どうすりゃぁ、、良いのさ、、この私!!

【道徳規準の創られ方】
人間は、他人から賛同(是認)されたいと願う生き物。他人からどう思われているか気になって仕方がない。

周囲に賛同してもらいたいと願い、周囲が賛同してくれるような行動をとる。

ところが、世間には気まぐれな判断をする人がいる。本質的な評価基準が必要になる。

世間から材料を集めて、自分の中に「裁判官」を創り、社会で一般的な善悪の判断基準を吸収していく。これが「道徳規準」になる。
 
アダムスミスって人が書いてた内容(現代ビジネスウェブページより抜粋)
 
要は、利己主義を確立して、神の見えざる手による、自主的管理
 
善悪は、自分が決めるが、その判断基準となるものさしは、他人の意見、社会の眼、と言ったものをキチンと理解し、あくまで最終判断は自分で或るとと言う事だ。
利己主義を開放してやれば、自ずと全体がまとまってくると言う思考だが、、、
 
疑問を感じている方々は、、
「そんなに上手くいくものか」「それは理屈だ」と言う事
 
まぁ実際の資本主義の社会は個々の企業が、己の会社の利益確保を目的に存在し、社会が成り立っているが故に、実際に存在し得るとも言えるでしょうが、、、、。
 
実際の利己主義で成り立っている経済界に於いても、忘れてはいけない事は「お金」と言う基準がある事だ。
資本主義の世界では「お金があれば、基本的に何でもできる」と言う基準が存在する点だ。
 
これに警鐘を鳴らしている人達が、CSRCorporate Social Responsibility)を強化している訳ですな
 
何をやっても良いと言う背景には、必ず責任と言うものがあると言う事だ!
 
お坊さんたちが表現すると、、、、
道徳観念とでも言いましょうか???
 
その基準と言うものは、常に責任を元に語られている。
 
そしてその基準と言うものを決めるのに、、、
宗教、金、といったものが存在し、それを物差しとして
法律、規律と言った道具がつくられる。
 
誰かに認めて貰いたい、、、詰りは愛されたい、、
と言う欲望に駆られる動物が人間と言う生きもので
その愛されたい、認めて貰いたいと言う欲望を管理するのに
基準、と言う道具が必要になる。
 
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ここで、人類が上手く管理出来てこなかった背景の一つを述べれば、それは「善悪」は多数決で決まってきたと言う点である。
 
 
認めて貰いたい=基準の創造=多数決。
いつの時代も、民衆が賛同すれば、善も悪、悪が善になってきた。
 
 
それは、同感と言う本能
そして、正当性と言う結論に結び付く。
 
それが世の中の基準を創造してきた。
 
そして現代、、、、
価値の多様化、、、
詰り道徳観念等々、基準がバラバラになった。
 
情報の量と質が一気に広がり
行動範囲が一気に広がり
 
「村では孤独を感じて、賛同してなかった点も
賛同しておかないと、生き難かった。」
 
この点が「隣町へ行けば、都会へ出ちゃえば
賛同しない連中がいた。自分は間違っていなかった」
 
と言う経験を積み重ね、、、、
一つの価値観を提示された時に、、、
「それは貴方の価値観でしょ、私は違う」
と言えるような環境になり、価値の多様化が進んだ。
 
入れずみ(タトゥー)問題も、いじめ問題も、教育、医療、、
様々なものが、多くの比較論の中で、個人の中に「善悪」が創造される。
 
そこで、市が「こうします」と言えば「違う」と言う事になる。
そして、関わった者達が一応に口にする事は、、、、
「難しい問題」「仕方が無いな」
 
問題の複雑さと、ケースバイケースによって、これがこうと
単純な基準が作れない現実にぶつかるからだ!
 
裁判員制度で、判断を下さなければいけなくなった経験を
した方々は、皆口にする「難しい問題です」「責任が重い」
 
時代に翻弄されている民衆の声である。
 
 
殆どは、、そのまま生活と言う営みに流されて行く。
 
だから、いじめ問題をはじめ、どんなに犠牲者が点で現れても
根本的改善をしないまま、歴史は、人類は、同じことを繰り返す。
大津いじめまで、日本でどの位の「いじめの犠牲者」が出た?
その遺族に今、インタビューをして「法は改善されましたか?」
「学校の制度は変わりましたか?」「地域の制度は変わりましたか?」
ときたなば、、、、ほぼ間違いなく、、、「何も変わっちゃいない」
 
そしてそれは、該当した学校やPTAや教育委員会、地域、といったものが
能力が無い、悪い人達、と言う事ではない。
 
事の難しさ、基準値の選定ができない現実を物語っている。
 
だからと言って、、、基準を創れないとはならない
 
基準を、ルールを明確にしなければいけない”!
 
 
昨今、どうも難しいから出来ない、困難だからできない、、
面倒だから出来ない、先が見えないから出来ない、等、
出来ない理由が正当化されているので非常に危険なのだが、、、、
 
基準は明確に、ルールは明確に提示しなければいけない。
 
1、乱雑になった環境を整理整頓する
2、数千年もの人類の歴史を踏まえて、普遍のものを洗い出す
この2点が、第一ステップで行う事である。
 
そしてそれは、それぞれの心に聞け、、、
と言っても、これができない!
 
管理者は、民衆を追い込む環境を創る事だ。
追い込んだ先に、民衆は我に返る
災害や、経済崩壊、等を使用すれば良い
戦争は如何なものか、、、、
戦争が一番効率的だし、生産性が高いと推す人がいるが、、
平和主義の日本人としては、戦争はお勧めしないが、、、
 
現代は乱雑に成り過ぎている、、、
もう一度、整理整頓して、落ち着いて、、、心に聞け!
 
「何を甘ちゃんみたいな事を!」と批判されるが、、、
人類は捨てたもんじゃないだろう、、、
人種、宗教、国家、と言ったものを飛び越えて
多くの民衆が、世界中が一つのベクトルに感動する現実は結構ある。
オリンピックもそうだろう、映画もそうだろう、様々な事象が現実の
生活の中で、民衆の心を一つにしている!
 
そしてそれは、時代をも超えた普遍のものである。
 
そして、、、具体的な道具を創る段階に入れば、、、
「餅は餅屋に任せろ!」
 
その餅屋屋になって貰う人は、、、、賢者である
 
多数決などと言う原始的な作業では、事は改善されない。
 
賢者とは、3流大学を見下すような東大出身者ではない
 
 
賢者を選定するシステムを科学者はもっと真剣に考えろ
目に見える利便性等々を提示すれば、予算が取り易い現実に負けるな
優先事項を見間違えるな。
少なくても、世界のトップクラスの知識を得ている訳だから知恵を絞りだせ。
それが自身に投資した分の見返りである。