謝罪
東大准教授、謝罪に追い込まれる
東京大学大学院情報学環・学際情報学府の大澤昇平氏・特任准教授は1日、自ら経営するAI事業会社の採用をめぐり、「中国人は採用しません」などと差別的な投稿をしたことについて謝罪し、問題のツイートを削除した。
今、日本は何でもかんでも単純化、画一化しようと言う動きが強すぎる様な気がする。
今回圧力により問題の准教授に謝罪をさせているが、本当に当人は「いけない」と判断したんだろうか?
今回の彼の言動で問題なのは、表現の仕方であって彼の「心」ではないと思う。
東大准教授でありながら、余りに子どもじみた表現をし、焚きつける様な動きをとっている。まるで中高生のノリの表現方法である。
彼が「中国人嫌い」と言う感情を抱いている事自体、誰も裁けないはずであるのに世の中群を成して、彼を悪魔の様な扱いをし批判謝罪の強要をしているが、問題認識がごちゃ混ぜになってなければ良いと願う。
もし個人の心まで画一化しようとすれば、その言動こそ危険思想であり狂気をはらんでいるいる事に気付いているのだろうか?
世の中多様性を保つべきであり、画一的に追い込むのは非常に危険な社会である。
色んな人間がいて、色んな企業が存在して、其々が主義主張を持って「違う存在」であるべきと思う。
この20年程度世界でも「テロ」と言う表現で一部の人間達を追い込んでいるが、そもそも画一的に「正義」を押し付けようとした危険思想に反抗し、窮鼠ネズミを噛む的な背景で生まれてきた側面も事実である。
マイノリティーを追い込んで、相手を恐怖や不満で平常心を保てない様にしておいて、殴られたから「この人犯罪者です」と平然と言う狂気と同じである。問題の根源は怒って殴った本人ではなく、追い詰め殴る様に差し向けた側が問題の根源である。
今、此処が問題視されていない気がする。
京都放火事件もそうだが、必ず事件の背景に「追い込まれ、押し潰された心」が存在する。
誰もが嫌いなもの、好きなものはあって然り。性格が合う合わないもある。其れを「正義は一つだ」余りに単純な思考で他者を追い込み潰していく事は、絶対に狂気である。
宗教的に採用条件のある企業、ない企業。人種での採用基準がある企業、ない企業。性別、年齢、学歴様々な諸条件、基準があって然り。
そう言った多種多様の「意識」がお互いに潰し合うのではなく、主張し合い平等に存在し得る環境を作るべきであり、歴史に残る「魔女狩り」「禁酒法」などの様な愚行は繰り返さない方が絶対に良い。
件の彼が心から「主張は間違っていた」と思っているのか?「圧力掛けられたから仕方がない」と思っているのか?
黙秘するのではなく毅然と意思を述べて欲しいと希望すると同時に、幼稚な言動ではなくキチンと自分自身の主義主張を説明して貰いたいもんである。
我々が討議しなえればいけない問題は「差別」と「思考」の問題である。
私は「〇〇が好き、嫌い」「この宗教が好き、嫌い」「〇〇人が好き、嫌い」と主張する事は「差別」にはならないだろう。
同時に主張する方も幼稚な言動はあってはならない。キチンと何故その様に感じているのか?何故その様に思うのかをキチンと説明すべきである。
人間である以上、好き嫌いもあるし、肌に合う合わないもある。それ自体は誰も管理はできないし、画一化する必要性はどこにもない。
「差別」とは個人の趣味志向を用いて、相手に危害などを加えるかどうか?
今回の場合「就職の機会」を中国人には与えない、という点である。
これが差別なのかどうかである。其処が議論点であり、彼が中国人に対しどんな感情を持っているのかは、問題の根源ではない。
実社会では「学歴」「年齢」「性別」「性格」「宗教」「出身校」「出身地域」「国籍」様々な選別に利用されている条件がある。
身銭を切って起業し、貴方が採用をしていくとき、本当に全ての条件において平等に対応できるだろうか?
だとしたら、何故就職用の整形が出現するのか?何故就職用のファッション、メイク、が流行してくるのか?何故有名大に入学しようと懸命になるのか?何故、人脈をつかえ、などと攻略本が出ているのか?何故色仕掛けなどの事件が起きるのか?何故賄賂などの事件が起きるのか?
結局人間は「全てにおいて平等」に心や言動を持っていく事は出来ない動物なのである。
いくら理想を述べた所で、所詮人間は好き嫌いのある動物なのである。
決して就職だけの問題ではない。結婚もそう。経済的、家族背景、容姿、性格、様々な嗜好で選別をする。それが人間である。
「〇〇人は採用しません」と言う企業も有っても問題はないと思う。必ず「弊社は国籍全く関係ないですよ」と言う企業も存在する。「弊社は高学歴のみ採用します」「弊社は学歴一切無関係」「弊社は容姿端麗のみ採用」「弊社は性格重視採用」「弊社は仏教の企業です」「弊社は国際的感覚の強い人を採用します」などと色んな企業が有るのが自然であると思う。
様々な主義主張、理念、方針の違いが有るのが普通であり、それが企業の特徴になると思う。
人間社会の一番の問題は、主義主張が違ったときに「潰し合う事」である。
決して潰しあってはいけない。
白も黒も黄色も茶色も赤も緑も右も左も、此処の主張、主義、理念、好き嫌い等は、誰も裁けないし、誰も画一的に決める問題ではない。
件の准教授の「嗜好」はどうでも良く、議論すべき問題点は「就職の機会」の限定、及び他のケースの「就職の機会」はどうなっているのか?
日本人でも中国人の好きな人嫌いな人、中国人でも日本が好きな人嫌いな人がいるのは、あくまで自然のことであり、狂気ではない。
狂気なのは「人の心」まで画一化しようとする「正義」が狂気なのである。
最後に人の心は移り変わる。
今日「〇〇は嫌い」と思っていても、いつの日か「〇〇が好きになっちゃった」と平然と掌返しのできる動物が人間である。いい加減な動物である。狭い人生経験の中で培っていく感情、思考。日々移り変わるものである。