じこちゅう

戦後の焼け野原から高度成長へと突き進み
世界屈指の発展国に変貌した日本
 
生活は一変し、便利で忙しい環境へと移行した
 
国が変貌したように、個人も変わった
 
国益、会社の利益、家族の利益、、
そう言ったものを勝ち得てきた日本人は
自己実現を仕事や生活の中で具現化してきた
 
まさに人生を横臥した
 
生まれ出る権利の中の自己実現、、、
 
それは、個人の優先に繋がっていく
 
しょせん己の人生、、
親も子も無い、、、
ましてや他人なんて、、、
夫婦だろうが、お隣さんだろうが、、、
自分の人生の中では、然程の優先順位にはならない
 
一人の人間、、、
一人の男、、
一人の女、、、
 
権利の主張が始まった!!!
 
 
 
親である前に一人の女よ!
長男である前に一人の男さ!
会社は労働だけの場所!
 
そして、、、
自己中心の思考と行動が表面化する!
 
「勝手はまずいよな」
「自己中はまずいよな」
と思う反面、、、、
「でもなぁ所詮自分の人生だし」
 
結局社会は、理屈ではなく本能に流される
 
特に日本と言う国は「自己」が来る前に
「団体」「社会」が優先される環境にあった
その反動が、自己を押し上げるパワーにもなったのだろう
 
「家」と言う制度や、「団体行動」と言う仕組みが
日本の文化を支えてきた、、、
その陰で、泣いてきた多くの人間の言葉が今に響く!
それでも鴎外は言いきった「日本は未来永劫普請中」と、、、。
 
揚水も唄った、、「誰の為の人生なのか?」
人生は二度ある訳じゃなし、、、、
 
自己と言うものに拘って生き抜いた人間の言葉は響く!
 
恐らくそう言った感覚が、自己優先の言動を今に導いたのだろう
 
所詮人間は、自分が可愛いのであり、それで良いと言うか
それしかできない事が多いと言う事だ!
 
そしてそれは、否定するものではない
自己中で良いのである。
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但し、、
忘れてはいけない事がある!
 
権利と義務は対の存在であると言う事を!
権利を主張する者は、義務の責任を取る事!
責任を取れないものは、権利を主張できない!
この原理原則を崩してはいけない!
 
責任の伴わない権利は、、
子供の駄々っ子である
 
よく人権と言うが、、、、
それは責任を全うする者が得るものであり
責任を取らない人間に人権を与える必要はない!
 
殺人者に人権は有るのか?
ある訳ないだろう!
最低限の権利はあるが、普通の人間と同様の
権利など与える必要は全くない!
罪を犯すと言う事は、責任放棄、つまり権利放棄なのである
 
子供を放置する親に権利は有るのか?
ある訳ないだろう!
子供をきちんと育て教え慈しみ、その責任を取りながら
自己の権利を実現するのが人間であり、大人である!
子供や家庭における責任を取らずして権利の主張は許してはいけない!
 
一人の人間には多くの側面の責任が伴う
一つの家庭(親)に対する子の責任!幾つになってもだ!
一つの社会に対するメンバーとしての責任。
それは国家であり、地域であり、会社であり、学校であり隣近所でもある。
そして結婚した者は、一つの家庭に対する親としての責任
一つの家庭に対するメンバーとしての責任
結婚相手へのパートナーとしての責任
多くの責任が、一人の人生の中に存在するのである。
世界への責任、宇宙への責任、地球への責任、、
本当に多くの責任が、個人の人生に係わってくる!
 
その責任が面倒くさいとか
取れる訳ないと言う人間は死んだ方が良い
鉄也の母じゃがないが
「そんときゃ、死ね!」
百害あって一利なし!
 
責任を取るから権利の主張ができると言う
原理原則を崩してはいけない!
最近の日本はそれを忘れている!
 
それは、、、
どちらが最初?と言う次元の話ではない!
敢えて言うなら、責任を取ってから権利だろう!
それがなければ、社会は崩壊する!
 
これがしたい、あれが買いたい、あそこへ行きたい
子供は喚く!!!
親の金で生活している依存型の環境故に周りが見えない!
主婦もそうだ、、、
女の権利だなどと言う奴は離婚して自分で稼いでから
権利を述べれば良い!
どっぷりと依存しているだけで権利を主張する奴は罰せよ!
 
それが管理できないなら、、、、
 
多くの人間が早く開き直る事だ!
もっともっと自己中を表面化しろ!
 
罰や取り締まりを強化すれば恐怖政治が始まるのも事実だ!
その危険性を懸念するならば、、、、方法は一つ!!!
多くの人間がもっともっと責任放棄する事だ!
そしてその先に、別の世界が待っている!!!
それが賢者が行くべき道だろう、、、、