2019年 振り返って 

2000年ミレニアムから既に19年過ぎた。2000年就職した人でも2020年は42歳になる。ミレニアム生まれの子供達は20歳になる。時間の流れはとても速く、今日自分達の目の前に広がっている便利な物も20年前には存在するしていなかった物が沢山ある。変化のスピードがデジタル化により加速し、世界はドンドン先へと向かい走り続けている。2019年日本は元号が変わった。

多くの有名人も順に他界している。多くの殺人事件も発生した。多くの裁判も行われた。多くの事件事故が今年も繰り返され人々は生きる事に懸命に日々を過ごす。これ自体は未来永劫不変だろう。人間が生まれ人間は生きて人間は死んでいく。

多様性

多くの事件事故で話題になるのは、追い詰められたマイノリティ。画一的なステレオタイプの現実に落とし込めようと社会は動く現実。

禁煙ブーム、ハラスメントブーム。

悪法と呼ばれている禁酒法と同様に、喫煙自体も社会の正義により押し潰されている。個人嗜好を管理する狂気。

有名人のセクハラ問題、スポーツ選手のパワハラ問題、性的相違のモラハラ問題、従来大きな問題として騒がなかった問題が一気に社会の面に吹き出してきた。

弱者保護、マイノリティー保護という正義の美旗を掲げ一気に世界を画一的に強制を図っている。

例えばセクハラ

従来は個々の責任に於いて処理をされた問題が、多くの女性達のシュプレヒコールで多くの男性達が裁かれた。同性愛の世界でも同様。全てに於いて個々の事情があっての発生している問題であると思う。

強制的に相手を押さえつける性的行為は現代では許されない。一方で自己利益を少しでも優位に確保すべく意図的に性的接待を行う人間達もいる。服装、出かけて行く環境、様々なシチュエーションが事件を呼び起こす。

職権を利用した問題も然り。上から押さえつける様なパワハラ、下から脅しの様なパワハラ、職務遂行の正義感からでる越権行為、こう言った問題は、法律だけでは線引きが難しい。

タバコの煙は害があると叫ぶなら、車の排ガスは何故全面禁止にならない?お酒の事件は何故、全面禁止と向かわない。何故今、タバコだけが全面禁止と向かっているのか?

逆に欧米では当たり前の光景、公共の場所でのカップルなどのキスや抱擁。何故日本では嫌がられる?別に他者に迷惑は掛けていない。それでも日本人はそれを自粛する。

 

女性の服装やお化粧。元来人間は他者へアピールする為に装飾を生み出している背景もある。相手に綺麗に見られたい、格好良く見られたい。視線を得たいと言う本性からくる、露出度の高く格好いい服装やメークを行う本性の部分はどう判断すべきか?

又、たとえ自分自身の為のファッションとしても、公的場所は私有地じゃない。色んな人間が居るのが公的場所であり、服を着て出て行く事自体防御の意味合いもある。いくら個人の自由とはいえ、視線を集める様な格好をする側にも責任は生じる。その責任が問われなければ、迷惑走行も問われないという事になる。ファッションは迷惑を掛けて居ないと言うが、迷惑を掛けなければ良いという事にはならない時もある。では裸で歩き回るのは何故犯罪なのか?裸は犯罪でミニスカートは犯罪じゃない違いはどこにあるのか?共に自分の嗜好であり、自分はこれが良いと思っている事には何ら違いは無い。キスはどうなのか?タトゥーはどうか?

視線を浴びせる事自体、何も性的な欲求だけは無い。

障害者、珍しいもの、変わったもの、全ては視線を浴びる対象となる。ミニスカファッションを男性の本能で見てしまい女性に嫌な思いをさせ犯罪となるならば、障害者を邪険にしたり、哀れみの視線を浴びせる事も犯罪となるだろう。無職の路上生活者を蔑んで見る事も犯罪とすべきであろう。タトゥーをエンジョイしている人間を、避ける様な言動をとる事も犯罪であるべき。何もしていない暴力団を見て、避ける様に逃げて行く事も犯罪となる。そう言った本能が為すべき言動までもハラスメントと一括して良いものだろうか?

職場の越権行為も同様。色仕掛けで昇級や昇格、そして受注や情報を得る人間もいる。一方でそれを悪用し性行為を強要してくる人間もいる。何故其れが生じてくるのか?

