人となり

今回のコロナ問題で多くの著名人がメッセージを発信した。

各国の首相や企業の経営者たち、そして芸能人も本当に多くの人間がビデオクリップをYouTubeなどにアップロードした。

大量のメッセージを見ながら感じた事がある。

メッセージは、その人間の人生以上の事は語れないと言う事。どんなに格好いい文面を構成し作り上げても、口にして述べている人間の人生が透けて見える。

人間はその人の人生を感じ取る能力があると思う。

例えば音楽。

音楽も演奏者の人生以上の音や作品は出てこない。そして、その人の人生と共感する者たちが、そのミュージシャンの音楽に感動を覚える。似た者同士が感動という集団を作り上げていると思う。

例えば絵画。

絵画も作者が描く線は、その人の人生を超える線は描けない。生きてきた作者の魂が点を描き線を生み出し、面を構成し色を生み出していく。魂のこもった線は、たとえたった一本の線であったとしても感動を生み出す物なのだと。

例えば小説。

言葉の羅列、構成、単語そう言ったものを積み重ね様々な物語を紡ぎ出していく。出来上がってくる文章は、やはり作者の人生を越す作品にはなり得ない。生きて来た人生の集大成が言葉一つ一つに意味合いを生み出し、読む者に感動を生み出していく。

 

音でも線でも色でも言葉でも、一人の人間から発生されるものは、やはり全てその人の人生を通して生み出されるものであり、その人の人生を越すものにはなり得ないものなのです。

今回のコロナ対策における各国の事情、各国の問題、各地域の問題、様々な問題が絡み合い簡単には対処しきれない側面はあるとは思うが、発信されているメッセージを観ていると、本当にその人の普段の人生が滲み出ている。

そこには製作ノウハウなどで隠しきれぬ思いというものが滲み出ている。

勿論、それは感じ取る側にも全く同じことが言えるだろう。

人生が発した叫びは、同じような人生を生きている者にしか聞こえない波長がある。そこが「どう読み取る」「どう感じ取る」かという人それぞの世界が生まれてくる。

物事の創作表現に生きている者達は、懸命に誰かになにかを伝えようともがいているのだろうが、結論はその人の人生を越す作品は生まれないと私は強く感じる。観る側も、その人の人生を越す「読み取る能力」は生まれない。

深く重く生きるのも人生、浅く軽く生きるのも人生、いろんな人生があって面白いのも事実であるが、結局人間は何に涙するのか?何に感動しているのか?そして何故それらに感動するのか?何故心が揺さぶられるのか?其処を見つめていけば、人生の中で大事なものが見えて来るのではないだろうか?

今回のコロナ問題を切っ掛けに一旦貴方の暮らしを見つめ直してみるのも大事な事ではないだろうか?虚しさ、苛つき、不安、嫉妬、妬み、そう言ったものは全て貴方の心中に生まれているもの。誰かが貴方の心に植え付けたものでもなく、貴方自身が生み出したもの。

幸せに人生を過ごしたいなら、貴方自身を見つめ直して見る事も本当に大切な事と思う。しっかりと自分自身で生きていく、それが貴方の幸せというものなのです。