ひがみ根性丸出し

日本と言う国は「抑圧」の国であったと思う
ここ最近は違うと思うが、、、
 
明治維新をきっかけに解放ムードが漂ったが
民衆の「心」は保守的だった
 
文化を、日本を大事守ろうとした
 
それが、1970年代?位まで、、
日本人に「抑圧」を植え付けたのかな?と思える
 
自由が無い、個性が無い、これもダメ、あれもダメ、、
で、、、
このひがみ根性と言うか、幼稚な思考と言うか、、
そう言った連中が、絆を深め、、、
「弱者保護」「平等」理論をぶちまけて、、、
 
経済面からも、、、
「1億総数中流階級」が打ち出され、、、
1億総数中流意識が育まれ、横並びの環境が生じた。
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元来、日本人は「横並び」が好きなのでしょうし
「横並び」が生き延びる術でもあったのでしょう
 
限られた狭い環境で、海に囲まれ逃れられない
国土の上で皆で生きて行くには「横並び」が良かったのかもしれない!
 
連帯感、安心感と言ったものを生み出すのでしょう「横並び」は!
横並びの光は、絆と呼ばれているみたいだが、、
横並びの影は、僻み根性を生み出す面がある。
 
「連れション」文化と言う呼び方もあるが、、、、
 
兎に角、、何でもかんでも、皆で、、、
昼食も、皆で、、、頼むメニューも周りと同調、、、
 
このだらだらした、金魚のフン行列には幾つになっても付いて行けない。
 
こう言う数人の仲良しクラブ環境を横目で見ながら
「一人が嫌なくせに、何故自由が欲しいと言うのだろうか?」
といつも疑問に思う。
 
個人的結論は、、幼稚さと判断しているが、、、
 
一人じゃ何もできないし、一人は嫌だけど、、
関わり合いの中で、余分な責任は負いたくない
詰り、、、都合の良い仲間同士の集団はOKである。
 
これが今の日本の大きな特徴だと思える。
 
そしてその「責任」逃れの小集団が、、、
時に手を組み「弱者保護」などの横並び平等作戦を実施してくる
 
「出来ない子が可哀想だ」
「格差は社会の悪だ」
「競争社会は心を傷つける」
「子供の心を傷つけちゃいけない」
「褒めて育てるべきだ」
 
などと一面的な横並び平等標語の並べまくり!
 
個人の格差も、社会の格差も必要であり
格差のない社会はあり得ないし!
 
人間生きて行く以上、傷つ付くし!
泣いて笑って怒って悔やんで、、それが人生だし!
 
競争が無かったら、自己啓発できないし!
 
褒めるだけじゃ馬鹿になるし!
 
大たい最近何でもかんでも障害が病気だと騒ぎ過ぎだ。
 
子供だって肉体的にも精神的にも転んで怪我をして
痛みになれなければいけない側面もある
 
自分のレベルを自覚させろよ!
自分を客観視もできない、愚かな人間が増殖したら国が滅ぶ
自分は何が出来て、何ができなくて、どのレベルの人間なのか?
それを徹底して叩きつけろ!
 
同時に努力しても届かぬ領域がある事を教えろ!
 
その上で努力を続け、夢を見るのか!諦めるのか!
決断は子供とは言え、自分で或る程度導き出すもんだ!
 
夢と言うのは、結果の為だけにあるんじゃいない!
努力と言われているものは、結果とは別次元のものでもある!
そう言う事も教えられない親が増えたのは、己自身が
夢とは努力とはを認知していないからである!
 
「夢じゃ飯食えないし」
「努力して報われなかったら損だから」
馬鹿な大人が増殖している!
大迷惑な話である!
 
何が勝ち組、負け組だよ!
大たいそう言うセリフは「ひがみ根性」の塊!
非常に女々しい言動である!
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と非常に決めつけた様な表現をしてきたが
世の中、そう言う人間が殆どを占め居ているのである
今までも、これからも、、、
そう言う人達を「民衆」と呼ぶのである!
 
「民衆」は消えてなくなる存在ではない!
 
故に、、日本は「未来永劫普請中」の看板を下ろせない!”
 
日本は幾つになっても日本なのです
欧米になれる訳もなく、なる必要もなく
日本は日本のままで右往左往していくものなのです。
 
そのときに結構大事な事は、、、「自覚」
これは非常に大事さ!
 
己を直視する強さと賢さとが必要だ!
 
ほんの一握りの人しかできないが、、、
「崩れさる物を大事に守る」
「負けるゲームを続ける」
「騙されると解ってて騙されてあげる」
こう言ったものをしっかりと行動できるものが必要だ!
 
そして真の賢者は、、、、それだけじゃだめさ!
 
一見無意味な言動を取り続けるが、それが無意味ではない事を
見通す「能力」を兼ね備えなければいけない。
負け犬、馬鹿だと言われようが、何が真実なのか見抜く「能力」が
なければいけない。
騙されても、利用されても、己のスタンスは動じない「能力」が
必要なのである。
 
詰りソクラテスでもあり、キリストでもあり、宮沢賢治でもあり
そして、現実社会の中、スポットライトもあびず、、
淡々と社会を支えている自覚を持って生きている人達が賢者である。
 
世界の優秀校と言われている所では、、、
各方面で、賢者を育てようと努力している。
これが認知されていない凄さなのである。
 
言うは易く行うは難し
 
その通り、、、だから一部の人間しかできないし
それがエリートなのである
 
だから、、始めから言っている様に、、、
出来ない奴には出来ないって自覚を持たせろって事。
半端に、貴方は賢いのよなんて言うから狂人になる
多くの民衆はエリートになれないし、なる必要もないし
唯、己の目の前の日常を通して、己の自己実現とやらを
横臥して、楽しく過ごし、死んでいけばいいのである。
 
賢者達よ、、見えてきただろうか?
聞こえてきただろうか???
この騒音のなか、静かなる言葉が!!
群れる事なかれ!
目立つことなかれ!
民衆の自作自演の晴れ舞台を見守ってあげればよい。
それが人間の宿命と言うものである。