来年は、、、見極め

パワハラやセクハラやモラハラ体罰、今年も様々なケースがとりあげられ話題となりました。

多くの事象は線引き、定義づけが曖昧になっていると思います。その点が無用な議論を呼ぶ原因の一つかもしれません。

例えば体罰。文部省は機械的定義付けは困難としています。詰まり人それぞれ線引きが違い、価値観の相違により勝負議論が始まり、建設的議論が進まない。

セクハラ裁判も然り。双方の価値観、視点にズレがあり定義が明確になっていない。被害者は「無理矢理された」加害者は「子供じゃないんだから、行動を共にしたあなたの責任はどこにある」と論点がズレてくる。「無理矢理」とは何処までか?男性と二人きりで酩酊する言動の甘さは無いのか?職権を利用し性行為を狙ったのかどうか?

先ず我々が議論すべきは、定義を明確にして共有化する事でしょう。線引きは難しい、定義付けは簡単じゃ無いと言うが、元来定義付けはできると考えます。

困難なのは、定義付けではなく「見極め」です。

その人間の真意は何処にあるるのか?あったのか?そこを見極める事が困難であり、定義付けが困難という事では無いと思います。

人間は嘘をつく動物です。

愛情からきた怒りです、愛の鞭です。性的下心は一切ございませんでした。その発言の真偽を見極める事が困難なのであり、何がセクハラ、何が体罰、何がパワハラという定義付けは冷静に議論すれば可能と思います。

裁判も言葉の揚げ足取り、実例の有無などの勝負事に終始。本来裁判の本分は何処にあるのでしょうか?人間の心が生み出す問題に「法」を持って対応する。しかし「法」だけでは解決できない問題は「人心」を鑑みる。「法」の未完成な部分を良く理解しているべく裁判官は社会問題の根源を一番理解しているはず。「人治」「法治」未だに人類はベストの解決策を見出せないでいる。

定義付けを明確にして共有化できなければ、いくら熱く議論しても生まれるものは少ないでしょう。視点が違う論点が違う、その中で建設的議論は生じません。

情報が先行する社会、一旦定義を整理すれば多くの議論は冷静さを取り戻すと思います。その整理を優先的に行い、その上で見極め問題をどう着手していくのか?議論すべきと思います。

人類史上未だかつて誰も解決できない「人間は嘘をつく動物」と言う難解な問題。答えは不変です。「人間は嘘をつく動物」なのです。

嘘をつくな!と強制する事は対策にならない。

「嘘をつく動物」と言う事を受け入れる事を忘れている。

その事実を受け入れて、その上でどうするのか?其処が議論されるべき論点です。

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2020年

人類が解決策を見出せないでいる多くの問題が、例え完璧な答えでなくても少しでも改善できる様な道が見えてくる事を望みます。

その為には勝ち負けの議論ではなく、幼稚な責任逃れの誤魔化しでもなく、言葉の揚げ足どりの非難でもなく、建設的な熱き議論が一層巻き上がる事を要します。

世界中の人々が良い年にできますよう、、、

今日この時間に戦火で死んでいる人もいる、その家族もいる。

この瞬間、幸せな時間を過ごしている人々もいる。

たった今、飢餓で死んだ人々がいる。

先程産声を上げた子供達もいる。

どうぞ、目の前の時間や家族、友達、仲間達に感謝して一度深呼吸をし来年へと踏み出して頂きたいと思います。

良い年を迎えられますように!!👩‍❤️‍💋‍👩