子供と言う存在
子育てに関する経費が1970年代以降非常にあがっており、その勢いは止まらない。
そのう様な記事を読んだ。
原因は女性の労働進出などの社会変化が起き、人件費増、不動産上昇、及び教育機関維持の為の経費も複雑化し増額。
子供は個人資産か国家資産か?
問題のあり方や、子供と言う存在の捉え方も時代と共に複雑に多様化している。答えは単純に「こうだ!」と言えない環境になっている。
一人の人生、一組の夫婦の人生など見れば、親の介護、子の教育、自分達の健康、様々な経費がかさんでいき、金銭的、肉体的、精神的、多くの負担が掛かっていく。
問題の多様性、概念の多様性、、
この多様性をどの様に受け止め、どの様に対応策を見出していくのか?あくまでも個人に委ねるのか?国家で援助を見出していくのか?
自分達の子供を他人に委ねる
自分達の子は自分達で育ている
子は要らない、子は必要だ
子供は負担になるだけ、子供は宝だ
自分自身の欲望を満たそうとすれば他は一切邪魔になっていく。自己実現の為には仕方がない。利己主義で生きていくべき。
我慢する事からスタートするかもしれないが、その我慢の先に自己実現だけでは得られない幸福があり、我慢が我慢でなくなり幸福が倍増する。子育ては犠牲じゃない。
利己主義も利他主義も結局両方求めるものだろう。
そのバランス、境界線が100人100通り。
そこに多様性の難しさがあるが、他者、異論者、違う意見、違う生き方、そう言ったモノを画一化しなければ良い。
多様性の問題解決は利己主義の先に見えてくる側面もあるような気がする。画一化は問題を困難にしている。
教育問題は未来へ繋がっている問題でもある