何やってんだ?

年の瀬にこんな話題も哀しいが
政治と言うものは一体なんなのだろう。
 
多くの政治家は、国家を憂うと言うよりは
終始権力闘争で明け暮れる!
 
誰が首相だとか、誰がリーダーだとか
何処の派閥が数が多いとか、、、
何やってんだ!って感じ、、、
 
まぁふと冷静に世の中を見てみると
政治家だけじゃなく、人間全てがそう言う言動になる
 
会社でもその他の集まりでも、、、
 
人間は権力闘争を繰り広げる
 
本来の成すべき事、本分と言うものを置き去りに
権力闘争へ突入していく
 
特に男の世界だと、そう言った闘争心が無ければ
男じゃない、仕事ができない、事を成し遂げられない
と言った価値観で固められ、闘争に巻き込まれる機会が多い
 
これも一種の本能だろうが、、
知的動物としては愚かな言動である
 
何かを成す時に、自分の意見を通す!
自分の意見が正しく、他は間違っている
それは良くない方向へ行く!と言い聞かせ
自らの思考の現実化を図っていく!
これが権力闘争の実態だ!
 
非常に難しい問題である
イメージ 1
人間は楽な方向へと行きたがる
どんなにおかしな方向へ流れようと
多数にとって心地よければ、そちらの方向へ向かう!
 
例えば、原発である。
原子力は一歩間違えば未曾有の被害をもたらす
人間の管理下に、おさえきれない代物である
しかし人間は目の前の利便性を重視し、安全を訴える
今、ここにきて政府と東電は管理ミスを認め始めた!
その意味合いは??????
「今回は担当者のミスでこうなった訳で、管理をしっかりすれば
 原発は非常に安全に稼働できる」
と言う結論に結び付ける為である!
 
そこで「人間は必ずミスをする」と訴えても
多くの民衆は、認めない!
「そんな事を言ってたら何もできない」
「そんな確率が低い点だけを重視してたら議論はない」
「リスクの無いものは無い」
などと、基本原則を打ち砕き、自分達の都合の良い解釈を始める
 
そしてそれに乗じて権力闘争が拍車を掛ける!
 
原発は恐らく止まらないだろう、、
そしていつの日か、世界中が直接的痛みを受けるまで
その歩みを進めて行く!
 
そしていつもの如く、、、、
事が起きた後、、、「やはり原子力は危険だ」と、、
馬鹿としか言いようがない!
 
被爆国日本に居ながら「原子力は使いようによっては問題ない」
という認識で凝り固まっている!
人間と言うものは本当に愚かな生きものである
 
原子力は一度爆発したら人間の制御は不可能
そして人間はミスをする動物である
これは間違いない事実である!
 
戦争も経済も原子力も医学も全てに於いて
人間と言う生きものは、少しの可能性を求めて飽くなき挑戦をする
 
その欲望を満たす時に、権力を必要とする!
原子力推進派、反対派、経済開放派、慎重派
多くの局面で人間は自分達の主張を実現化する為に権力闘争を繰り広げる
 
人間は自己の実現化を人生に於いて図っている
そこが原点であり、その実現化を進める時に権力闘争が始まる!
この図式を再度検討する必要性がある!
 
自己実現=幸福=闘争
 
科学の進歩は人類にとって多くの利益と不利益を生み出した
人間は自分の保身が基本が生きるスタンスである。
そして自己実現を目的に生きて行く!
 
権力闘争は基本的に個人の幸福へと繋がる現象故に管理は難しい。
 
政治家を通して権力闘争のアホらしさを学べる
仕事を通して権力闘争の醜さを学べる
社会を通して権力闘争のむごさも学べる
 
しかしそれを止める術は中々見つからない
 
権力闘争=個人の幸福 と言う側面がある事実!
 
多くの人間が、人間と言う動物を学び
そしてその動物は死ぬと解っていても歩みを止めない時があり
その動物は常に矛盾の中で正論を創りだし
創造した正論を具現化する為に「数の理論」を用い
自己の実現を幸福とし、殺戮と喜愛に満ちた世界を求め
同じ事の繰り返しを何千も繰り返し、科学の進歩だけに酔いしれて
滅びの道をまっすぐに突き進んでいる生きものである事実を認識して欲しい。
 
人間は動物である”
矛盾を抱えた動物である”
その矛盾が人類を発展させ
その矛盾が人間を作り上げてきた!
そしてその矛盾は切り離せない!
矛盾を認める所からスタートすれば管理が始まる
管理が始まればその動物性を再認識する
そして我々人類は宇宙の仕組みの一部である事を知る
そこから生き延びる術が更に続くのである!!!!