迷惑と言う言葉

「この度は皆様に御迷惑をお掛けして誠にもうしわけございません」

「人様に迷惑を掛けない様に」

この何気ない普通の言葉は、海外では理解し難い事を知っている日本人はどれだけいるだろうか?

迷惑はお互い掛け合うものが人間社会、だから「迷惑を掛けられた時は寛容になりなさい」と社会が進むのが一般的は海外である。

日本は「迷惑は有ってはいけないもの」である。

「迷惑」が有る事前提社会と有ってはいけない前提の社会では大きく常識が変わってくるし、人々への対応の仕方が変わってくる。

昨今話題の芸能人の薬物問題。「皆様に御迷惑を、、云々、、」

海外では、社会に謝罪っても意味が不透明。不倫なども同様で、個人の問題であり、私には迷惑はかかってないので、私に謝られても、、、となる。

特に英語の場合、迷惑と言う単語は無い。

迷惑かけて悪いね!と言うニュアンスを伝えたい時は、手を煩わせたのか?トラブルに巻き込んでしまったのか?邪魔をしたのか?イラつかせたのか?などより具体的な表現になる。何に関してどうなのか?が明確に言わないと会話にならない。一般的に英語は具体性を持った会話が多く慣れない日本人はコミュニケーションミスを度々経験してしまう。

対して日本は「空気を読め」の文化。具体性のある説明や会話があると逆にウザイのである。1聞いて10を知る、日本文化は具体性は発達しない。

こう言った文化の違いがあるので、誤解も生まれる。

「日本は凄いね」「日本人って偉いね」と言う外国人の反応見て、「尊敬」されていると認識すす自画自賛報道が多い。

海外では日本の物や日本のシステムに関しては「凄い」とよく口にするが、では日本人の様に日本の様になりたいか?となれば答えはNOが多い。

つまり「凄いよね」「偉いよね」=「驚き」に近く「尊敬」とはニュアンスが違う。勤勉で細かな神経を使い馬車馬の如く労働する日本人みたいに、多くの外国人は「あの様になりたい」とは思っていない。

日本社会は「寛容性」は非常に薄い。

それ故に「責任性」が強くなる。

心身共に張り詰めた日本人が、海外で寛容性の優しさに触れた時、大きなカルチャーショックを受けるのはこのせいである。ミスを許し、我が儘を許し、皆んなで笑って過ごす。日本はミスは許されず、我が儘などはもってのほかで、ありえない社会なのである。

どちらが良いと言う事ではなく、日本がグローバル化を狙って行くとしたら、こう言った文化の違いも受け入れる器量が社会に生まれなければ、それは無理な話である。勿論日本は日本のシステム、やり方ルールがあり、来た以上それに合わせていただく必要性もあるのだが、元来「迷惑はある事前提の社会」と「有ってはならない社会」の違いを認識し対応を図る必要性が出てくる。

「迷惑をお掛けして、、、」のたった一言に大きな違いがある事を知っている日本人はどれだけいるのだろうか?と思いながら毎回TVで頭を下げている謝罪人を観ている。

本当に言葉は文化でありなるべく訳すものではないと、つくづく思う。