そう言えば、、

そう言えば、、
昔から日本の人は保守的だよねって世界では言われている。
ファッションや一部の言動は、非常に革新的、開放的な部分があるのに
基本ベースは非常に保守的な人種だよって言われてた。
 
恐らく今も基本は変わっちゃいないのだろう
 
海外に於いても、原宿や秋葉などで見られるような格好をして
平気で外国の街を闊歩する日本人も増えてきており、、、
始めて日本人を見る様な人々は「日本人って凄いわね」と
驚きの声を上げる
(世界中で日本人を見た事が無い、先進国の方々は日本人が思っている以上に多い)
 
TVや雑誌でも日本の高校生や若者の開放的服装や
斬新的な主張は、年々海外でも紹介されるケースが増えている。
 
驚嘆の印象を持つ外国人も少なくない、、
 
処が
 
いざ日本人と関わりを持ち始めると、、、
日本人の言動が豹変する!
超保守的な思考に雁字搦め!
 
「なんでぇっぇぇぇ」
 
と2回目の驚愕が生じる!
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この表面と内面の格差がこれだけ激しい国民性も珍しい!
 
一見大人の様な、物事を理解している様な、、
知識もあり、知識人に見える方々が、、、、
 
関わりの中で繋がっていくと、、、
幼稚性や、保守性、依存性と言ったもんがどんどん溢れる
 
日本人は隣の芝生を憧れて、あぁだこうだとよく言うが
実際は、口にしているほど、それらを望んではいないケースが多い。
 
物事を知らない点も原因の一つだろう
「自由」と言う点についても然り!
 
自由に生きたい、好き勝手に生きたいとよく日本人は口にする
個性を大事にしたいと口にする!
 
がしかし、、
いざ、自由の責任性や個性の自律性を理解始めると、、、
「そこまでして、自由じゃなくて良い」
「そこまでして、個性に拘らなくてもいい」
となり、態度に変化が表れてくる。
 
そうなると外国側からは、、、
「日本人は自由ってなんなのか知らないのか?」
「日本人は個性って何のか知らなかったの?」
と言う疑問が私のところへ押し寄せてくる、!!!
 
個人的な見解として、、、
「日本は、隔離された世界を基準とした思考」
「世界が言っている自由と日本人の自由は別物」
と言う回答をする。
 
表現が哀しくなるが、、、、
井の中の蛙が、井の中の世界での自由を求めている」
いざ、井の中から飛び出して、鳥や獣や外敵に襲われた瞬間
たまらず一目散に井の中へ戻る!
「こんなはずじゃなかった」
「あんな思いするなら、ばかばかしい」
 
多少居心地が窮屈でも、楽な井の中が良いわ
それが日本人の根底に流れている。
 
この自覚が、日本人には欠如していると思える。
 
海外生活をしている日本人は100万人を超している
海外旅行をした延べ人数も膨大である
 
それでも、実質的に海外に暮らしている日本人は少ない。
食事も、アフリカに暮らしても「漬物」を付けて食べる
インドに暮らしても「味噌汁」だ
 
食事一つとっても、日本から脱しきれない
 
身体と心が受け付けない
せいぜい短期間の限られた時間は良いのであるが、、、
 
価値観もそうである
「何でアフリカこうなの?」
「何で中国はこうなの?」
「何で欧州はこうなの?」
と言う発言を頻繁に聞く!
 
世界中でこのセリフを言いまくっている。
常に日本が中心で、日本が基盤である。
 
外国から言わせれば、、
「何で日本ってそうなの?」となり、、、、
 
そう言われた瞬間、、、日本人は何も言えなくなる
 
「なんでそうなの?」
と言う不満の声の裏側には、、、
「改善」
「相違」
「共有」
「認知」
と言ったものが含まれている。
 
日本人は何気に思考しているが、、、
外国は、男に対して「何で貴方は男なの?」
女に対して「何で貴方は女なの?」
「何で貴方は白人なの?」と言う疑問は浮かばない。
 
日本は日本でそうなのであり
アフリカであり、インドであり、欧州であり
存在そのものを先ずは受け入れる。
 
「何でお前は、、いつもそうなんだよ~~直せよ!」
と言う思考は、海外ではあまり見かけない。
しかし、それは日本では非常に当たり前の思考である。
 
男女間、親子間、友人同士でもそうだが、、
「貴方のここは、良くないところ、欠点を直してより良くなった方が貴方の為よ」
この思考は日本人にとって至極当然であり、愛情にも繋がる。
 
外国人と暮らすと、、、あまりそのセリフは言わない!
好きか嫌いかは、はっきりと強調するが、、、
「直せ」「改善」などの単語は出にくい。
なぜならば、その嫌いな処をひっくるめて相手を認めている
「ったく、だからお前のここが嫌いなんだ」と言う喧嘩は良く在る
しかし「直せ」とは言わない。
 
相手を尊重する仕方が違う。
そのまんまを容認する。
 
日本人は、、
「私は私、比較しないで、そのままを受け止めて」
なんてよく口にするし、詩にもなっている。
 
しかし実際は、、、
「そのままを容認する」と言う言動は日本人は不得手である。
 
以前も話した、自然観の違いもあるし、言語構造も違うし、脳の働きも違う
 
個性を求め、個性を否定し、自由を求め自由からの逃避をしている
自分達の姿を認識していない。
 
この観点から述べると、、、やはり自覚の欠如!
 
徹底して、、、
日本人とはなにか?
何が好きで、何ができなくて、何を求めているのか!
を気付かせてあげた方が良いと思える。
 
企業活動でもそうだ、、、
「あぁ休暇欲しいなぁぁ」
「休めば?」
「許可でないし!」
「?」
「それに迷惑を掛けけるし」
 
怒られたり、小言を言われたり、許可を取るまでの努力が嫌なら
「始めから、休みたいと口にするな」
周囲の方々への心遣いで(遠慮?)が有るなら、
「始めから休みたいと口にするなよ」
と外国人は思える、、、
 
まるで駄々っ子に見えるのである日本のサラリーマンは!
 
多くの日本人はそうである。
そう言った愚痴?をアフターファイブに皆で言い合って
愚痴愚痴生きていくのが好きなである。
 
いざ、改革だ!いざ努力だ!となり
自分の現状の生活が崩れるとなると一変して態度を変える。イメージ 2
「そこまでして、変えたいとは思わないし」
 
だったら文句を言うな!
「でもさ、たまにや言いたいじゃん」
「皆でこうやって支え合ってやっていこうよ」
 
アホらしい!”
と個人的にはなるのである。
 
 
だから、、日本人は日本人なのである
どうして???と考えるよりも、、、
先ずは「私はこう言う人間なんだ」と自覚を持つべきだろう
 
「どうして?」思考は、歴史的背景とか、経緯を読み解くのに使うが
存在の在り方を見るときは「どうして?」じゃなく
「あぁそうなんだ」と事実、現実を容認した方がいい
 
「何であいつは自己中なんだ!」と怒るだけじゃなく
「あいつは自己中の人間なんだ」と容認するだけ
その我儘な人とどうやって関わり合っていくのか
自分自身の管理を考えた方がいい。
 
まぁ日本国内では困難な事だが、、
 
自己中なんて許されるもなく、、、
度が超したりしたら、、、社会からはじかれる
我儘は悪なのだから、、、日本では、、、