欲望

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今日欲望と言う字をWEBで検索していたら、欲望の段階が社会的欲望段階から自尊的欲望の段階に入っているのではないかと言ってた人がいた。

安田講堂などに立てこもり、国家天下と一つの事に単純に夢中になれる世代とは違い、多種多様な物が一度に視界に入り、一気に駆けぬくエネルギーは発せられないと、、。

其処が覇気の無い生態系に見え、周りからは情けないと評価される所以ではないかとも、、。

確かに欲望には段階があり、最終的には自己実現の欲に達すると言われている。どう言う意味での自己実現なのか、詳しくは知らないがまぁ納得できる部分はある。

本能での欲望に考えられている生理的欲求、相手と自分との相対的な社会的欲求、そして自尊心、最終的には自己実現となるわけだが、この欲求の段階変化は個人の一生で生じるものであり、社会、環境により生み出されるわけでは無いと感じるし、時代によって上って行くものでもないと思う。

勿論社会や教育その他による外的要因と個人の欲望は相対関係にあり、単純にどちらか一方が生み出されて歩むとは思わないが、自己実現の欲求は生きる根源になっていると考える。

今、単純に馬鹿になれない自制心?があるのは、育ってきた環境だけではなく、そもそもそう言う自分が其処にいると言う事だ。多くの情報が入り込み、突っ走る前に考えてリスクヘッジを、幼き頃からかけて生きてきたから、今も単純馬鹿にはなれないと言うのは、ちょっと違うと感じる。

今冷めて世間を見下している人間も、いつかは単純馬鹿になれる時期がくる。

欲望とはそう言うものである。

今日謙虚な人間は明日には傲慢な人間になる。
今日泣いた人間が明日には希望を持って生き抜く。
今日搾取した人間は明日には怯え震え善人に代わる。
今日の善は明日の悪!

これが欲望であり、ロジカルな世界だけでは判断し得ない部分がある。

リスクヘッジが格好いいと言われているが、時に人間はリスクと共に堕ちる!

別に熱く生きなくていいじゃんと言っている奴に限って人情深い。

要は幼さが抜けきれぬ人間が増えてきただけ!
それで許される平和な時代だからだ!

つまる所は個人に返る、、、、!
己の欲は己の中にあるだけだ!
悲しいかな、人間は自分を一生と言う長い間は騙せない!

欲望は理性と感情の両方に宿る。
つまりは己の身体に宿る訳だ!

己の身体を自由にコントロールできる奴は居ない!
管理できる部分と出来ない部分が有ると言う事!

愛したいし愛されたい
天子にも悪魔にもなってみたい

従来欲望は悪とされて来た傾向があるが、それは人間の智を通り越した存在にあるが故の怖さから、悪とし管理したほうが便利だった訳で、欲望そのものに善悪の意味はなく、善悪の価値をつけるのは人間そのものである。

損得だけで生きていないのが人間で、死に向って生きるが人間で、永遠と言う怪物に翻弄されて自己実現と言う失望に狂気を見出だし、静かに一生を終える。

そんな事より、欲望とは何故作り出されるのか?確かに生き抜くための必要不可欠な本脳であるとは思うが、それだけではなく多面性を持っている。何故複雑な欲望が生み出され、それに翻弄されなければいけないのか?欲望は脳に有るのか?心臓に有るのか?DNAそのものが有するのか?血液に流れ込んでいるものなのか?????