国民主権

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ある政治化が言っていた。
日本国民は自立心を持たなければいけない

再三ブログで書いたように
その通りと思う。


しかし、日本人が自立心を確立することは
ほぼ不可能に近いだろう

国土環境、社会環境、文化的背景
色々な角度から見ても、日本人が
自立心を養う環境が無い。


何時も言う様に一気に管理下において
半ば強制的に自立心を植えつけない限り
自立心は育まれない。



自立心は日本人のアイデンティテイーの
根源にぶつかる問題である


しかし、今よりは多少自立心を
強めることは可能


依存型の思考からの脱却は可能


それを競争化の中で養おうとすれば
較差を容認せねばならない

人を蹴落とし、人を掻き分け
傷つき傷つけ我武者羅に生き抜く
他人の事など考えている場合じゃない

これを日本国民が受け入れるかどうかだ!

それが自立心に繋がる



これは恐らく日本では出来ないと思う


地方自治体が、庶民一人一人が
国に頼らず、己の力で何とかする

恐らく出来ない



現状は助けてくれ~と喚くだけ

助けてくれない者が悪で
弱き自分は無罪なのである


弱さが罪にならない環境で
自立心がどのように生まれるのか?



政治家はそれを知っている。
しかし国民に「国民は国に頼るな」
「自分で何とかしろ」「国に貢献する事が先決だ」
とは決して言えない。

言ったならば、票をもらえない
当選しない。

だから、依存の民意に媚を売るような
政策や発言を繰り返す。


つまり日本は民主主義や国民主権
確立される土壌が一切無いと言う事だ。

民主主義とは国民一人が政治も経済も認知し
自立する心を持って始めて活きて来るシステム。

その土壌が無い国で、民主主義なんか
有り得る訳が無い。

民主主義、国民主権とは、国民一人一人が
自分の政策を実行し、自分達の国を豊かに
する為に、代表を選び自分達が考えている
方向に持っていく為のシステムである。


それが、おらが村に橋を、おらが街に道路を
新幹線を、幼稚園をと目の前の利益に捉われ
国全体、世界情勢を考えない思考を要求するだけの
国民に主権など持てるわけが無い。


今失業者の問題がある
自分の給料を減らして
シェアリングをしたいと
思える国民がどれだけ居るのか?

今技術開発の使い方で遅れを
取っている日本の為に、自分が
率先して身銭を投資する国民が
どれだけ居るのか?

少子化の中、幼稚園を増やせと言う
子供が減っていく一方なのに増やせと言う

家族の面倒さえ金で解決しようとする意識の中
子供の怪我まで役所の責任だと意識する中
拉致問題も冷ややかに政府の対応だけを見守る
意識の中、どうやって国を創り上げるのか?
どうやって自立した思考を確立できるのか?


不可能に近い


その事を国民に叩きつけるべきである

国民一人一人が政治情勢や世界情勢
経済問題等を普段の生活で考えられる訳が無い。


世の中の殆どは、兎に角飯が食え
平和で、そこそこ貧困にあえぐ事もなく
人生をまっとうできればそれで良いのである。

それを徹底して認識させる事だ!

そして、主権が国民に委ねられる事も
無い事を認識させる事だ。

人間は一定の管理下の中でしか
和を尊ぶ事が出来ない。

人間は一定の管理下の中でしか
自由に生きることは出来ない


人間は一定の管理下の中でしか
生きていけない事実を認識させる事だ



何故それが出来ないのか?
怖いからである

管理下=恐怖=束縛=独裁
等の認識が働き、単に怖いのである



人間が人間を管理するからマズイ
人間が人間を評価するからマズイ
人間が人間を序列するからマズイ


そこがポイントになる

ヨーロッパはそれを知っている
システムの構築を何十年前から
試行錯誤し、既に気付いている。


故に管理経済へと移行しようとしている

しかしヨーロッパがシステム構築の中で
責任の所在を何処に置こうとしているのかは
疑問である。




経済学上、資本主義ー共産主義社会主義へと進歩していく
らしいが、人間社会学では、社会ー共産ー民主へと辿るのでは?