目黒女児虐待死事件

〈2018年6月6日、私は娘を死なせたということで逮捕された。いや「死なせた」のではなく「殺した」と言われても当然の結果で、「逮捕された」のではなく「逮捕していただいた」と言った方が正確なのかもしれない〉

2月7日に女性がが出版した手記『結愛へ 目黒区虐待死事件 母の獄中手記』の一節である。

直接の原因は養父、雄大の暴力と食事制限による虐待にある。東京地裁は昨年10月、保護責任者遺棄致死、傷害、大麻取締法違反の罪で懲役13年の刑を下し、確定している。地裁は母親に対して「雄大から心理的DVを受け、雄大からの心理的影響を強く受けていた」と認定はしたが、「強固に支配されていたとまでは言えない」として、責任を大幅には減じることはせず、懲役8年の実刑判決を下している。

件の女性は男性に依存しがちな生活を送っていた様だ。そんな自分にも嫌気がさしていた様でもあるが、立ち上がる勇気がその時はなかった様だ。そんな時に2番目の夫なる男性に巡り合い、この人は自分を理解してくれるとしがみ付いた。

男性も初めは弱き女性を助けようと思った様子。しかし自分の器量不足の自覚が無かった為に、助けたいなぁ支えてあげたいなぁと思った女性が自分にとって負担となって行く事を知らなかった。そして負担に潰されて行く。

その負担が男性の苛立ちに拍車を掛ける。女性へのDVそして、その矛先がこどもへと移動して行く。女性は惚れた男を失いたくないと言う一心で判断基準を見失って行く。良くないと思っていても身体や心が思うようにならない。失いたくないと。

端的に言えば、器量不足の男性と弱き女性の犠牲に子供がなったと言う事であろう。

これを誰が非難できるだろうか??

器量不足の男性と弱き女性のカップルなんか世の中沢山存在している。しかし偶然にも事件を起こしていない。理由は偶然。

偶然周囲が支えてくれた。偶然自覚が生まれた。偶然事件にならなかった。偶然である。

結局此処でも弱き人間を抱えて助けようとした人間が、助けようとした人間にしがみ付かれそれが負担となっていき、判断に狂気が生じ始め最終的にモンスターを生み出している。我々が学ぶべきポイントは、しがみ付く弱者は助けようとする人間の負担と化し、助けようとした善人をモンスター化させると言う点であり、日常の「仕方が無いさ」と言う誤魔化しがモンスターを生み出す温床となっている事である。

溺れている人を助ける絶対条件は溺れきってから助ける。途中で助けようとすると二次災害を起こす可能性が高いのである。つまり助けようとした人までもが一緒になって溺れると言う事。

子供を殺す、相手を殺す迄はいかなくても、自分達の器量不足や弱さでいがみ合っている夫婦やカップルは星の数ほどいるのでは無いだろうか?そう言った人達は偶然に事件を起こしていないだけで、誰が件の二人を非難できようか。

小さな子供さんを持っている親御さんは、子供に生きる力を教えてほしい。自分を確立し、自分を認める強さである。自分は愚かであり、弱気であり、ずるい人間なんだと認める強さを教えて欲しい。手にしたもんが消えて行く恐怖に打ち勝つ強さと知恵を教えて欲しい。負ける恐怖に打ち勝つ強さ。恥をかく怖さに打ち勝つ強さ。其れこそがこう言った事件を減らす第一歩なんです。

貴方が誰かを助けようとか、支えようと決心したなら絶対的に強くならなければいけない。弱気者たちはゾンビの様に限りなくしがみ付いてくる。そして其れが自然の流れである。その覚悟が無ければ半端な事はやらない方が良い。先ずは自分自身を支えて生きていった方が良い。

自分はダメだなぁと自己肯定の少ない方は、自分自身の確立を優先した方が良いと思う。先ず自分がどう言った人間なのか、しっかりと見つめ直した方が良い。もう一度何が好きで、何処に向かって生きてどうなりたいのか明確に自分の中に生み出す事に集中した方が良いと思う。

お互いに押し潰される苛立ちや失う恐怖に負けないように普段の生活を見つめ直し、自分が先ず幸福に成らなければ大切なものは守れないという事を学んで欲しい。自分の足で立ち歩いて行けない奴がどうやって他人を抱える事ができようか。其れが原理原則なのである。自分を見失った時人間は判断を誤るからだ。最も重要な点である。

何をしたいかわかならい、何ができるかわからないと言う人も多いのが現実。年齢に関係なく其れは非常に幸福な時間を過ごしてきた証拠。のほほ〜んと生きてきた結果が「わかんない」「どうでも良いじゃんそん事」と言う結論になる。本来其れがベストなんだけどね。悪い事じゃ無いし、愚かな事じゃ無い。国が平和で多少の嫌ごともあるけど、日々何となく暮らしていれば済むと言う環境は素晴らしい事なんだ。一つだけ理解しておいてもらいたいのは、そう言った「のほほ〜ん」とした環境は偶然出来ている訳じゃ無いんだ。貴方が見えていない所で一生懸命その環境を維持しようと努力している人達がいるって事を知っておいて欲しい。その認識が欠如していると大きく判断が狂って来るんだ。自分が何をしたいのかわからない事がダメなんじゃ無い。陰で頑張っている人達のお陰で平和な日々をおくれているんだと言う認識が最も重要な事なんだ。そこさえ忘れないで日々暮らしてくれたら、後は別に考えなくて良いよ。いつも通り楽しく笑って生きて欲しい。

もし貴方がそんな日常に落ち込めないで、なんか虚しいな、なんか違うな、苦労は無いけど満たされないなぁと強く強く思うなら、真剣に自分の確立を再トライした方が良いと思う。小さな穴が大きなダムを壊す事を知っているかい?普段の何気ない誤魔化しが大きな狂気を生んで来るんだ。強い痛みでも強い悲しみでもない、なんか爆然とした柔らかな不安、其れを放置しておく事が最も危険な事なんだ。

今日貴方が一緒に居る人のミスや我がままを許せないと怒っているなら、相手に意識を使う前に自分の心に聞いて欲しい「何がしたいの?」「どうしたいの?」「何処へむかっている?」「本当にそれでいいの?」

今日貴方が自分の子供達に感情的に叩いたり怒鳴ったりしたら、子供達の眼を見つめてみよう。子供達は笑っているかい?子供達はハッピーかい?貴方の努力が子供達をハッピーにしてるなら良いけど、子供達が泣いてしがみ付いて来るようだったらそれは子供達はハッピーじゃない。もう一度自分がハッピーに居られるように見つめ直した方が良いと思う。本当に望んでいるものは何か?

先ずは自分がハッピーになる事なんだ!