不透明な競争社会。

政治家、大手企業、多くの企業には学閥、派閥、人脈の繋がりが存在する。社内の審議に於いても社内営業、根回し文化は今でも常識的に存在する。ある者は全体視野で押し進める。ある者はミクロ視点で押し進める。何方も会社の為、社員の為、お客様の為などと懸命に動く。白黒明確に線引きは不可能な問題である。その明確に判断が難しい事の選択をして行くとき、付加価値の部分が活きてくる。

同じ企画書が3部事務的に提出される。選択決済を行う幹部社員達は、その3名の素性を知らない。同じメーカーの同製品の見積書を3社から相見積をとる。3枚とも同価格の見積書が来た。その3社の営業や会社を選択決済を行う購買担当者は会った事も採用した事もない。顧客数社から緊急手配依頼が同時に来た。それらの顧客とは通常業務で会った事も話した事も無い。その中でその数社の緊急依頼から、どれが優先なのかどうやって判断するのか?そう言った判断が難しい状況が日常に転がっている。故に普段からコミュニケーションを図り、根回しもして、接待も行い、いざと言う時に自分達が選ばれる様に日々営業活動を行う。つまり競争社会で選んでもらう為に四苦八苦と手を打って行く。その延長線上にハラスメントや越権行為は起きている。

ハラスメントを無くすには、人間の活動を廃止するのが一番である。機械的データーで採用し、人間を判断機関から外す事である。人間には感情がある。好きな相手を高評価するのが人間である。故にハラスメントが起きる。人間は動物であり神では無い。無機質に勧めて行くならば人間を排除するしかない。

時代は機械的なデーターベースで感情を持たずに客観的に物事を押し進める時代へと向かっている。最終的には面接も無くなるだろう。色仕掛けも通用しない。逆にセクハラも無くなる。採用側は性別も知らない、人間性も知らない、あくまでデーターベースで判断するしかない。当然データーのジレンマが生じ、データーの正確性などが次のテーマと変化して行く。個々の人間が、己の責任を顧みず責任の押し付けだけで時代は動いている。如何にリスクを負わないか、如何にリスクを他へ流すか?如何に抜け穴を上手く通り過ぎて行くのか?

いつの日か女性は好きな格好で一層の露出度の高い服装で生活できる時代が来ると思う。それはバーチャル時代。実際には女性は部屋にいながら全ての日常生活をおくれる。バーチャル世界故に実際に触れられる事はない。周囲の男性がどんなに群がって来ても誰も本当の貴方に触れる事は不可能になる。其れがセクハラへの対処となるだろう。人間が動物である以上オスがメスを、メスがオスを求める様に思考は動き、思考は習慣を作りあげ、社会を作り上げて行く。線引きが困難な社会問題には、法治国家も人治国家も通用しない。絶対の保護はバーチャル世界となるだろう。

当然殺人、事故、事件、今日起きている事象は無くなって行く。

遠い昔昔、、法律は存在しなかった。個々の人間がキチンと自立し責任をとり、節度ある言動を起こしている時は法律は生まれない。いつの日か人間が増殖され、良い人と悪い人が生まれてきた。そして愛する者を守りたいと言う人間の愛情が、喧嘩や戦争を生み出してきた。愛情や正義が人間を傷つける側面が表面化した後、法律は生まれてくる。法律が生まれ融通が効かない世界になると人治は見直される。人治と法治。

全ての問題は人間の心が生み出している。自立、自律、責任といったものを真摯に受けとめ、個々の人間全てが同じ価値観でキチンと生きる事ができるならば、今日の問題は全て解決するのである。

人間は動物であり、感情と知恵を持ち得た生命体である。

人間全てが同じ価値観、同じ知的レベルになる事はあり得ない。

セクハラも相互関係の利益が重なれば問題にはならない。パワハラも相互利益が掴めれば「苦しいかったけど、アレが有ったからこそ優勝できた」と美談にすり替わる。結局お互いの利益が合致し結果を得られたら問題は表面化しないのである。露出度の高い服を着て街に繰り出し、自分好みの男性に言い寄られ、触られ、きっかけは性的興味から始まったが、結果お互いに意気投合すればセクハラにはならないだろう。脂ぎったブサイクな中年親父がイヤらしそうに見詰めるだけで犯罪と化す。正に逆セクハラだろう。相互間利益の合致が結局人間社会の問題の根元なのである。

そしてそれは自然体なのである。無意識に好みの男性に言い寄ることも、上司に美辞麗句のオンパレードで従うことも、男性がsexyなものに惹かれることも、全ては自然体の現象であり、個々の人間が節度を持った言動を取れたら、何ら問題にならないことなのである。

しかし、ここまでやったのに結果を得られなかった、そう言った弱者が負け組が騒ぎを大きくし問題が表面化になる。

今年も含め昨今騒いでいる問題は、人間の自立意識の変化に影響されている点が否めない。裁判や警察などに頼らず従来は個々の問題として、個人的に処理をしていたが、思った結果に至らなかった犠牲者達の声が大きくなった。期待した様な結果を得られる人数は限られている。殆どの者達は泣き寝入りだった。その泣き寝入りをしていた者達の声が一気に噴出している現代。時代は少々短絡的思考に偏っている。

犯罪とそうじゃない線引きが困難な環境はあくまで人間の相互関係で成り立つ。問答無用の犯罪の犠牲者は救われるべきであるが、そうではないケースは再度一人一人が自己責任も踏まえて再考する必要性もあると思う。単純に責任を転嫁したところで問題は無くならない。

問題の根源は人間の心 法(ルール)だけでは解決しない

横並びは平等とは違う 多様性は格差も孕む

議論が生じる事は賛成だが、リスクや責任といったものを押し付けるだけの議論は、感情の軋轢を生むだけ。建設的な議論が来年は増えることを望みたい。