近未来の日本

1960年代に製造業が一気に増えて、日本人は「物作り」にて生活、経済を横臥してきた。平成以降「製造業」は日本国内からなくなり、サービス業と言うものが主要になってきた。

この現象は「職人」と言った様な高スキル人材をカットしてきた事になる。マニュアルで決まったセリフを繰り返す、低スキル人材を増殖させた。

見える化、効率化と言う言葉の響きに惑わされて思考停止「決まった事をやれば良い」「余計な事はしない」コンピューターなどの普及に伴い、面倒な会話も減った。メールで、クラウドで各々のが自分でシステムに向かってアクセスし、知りたい情報を得る事が普通となり「聞く」と言う話かける行為は「邪魔」と言う存在になった。

移動中に矢継ぎばやしのメールを捌き、溜まった経費の生産もし、報告書も作成し、夕方「ポン」と送信ですむ。一見便利だ、時間有効だと言えるが、それだけ追い込まれて生きている状況に疑問も持たない。

移動中の緩やかな時間帯での「思考」の中に「創造」していく生産性がたくさんあったのに、止まる事、スピードを緩める事、休む事は「罪」の如く、私は凄いんだとばかりに一見無駄な時間を排除していく。まるでロボットにでもなりたいかの様に。

その結果、この20年日本は悪化している事実を反省しない。

製造業が戻る事はないでしょう。サービス業や資金運用のニーズが高まるばかりで、今「生産性向上」を言われている中、従来「低スキル、低賃金」だった業界へ「スキル向上」強いては賃金アップの理論が出てくると思われる。

ここで厄介なのは「お客様は神様」「おもてなし」「安くて良いもの」が常識の日本文化なのです。海外は「良いものは高い」のです。つまり宅配で好きな時間帯に配送してもらう事は「高い」のです。しかし日本は「無料」なのです。業者は企業としての「サービス向上」を無料で提供。必要若しくは期待分の利益は増えない。ならばどうするのか?

人員カットです。これが増えていきます。

ロボット化、Ai導入などの時代の波も被り、休まない、文句を言わない、病気しない、そう言ったロボットへサービス業は切り替えざるおえない。そして人材はカットして24時間いつでも好きな時に客はサービスを期待できる。

さて違和感を感じませんか?

失業者が増え、収入が減り、どうやって消費市場の活性化を向上させる事ができるのか?個人の財布の紐は硬くなるばかり。

おまけに老後の不安、教育費問題、介護問題、医療費問題、どうやって個人消費を増やす事ができるのでしょうか?

 

次に市場のサイズの問題もあります。例えば食の産業は人間の胃袋のサイズで決まります。今日1kg食べた人間が3年後3kg食べる様にはならない。コーヒー3杯飲んでた人が3年後に10杯飲む様にはならない。住む家も、着る服も一定の満足がいけば、消費者はそれ以上の消費をそこでは行わない。

つまり、サービス業での「スキル改善」を図っても、市場に対する利益還元はほぼ一定であり、スキルアップを図った従業員への収入も思った以上増えないとなる。ミクロ的に言えばスキル向上、賃金アップもあり得ますが、其れは決まった市場キャパ内での取り合いでしかない。

車が一家に1台から個人が1台、電話が一家に1台から個人に1台に増えた様にはならないサービス業での賃金アップを図るには、スキルアップも大切だが、文化、意識の改革も必要となる。好きな時間に配送を望むなら、其れなりに代金を払うのが当然。美味しいものを食べるなら高いのは当然と言う意識に変わればスキルアップも賃金アップに繋がっていくが、それ以外は食べる量も着る量も住む場所の数も増えるわけじゃないので、狭い市場でのイス取り合戦で、資金力のある企業だけが残り、更なる倒産劇が増えていく。

低スキル、低賃金が増えたのは製造業からサービス業への転換をしてきた結果です。これは経済学上当然の流れでありどの国も似たような現象が起きています。日本政府も数十年前からそんな事は理解、予想、準備はしております。

国民の収入を増やす、生活上の不安を減らす、と言う2点を克服しなければ、消費者はお金を使いません。お金は経済の血液ですので、血流が滞れば不景気となり社会はどんどん貧困になり、国民の不安も高まり、更なる非難のうちわ揉めが増えていくだけです。

一方で労働人口の減少、Aiによる労働機会の減少、なども現実もあり、実際将来どの位の「高スキル」人材を必要とするのか?と言う側面もあります。ある側面に於いては、どんどん人間は労働しなくて良い環境下が整ってきます。

環境が大きく変わる事に間違いはないでしょう。

起きてしまった或いは近未来に起きる事の賛否論などには振り回されず「賃金は大きく伸びる事なない」「就労の機会も減る場面が目立つ」「サービス業の質の向上が起きる」「自動化の波が押し寄せる」そう言った事実の中でどの様に自分は人生を過ごしていくのか?を深く考えた方が良い。「働き方改革」もその一環です。決して楽して大金を得ると言う事では無いのです。個々が好きな様に労働して、好きな様に生きてくださいと言う事なんです。その為には労働の種類、労働の在り方、に多様性を打ち出し、国民が広い選択肢の中で自由に自分で選んで生きていける様にするのが目的です。

長年1億総数民、お金持ち、大金を掴む事だけに邁進し続けた日本人。今後は「本当にお金持ちになりたいの?」「本当に其れが貴方が望んでいる事ですか?」「本当に其れが貴方のしたい事ですか?「貴方は何処へ向かっているのですか?」と貴方が問われる時代になっていきます。

日本は何処へ向かうのか?

