自由と平等

 
 
 
 
                                                                                                                                               
 
 
                                                                             
自由と平等を人類が唄いはじめて300年近く経っているのだろうか、、
 
何度もこのブログで述べてきたが、自由と平等は横並びではない。
 
虐げられた者たちが、いつに日か知識を身につけて叫び始める。
 
アダムとイブが楽園を追われた状況と全く一緒である。
 
自由と平等なんてもんは、感情で判断するべきものではない
 
一部の人間が古来から言い続けている様に、知恵のない者に
権利を与えたら、狂人に武器を与える様なもんだ。
 
 
格差が有って然りである。
区別が有って自然なのである。
 
但し!!!!
生まれ持った環境から脱出する為の「機会の平等」は確保すべきだろう。
 
現在人類が勘違いしている事は、能力が無い者に判断を委ねる事だ。
 
政治家の能力が無い者は政治家になってはいけない。
教師の能力が無い者が教師になってはいけない。
社長の能力が無い者が社長になってはいけない。
医者の能力が無い者が医者になってはいけない。
大工の能力が無い者は大工になってはいけない。
 
こんな当たり前の事が実際はできていない。
 
お金さえあれば、殆どなれる。
お金さえあれば、殆どの事は可能である。
資本主義の影である。
 
医学の知識も経験もない者が医学会に口出し可能か?
しかし、現実は、、、、
政治の知識も経験もない者たちが、政治に関与している。
経済を知らない者たちが、経済界をしきっている。
 
こんな馬鹿な環境がいつまで続くのやら、、、
 
そんな事をしていて、世の中変わるべきもなく
ましてや、改善する訳がない。
 
感情で推し量るものではない
 
自由と平等は決して横並びではない
自由と平等は努力をして苦労して得るものであって
決して与えられたり、勝手に保証されるものではない
 
権利は別である!!!
詰り機会の平等である。
 
これは等しくあるべきだろう。
 
そして努力して成し得たものは、それを手に入れれば良い。
 
人類がお手伝いするべき事は、、、努力をする為の環境づくりである。
 
子供たちが、虐げられた弱きもの達が、安心して努力できる環境を創る。