日本と言う国、人々

スケートの方針違いによる内部亀裂

違法な薬などへの興味

性的欲求の吐口

社会人の暴言、暴力

罪の意識がない殺傷事件

昨今の日本の事件と話題は、日本の幼稚性が起因している思う。

スケートの織田氏の訴訟問題、まるでサラリーマンの内輪揉めと一緒である。内部でお互いの主張を仕合、それをどう通すのか?弾き出され徒党を組めない人間は第3者に助けを求める。内部に影響力の強いものは、徒党を組んで異なる者を弾き出す。成熟した社会では、こうはならない。日本は内輪揉めが好き、足のひっぱりあいが日々の仕事なのである。それこそが日本の美学。

小さい時ら守られて、責任を取る事を知らずに、己の主張をどう通すか、同勝ち組に乗れるか?そればかりで育ち生きている。

マスコミは、問題の根源を問わず「誰がどうした」「誰が悪い」と評論批判の繰り返し。根本的な論点がずれている自分達の姿も顧みずただ騒ぎ立てる。

日本社会の問題点は、主張の正誤だけで判断できない点がある。全体の調和を考えて正誤だけではなく、どんな正論でも忖度を持った両成敗を求める事だ。本来先に進む、改善をする、現状を変える、と言うときに調和は優先事項ではない。正しいかどうかで判断結論を出すべきであるが、それは日本社会では許されない。最悪の場合「誰が述べた意見なのか?」を持って判断する事が数多くある。

責任と言う自覚を子供の時から持たせずに育て、本来の目的も有耶無耶にして常に調和を求める社会、民族。其れが日本であり日本人の特徴と思う。

自ずと依存社会が出来上がり、幼稚な精神の大人が増殖する。

しかしそれが日本なのである。

昔から今もこれからも、ずーっと日本は未来永劫、成熟の持たない社会を構築し続ける。それが日本人の求める調和である。

日本の光である調和が、幼稚性を生み出して依存社会を構築し、目的と手段がごちゃ混ぜになった様な環境を生み出し、余計な手間暇もうみだし多忙な追われる人生になっている影を生み出している事実の認識する事から始めなければ、日本は未来永劫普請中なのである。

他人事は簡単に批判するが、多くの問題は「善」「正義」「光」から発せられてできる「影」である。目の前の現象だけを見るのではなく、問題の起点を見る様にした方が良い。脈々と流れる日本文化、日本の美意識、日本の精神、日本人のあり方、それらが数多くの問題の起点となっている事が実は多い。

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