それは貴方の心が決める事なのです。

半分恋に恋をしてきた思春期の子供が、現実を叩きつけられる時期に似ています。決して楽しい事だけじゃありません。決して嬉しい事だけもありません。従来の思い描いていた事、自分が気づいていなかった事、自分が忘れていた事、自分が置き去りにしてきた問題、そう言ったものが全て貴方自身に戻っていきます。

経済学上次へのステップを踏むとき、必ず人間の意識改革を要します。

第4次産業革命の進展は、生産、販売、消費といった経済活動に加え、健康、医療、公共サービス等の幅広い分野や、人々の働き方、ライフスタイルにも影響を与える。海外では20年前には「無料ビジネス」が謳われました。インターネットの無料開放に代表される様に、消費者は様々なサービスを低賃金や無料で受けられる様になってきています。今後もその動きは拍車を掛けていきます。

当然その変化に伴い新たな需要、商売が生まれてきます。そこに労働の機会を見出してく必要もあります。当然危惧されている様に「高スキル」「低スキル」の格差も、収入の格差も増えていきます。この格差を減らしたいのであれば、人間が絡むサービスに対して「高価」を払うと言う意識も持つ事が重要と思います。単純作業は間違いなくIoT、Ai、ロボットに置き換わります。そして生産に於ける無理無駄ムラが減っていき、低価格のサービスは創出されてきます。その一方で人間が介さないと出来ないサービスは我々消費者は「高額」を払うべきと思います。介護や医療や他のサービスで自動化もされず、人が嫌がる、手間のかかる労働に関しては従来の産業価値とは違う視点を持ち「高額」を払う。今の世の中は、人が嫌がる仕事の対価は安いのです。

人が嫌がる仕事には「高額」を払う。そう言った意識改革も必要ではないか?と思います。其れが心配される格差の縮小へも効果を出すと思います。ロボットが出来ない仕事、人が嫌がる仕事=高スキルの仕事と言う新たな価値観に社会は変わらず追えないと思います。ここに文化、国民意識の変革を要する理由があります。簡単な事では有りません。昨日まで普通だったことを全て失くす位の感情の葛藤が個々の人間の中に生まれる筈です。人間は変化を求めながら安定という不変を望む生き物です。理屈で分かっていても簡単にできる意識改革では無いと思います。

国も格差是正の為に、労働市場においても、労働移動を円滑にするような同一賃金同一労働の原則の徹底、労働時間の柔軟化、求職・求人間の情報ギャップの是正等を図っています。少々例えがとっぴかもしれませんが、昨日まで「設計図」を描いて年収数千万の建築家と、現場でコンクリートを固めていた日雇い労働者の賃金が狭まるまるのです。低賃金から見れば「良いじゃねぇか」ですが、建築家になるまで家族で協力し合い、投資もして高額の教育を受けさせ資格まで取ってやっと投資した分の取り戻しができると思っている高額所得者から見れば「とんでも無い話」となります。昨日まで嫌な客に頭を下げ飲めない酒を飲んで「責任の影響度」のプレッシャーの中で労働した幹部も、作業面中心に肉体的には重労働でも責任の影響度合いから見ればさほどでも無い若年層の収入が近づくわけです。そう言った事は個々の立場で、個々の人間が日々葛藤し、自己処理を強いられる時代になります。言うが易しです。簡単な事では無いのです。

昨今、勢いのある若年層が既存の概念を破るかの様に、過去を否定しまくり時代は違うと闊歩しておりますが、あまりに狭義的です。視野が狭く自分達の精神が変化を起こしていく事に気づいていない。人間誰でも車に乗れば自転車が邪魔で自転車に乗れば車が邪魔になる動物なのです。その繰り返しの生活の中で、経験と言うものが「洞察力」「想像力」「対応力」「非認知能力」などを育んでいくのです。経験不足者の危険性が此処にあり、年配者の存在意義が此処にあります。失敗の経験者は非常に重要な存在価値があるのです。そして同じ人間が「仕事が出来る」人間にもなり「仕事ができない人間」にもなるのです。だからアイツらは「仕事ができない」と批判だけをしている人は、結局自分を批判している事になるのです。子供の頃に先生に教わりませんでしたか?「他人をバカと言う人がバカなんです」と。全く同様の精神レベルです。其れが大の大人が平気で大声で喚いている。悲しい現実の日本です。

話は戻しますが、第4次産業革命により「機会の喪失」と「機会の創造」の両面が起きる事は間違い無いと思います。そして立ち上げ期は「収入増」は難しいでしょう。例えば現状でもコンテンツ産業の普及により、そのニーズで労働し始めた人は結構多くいると思いますが、収入面で普通のホワイトカラーレベルに平均値が上がっているか?となれば疑問ですし、外食店舗を開店しても、初めから増収増益は非常に少ない現実を見れば、立ち上げ期の収入の変化は想像できます。

人間の意識改革、立ち上げ期、新たな経済ステージなどの背景を鑑みれば、向こう十年は個人収入の生活面では厳しい時代になると思います。より端的に述べると「貴方の生活様式」を変える必要性も出てくる可能性があると言う事です。昨日までついついタクシーを利用していたが明日からはバスや電車。昨日までクラウンに乗ってたが明日からは小型車。昨日まで値段を意識せずに昼食を食べていたが、明日からは予算内で食べる様になるとか、服もあまり買えないとか、一層の変化を強いられると思います。既に感じて実行している人達もいるとは思いますが、より一層国全体が縮小イメージに強いられると思います。そして新たな価値観の中で新たな収入の確保を探して、新たな人生が始まっていくと思います。

貴方自身の心の在り方を見つめ直すと言う事は、アイデンティティーの確立に繋がります。貴方は何が好きで嫌いで、何をしたいのか?何処へ向かって生きているのか?