死ぬ権利!!!!

脳卒中で首から下がまひした男性が「死ぬ権利」を求めていた裁判で、英高等法院は16日、男性の訴えを棄却する判決を言い渡した。
判決を聞いたニックリンソンさんは、妻のジェーンさんとともに涙を流し、上訴の意向を表明。コンピューターを通じて、「裁判官や政治家は、真の問題と向き合わずに済むのが一番幸せだと思っていて、この訴訟の担当裁判官も例外ではない」「自分の人生をコントロールできるのが自分なのか国家なのかについて結論が出るまでの間、私はまた身体的不快と惨めさと精神的苦痛の中で過ごさなければならない」とコメントした。
娘たちは同日、父の「尊厳死の権利」を支持してほしいと短文投稿サイトのツイッターで呼び掛け、わずか数時間で2200人を超す署名が集まった。
(CNNニュース抜粋)
 
死ぬ権利は有ると思うな。
あくまで自由を保障するなら、死ぬ権利は守られるべきだろう。
 
 
同時に生命の尊厳や、生きるとう言う概念の在り方に多様性を見出そうとする
必死の指導も理解できる。
それでも最終判断は、個人の生命、個人の判断に委ねるべきだろうな。
 
これがアメリカだったら同じ判決が出ただろうか?
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自由と義務(責任)の線引きの難しさがここにある。
 
 
世の中自分で自分の身体を動かせる奴は自殺可能だ!
しかし自分で身体を動かせなものは殺って貰うしかない!
 
家族ができる事は、安楽死が法的に問題ない国へ移住するか
もしくは自分がその国の法を犯して、息を止めてあげるか!
どっちかしかないだろう、、、、。
 
厳しいな!
厳しいし難しいし苦しいだろうが、抱え続ける力が無ければ
決断を下すしかないだろう。
 
 
ここで傷心して生き続け、介護し続けても一つの人生!
ここで一気にけりをつけても一つの人生!
必ずどの道も「これで良かった」と思える部分はある。
 
選んだ道が正解なのである!その人にとっては!!!
 
苦痛と悲しみの中に何を見いだせるのか!
 
人間の原罪に「共感」と言うものがある
 
多くの人達が、このニュースを読んでどう感じるのか!
 
金が絡めば人間は人を殺す正当性を創造する!
このケースも、高額医療で家族親戚たちが経済的に破綻をきたしたら
必ず息を止める正当性を生み出す。
 
日本なら、経済的問題が優先される。
 
カトリックなら生かし続ける可能性が高い。
 
老人の介護問題も似たり寄ったり!
若者の生活を支障をきたしてまで、行うべきか!?
それとも哀しき現実として「姥捨て山」を再開するのか!?
 
日本なら、静かに騒がず、、、現代的姥捨てを行う。
 
殺される側の「死ぬ権利」
これは非常に難しい問題ではあるが、最終的に個人の判断に
委ねるしかないだろう!!!
 
国は原理原則を定めるが、最終判断は個人のものであり
法に触れる言動は、どんな理由があれ裁かれるべきだろう。
それしか人間出来ない!
 
現代の医学の問題!
今までは「生かす為の医療」
これからは「死を受け入れる医療」
この方向展開の現実は、国家維持、つまり経済が優先
国家を一定のレベルで、維持をし続けようとすれば邪魔なものは消す!
負担の大きい問題点は削除しなければ出来ない!
 
日本は全体の為に個人が殺される国の構造になっている。
それを日本人は選んできたし、これからも選ぶだろう。
最終判断は個人ではなく、集団にある。
 
人間社会の光と影である。
 
人間と言う動物は本当に罪深き動物である。