良心喪失の国民

学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当していた財務省近畿財務局の男性職員、佐川宣寿元国税庁長官(62)の指示で決裁文書改ざんを強制され自殺に追い込まれたとして、妻が18日、国と佐川氏に計約1億1300万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。

その自殺した財務省近畿財務局男性職員の手記や遺書が公表された。手記には「決裁文書の差し替えは事実で、元はすべて佐川氏の指示」と記され、当時財務省理財局長だった佐川宣寿元国税庁長官が主導した不正の経緯がつづられている。

又、「当時、赤木さんとその下に2人の若い部下がいるんですけど、3人が涙を流して抵抗した、と。だけど、結局は組織だから上の人間がやれって言えばやらざるをえないってことで、その時に赤木さんは下の2人にやらせずにこの汚れ仕事を自分1人でやったということなんです。彼は亡くなる前に下の2人にはやらせなかった、それは良かったという風に言っていたそうです」と言う記事も見れる。

マイノリティー救済問題もそうだが、結局多くの日本人は「人間としての個人思考を喪失」している。

指示だから、規定だから、管轄外だから、組織だから、雇われている側だから、全て言い訳に聞こえる。

結局ジョーカーに洗脳された人種は、思考の放棄は出来るが欲望の放棄が出来ないのである。正にジョーカーが君臨する国である。

戦禍;女子供の頭を打ち抜き、殺しまくってきた兵隊。泣きながら言う。「上司命令だ」「組織の為、お国の為」そして、戦後になれば貝になる。眠れぬ夜をいくつも数え、反戦を訴える。何故眠れる夜を過ごすのか?何故件の職員は自殺する迄思い悩んだのか?命令でやっただけ、組織人として立場の責任を全うしただけ、それだけなのに何故涙を流す?

その涙は己の自己喪失の涙なのだ。自分の良心が泣いているのである。

ジョーカーに洗脳され、罪を犯し冷静さを取り戻した自分が、自分に問う。「本当にそれで良いのか?」「それがお前の望む事なのか?」「それが父母に教わってきた事なのか?」と。

思考の放棄は出来るのに、己の欲望の放棄が出来ない。それがジョーカーなのである。

職を失いたくない、収入を減らしたくない、地位や名誉を失いたくない、恥をかきたくない、自分だけ損はしたくない、今の生活を失いたくない、などと欲望に正論を覆い被せて「仕方がないんだ」「仕方がないんだ」「これで良いんだ」「これしか道はない」と日々流されて行く。

今回の森友問題も含み今日本が学ぶべき点は、思考停止ている自分なのである。

納得出来ない命令には従うな。人間としておかしいと思うならそれは実行するな。自分の良心が疼くなら良心に従え。規定だろうが上司命令だろうが、最終判断は自分なのである。後になって泣く思いをするなら、初めから全てを投棄て自分に生きろ!

其れが多くの社会問題を解決して行く第一歩なのである。

思考停止、欲望放棄が出来ない、人間喪失、それがジョーカーであり、今の日本は正にジョーカーが君臨している国と化している。どれだけの人間たちが目の前の生活を放棄し、良心に生きれるか?どれだけの人間達が自分の判断で全てと戦えるのか?生活も変えず、苦労もせず、リスクも背負わず、無難に無難に生きているもの達が、自分の良心に従い、欲望を放棄し、思考全開にして生きていける人間が今の日本にどれだけ存在しているのか?

森友問題も、誰か個人を叩く前に「己の生き方」を考えるべき。自分は全てを失っても良心に生きれるのか?自分の良心が会社を揺らがす、自分の良心が家族に苦労をかける、自分の良心が目の前の生活を崩壊させる、自分の良心が面倒を呼び込む、自分の良心が自分を孤立させる、それでも良心に従い、自分の判断で自分という人間を生きてく、本来それが人生であり世界はその人種が多い。

他人を責め立てる前に、貴方はどうなのか?欲望放棄ができるのか?良心に従って生きていけるのか?それが出来ないなら他人を責める事はできないだろう。良心に生きれぬ者はジョーカーと同類の人種である。

ジョーカーが君臨している国、それが今の日本である。