人間同士は会話する

話せばわかる
そう言って犬養毅は殺された
 
相手は人間ではなかった
 
人間は会話をする事で理解を見出せる
 
確かにそう思いたい
 
 
キレル目の前の相手は人間か?
一方的につぶしにかかってくる相手は人間か?
問答無用で襲いかかる相手は人間か?
聞く耳を持たない逃げる相手は人間か?
不都合なモノを消しさる事しかできない相手は人間か?
自分の価値観だけが正しいと言い切る相手は人間か?
様々な考え方を許容できない相手は人間なのか?
 
 
俺は人間と会話をしているのか?
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話し合え、、
相手を解ってやれ
愛してやれ
 
会話は同じ知的レベルじゃないと通じない
会話は同じ経験レベルじゃないと通じない
 
どうする
 
どうする
 
 
結局は長時間必要
 
 
思考回路が違うものの論点をひも解く
経験ノウハウの違う者たちの論点をひも解く
 
全ては人間なのだ
キレル奴も、問答無用で襲いかかる奴も人間なのだ
 
全ての人間は、自分の思考が正しいと思っている
 
磁石のSとSの様に、正義と正義はぶつかる
 
さぁどうする
 
基準を作り上げなければいけない
基準が明確になっていれば会話しやすい
 
じゃぁ基準はどうやって作る
誰が基準値を定める
 
世界基準で決めるしかないだろう
グローバルな基準で決めるしかないだろう
民主主義は多数決の仕組みに成り立っている
 
そうなれば、日本は完璧のマイノリティー
 
日本の常識は世界の非常識
徹底的に日本の価値観は崩されるだろう
 
果たしてそれは正しのか?
 
例え多くの人間が「誤」と判断しても
それが正しいと言う保証は一切ない
 
それを誰もが知っている
 
故に基準値を設けられない
 
基準値が無い世界で、どうやってベクトルを定める
 
基準値が無い中で、どうやって折衷案を見出せる
 
しかし、それしか現段階では方法が無い
 
国も基準値(指針)を明確にせよ
企業も基準値を明確にせよ
学校も基準値を明確にせよ
親も基準値を明確にせよ
 
てんでばらばらの基準値が表面化する
 
出し切れば出し切るほど社会は乱れる
 
しかしそこを通らない限り、セグメンテーションは生まれない
 
社会混乱が自然淘汰を生み出す
 
それが嫌なら、独裁しかない
 
経験値の違う者、知的レベルの違う者
それら多くの人間がある程度、基準値を近づけるには
自然淘汰しかないだろう
 
親善淘汰を待つ企業は、体力勝負
体力が無い者は倒産する
 
自然淘汰を待つ国家も同じ
 
決して短絡的な結論を急いではいけない
どんなに苦しくても、どんなに悲しくても
自然淘汰に導かなければ、人間は殺し合いになる
 
人間が人間を判断してはいけない
 
知的レベルも、経験値も時が解決する
人間個々のレベルは然程違わない
偶然による環境の違いで、その格差は生じている
 
人間の保身欲も絡んでくる
 
 
 
人間は会話をする
故に、ストレスを軽減し、ストレスを増大させる
 
知的格差を認識する
経験値の違いを認識する
格差を認知すれば、上下意識が生まれる
 
人間も3D思考回路を持つようになる
 
XY軸の思考回路は、上下、左右のみ
故に軋轢を生みだす
 
3D回路にすれば、上下も左右も管理できる
無重力状態に似て、どちらが上でどちらが下とは認知しにくくなる
 
 
兎に角自然淘汰への道を進むしかない
 
生き残れ、生き残る事に集中せよ
 
人間は会話は可能だが、解り合えない
現実を認めよ
解り合えないが、会話は必要
 
人間が会話によって解り合えるのは
ごく一部の同知的レベル、同経験値の者たち
その集団さえ、普遍ではない
刹那的な瞬間、解り合えた錯覚に陥る
この錯覚は大切である
 
そして、結局、解り合えない現実を知る
なぜなら、人間の心は移り変わる
常に人間の心は移ろいでいる
 
解り合えるなどと期待するな
解り合えないが会話は必要
 
解り合えなくても生きていく道を探せ
それが人間に課せられた宿命である