死と言うもの

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それは誰も見た事が無いものゆえ
未知の世界


様々な記録によると生き返った人達も
結構居ますから、正確には殆どの人は
見た事が無いとなりますかね、、


夏目漱石も生き返ったらしいですから

棺桶に入ってから戻った人も

火が付いてから生き返った人も


うそっ
と思える人達が結構居るもので

世の中には理屈では説明しきれない
事が沢山ある


最近感じることは
子供達が「死」を経験しない事

テレビやゲームで死を見るが、
何故死が悲しみを生むのか
何故死が恐怖を生むのか
実感として無い子供が多いらしい


しかし田舎で爺ちゃん婆ちゃんの
死を暮らしの中で見ている子供達は
実感として死を感じている

「悲しかった」「何か解らないけど悲しかった」
「なんか怖かった」「寂しい」「有り難う」

様々な想いが実感として子供達を
包んでくる

つまり理屈ではない理解が
其処にはある


しかし暮らしの中に死を見てこない
子供達は死を知らない故に知りたい
と言う欲求だけが先走る

知りたいから何かを殺す

その行動は殺意無き殺人へと
流れていく


死と言う人間の運命を
隠してはいけない



魂にも重さがある
21グラムもある訳無いと思うが


魂などと言うと悪魔や天使に
話題が繋がるが、これまた言葉では
不十分な世界へなだれ込む


例えばエミリローズもレクイエムも
同じ題材の映画だが、一方は悪魔祓い
一方は保護責任者遺棄致死事件

カメラをどの視点から撮るかによって
話は大きく変わっていく

同時に説明不可の世界を
単純に否定してもいけない

死とはそういうものである


魂、霊魂、
それらも言葉では説明
仕切れないものであろう


気配、胸騒ぎ、第六感
それらも言葉では言い表せない



人間は8割の悪と1割の善で
出来ていると言う

善は何時の時代もマノリティー


まともな方は必ず
隅へ追いやられる


人間は善に生きてはいない

悪に生きているからこそ
善を求め

暗黒の世界に居るから
光が輝くのである


勿論それは四六時中の事では無いが



暗黒世界にフタをしない事だ
都合の悪いものにフタをしない事だ


己の勝手さも、ずるさも
己の卑屈さも、傲慢さも
全て受け止める事だ


怪我も死も苦痛も悲しみも
それらは知るべきことだし
隠しきれるものでは無い

自分にも他人にも子供にも
弱き者達にも過保護になるな

現実を直視する勇気を
持たなければ悲劇を生む

現実を受け止める力が無ければ
悲劇を生む

弱さが悲劇を生むのである


弱さを知りたければ強く在り
強さを知りたければ弱く在れ

光を知りたければ闇へ行け
善を知りたければ悪になれ

それは人間の原罪であろう

水中に生きて水を知りえない
悲しき人間の原罪であろう

愚かと言えばそれまでになるが
人間は対比でしか認識を得られない


肝心な事は、自分の心

自分の心を信じる為には
相手を信じること
裏切られても傷付けられても
なじられても馬鹿にされても
信じぬく事

その先に全ては見えてくる

君が居るから僕が居て
好きな奴が居るから嫌悪を生み
優しさがあるから冷酷になれる

雲が有るから空があり
太陽が有るから木々があり
繰り返しが有るから進歩を

人間が出来る事は限られている
人間が感じることも限られている
人間の命も、思いも、考えも
全て限界の中で存在する

だから無限を知る

無限を知って有限を知り
己の小ささを認識する

その時に初めて自分の足で
踏み出そうとする自分が居る