じゃないよ、、、収入に合わせて暮らせるから。貴方のチッポケな幼稚なプライドが収入維持、生活維持を推し進め、狂ったようにイライラしながら生きている様ですが、生活、人生とはそん時の収入等々に合わせて自由に生きていけるものなのです。

いみじくも森友問題で自殺した男性の遺族が苦しんでいる報道があります。事が起きてから泣いても遅いです。

「大丈夫だ」「面倒だから」「自分だけ出勤しない訳には行かない」「出張行かないと」なんて如何にも「私は真面目」みたいな言動をとっていますが、何かあったら誰が責任負うのか?誰が悲しむのか?キチンと自覚することが先決じゃないでしょうか?

マスコミも視聴率稼ぎばかりやってないで、、、

こう言う時こそ「マス」を対象に活動している社会的企業責任を鑑みて、感染拡大、死亡者をこれ以上増やさない為に「口にしたくても言えない」代弁を実施して、国民の精神安寧を誘導する様な報道を増やしてもらいたいんもです。何故国民の多くは政府にロックダウンを言って欲しいのか?理解できているんでしょうか?そんな事も理解できていない状態なんでしょうかね?それとも知っていても経済優先だから「触れてはいけない」事なんでしょうか?

お金を頂いているスポンサー様なので、感染拡大の可能性もある企業活動をしていると認知していても企業名は言えないのでしょうね?個人名は言えるけど、何処の企業の社員が出張して感染広めたとか死亡したとか企業名も述べて頂きたいもんです。

経済至上主義が好きな国民が生きている国、日本ですので「カネ儲け」は最優先事項なんだとは思いますが、事が起きてから泣く遺族は可哀想と思いますがね。

確率論で行けば5%

5%の犠牲者が日本の経済を支えるんだと自覚して企業活動しているなら、それはそれで良いと思うし、ならば、事が起きた後も泣かない、喚かない事です。

活動が活発であれば、感染は広がる一方です。