優しさ

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最近年齢のせいかどうかは知らないが、此の頃の優しさがはなにつく。

馴れ合いにしか見えない時がある。

自分の考えを主張する事が我侭と言う言葉で片付けられてしまう時がある。

本筋を求めようとすると、痛みが伴う故にオブラートに包めと言われる。

パワハラだなんだでマスコミも話題にするが、人権を損なうようなものは
許してはならぬが、いけない事はいけないし、厳しさや苦しさも人生にはある。

子供を叱らない親、叱られた経験の少ない子供、、
評価される為に生きているような人間、、、
事なかれ主義で誤魔化そうとする人間、、

いつの時代もそういう人間はいるが、その比率が大きくなっていると感じる。

国家とは、地域社会とは、組織とは、家庭とは、集団とは、、、、
多くの矛盾を含んだ生命体であるその中で、多くの価値観が飛び交う。

問題を抱えながら、我が身に振る掛かると騒ぎ出し、喉元過ぎれば忘れてしまう。
同じことの繰り返し、、、時を待てば痛みや苦しさも過ぎていく、、、。

つまらぬ問題を繰り返し繰り返し抱え込む事が、優しさなのだろうか?
矛盾や勝手さや理不尽さをオブラートに包み、少しでも表面を柔らかに
する事が優しさか?

それは優しさと言うよりは、その場しのぎにしか見えない、、、。

優しさとは棘も温もりもある。

その場しのぎがいけないとは思わない。
時としてその場しのぎも必要だろう、、、。

だがそれは優しさにはなれない。

本質を間違えるな!と思う、、、。

生きるとは、、、労働とは、、、、

様々な側面を持っているが、共通して言える事は
全てに光も影も、痛みも温もりも、メリットデメリット
様々な要因が含まれているという事だ。

その現実を受け止める事を始めないと、成長を妨げる。
自分を認める、他人を認める、社会を認める、、、。

日本人はハジクのが好きだが、それでは根本的に変化は生じない。

他人をハジキ、自分も否定し、世の中を否定し、弱者をハジキ、、、
その結果大きな歪みが人間の心に生まれ、社会に歪みをもたらす。