なんだよそれ!!!!(追記)

ある方の経験なされた事なのだが、、、
 
子供の指導の問題で、反抗的な子供が指導に沿わなったと言う事で
「指導者の導き方に問題あり」と判断され、砂をかみしめる思いをなされたとのこと。
 
モンスターペアレンツまでは行かないが、、、
 
まぁ少々一方的な判断であろう。
 
子供の指導に於いて、その手段方法、取り巻く環境、、
それら全ての事象を鑑みて、その方の指導の仕方に問題があったならば
その判断も適正とも言えるとは思うが、、、
 
恐らく今の日本を考えた時に、、、
子供、弱者、等への接し方は「腫れものを触る」が如しだろう
 
怒鳴れない、叩けない、、強制的に罰を与えられない、、、
 
子供は「理屈を理解できない」から子供なのである。
その子供に「理屈だけで対処せよ」と言う方がおかしいのである。
 
決して暴力を押し勧める訳ではないが、、、
子供は「痛み」「恐怖」「辱め」と言った経験の中で
道徳観念を育む側面もある。
 
未だ、小中学生なら良いだろうが、、、高校になれば
いっぱしの大人だ、凶器を持って大人を殺す。
そんな子供に「話せば解る」と言い張る大人がいたら、、
その当人をヤクザまがいの高校生集団に押しこんでやればいい
一歩間違えたら殺されるだろう、、子供に!
 
巷の未成年殺人事件を解読すればよくわかるだろう
「殺す」と言う概念が、育成されていない子供故に平気で殺人を犯す
 
それを「指導の仕方が悪い」と一方的に述べる大人がいれば
是非、そいつに指導とやらをやってもらった方が良い!
 
常日頃書いているが、、、
偉そうに正論を言ってくる多くの人間は「責任」を取らない
 
「じゃぁお前がやってみろ」と言えば、そいつらは殆どできない
 
それは、個人の能力の問題ではなく、誰がやってもできないのである
 
つまり、病状が悪化した状態であり、初期治療を施しても
意味を持たない処に居るって事だ。
 
その悪化した病状を解決する即効的治療や暫定的治療が必要である。
 
そして、それと並行して行うべきは、、、
未然の策である。
 
つまり、何故そうなったのか?
きちんと現実を分析すべきである!
 
子供の指導ならば「何故子供は反抗的な子と従順な子供がいるのか?」
きちんと分析すべきである!
 
それが企業戦士の世界なら、、、
「何故、仕事のできる者とできない者が存在するのか?」
きちんと分析すべきである
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そう、、それは性格も絡み、家庭環境も絡み、人脈環境も絡み
成長曲線も絡み、多くの事がらが絡んでくる!
 
そして行き着く結論は、多数が「できる人間」に成りえる事は不可能である
つまり、社会と言うのは「できる人」「できない人」等がいるのが社会である
と言う事に気付くだろう。
そう言った事を冷静に分析していけば、何処までが人間が出来うる事で
どこからが偶然性を持った自主性に任せるべきなのか見えてくる。
 
大人や幹部と言った者達は、結局は「気付かせる環境の創造」しかできない
 
その環境づくりに心血を注げば、個人の力だけではなく、多くの共同作業が
必要な事も明快である。
 
システムを創造し、役割を明確に、意思の疎通を図り、全体で
弱者、子供、未熟者達を導いてやらねばならぬ事は明快である。
 
そこで最も重要な事が見えてくる!
指導側の意思の疎通!
つまり価値の固定である!
ベクトルの一本化等と呼ばれているが、、、
 
現代は、価値の多様化であり、つまり指導側の
意思の疎通が図り難いのである
 
そこを大人や指導者達が解決しなければシステムは生まれないし
役割も見えてこないし、共同作業などできる訳もない
何も単純に固定化すると言う事ではない、が、、、
 
 
例えば現実に教育現場で起きている事は、、、
担任の教師は「地方の教育大卒」
父兄は「有名大学出身」
 
父兄は普段から子供に
「だから3流大は馬鹿なんだ」「馬鹿に指導されたら我が子が馬鹿になる」
それを耳にしている子供達は、どうやって教師を敬う?
 
同時に本当に情けない教師も現実出ている
そうなれば教師を敬う環境は崩れる。
 
他にも多くの事柄があり、物事を複雑にしている
 
半端に国民の教育レベルが発達した証拠だ。
 
真の賢者は、例え自分がハーバード卒とは言え
他の大学を馬鹿呼ばわりする賢者はいない。
中途半端な知識故に、東大だ京大だとふんぞり返るし持ち上げる。
成り金階層と全く同様である。品が無い。
 
生活の手段を主の目的として教師になれば
「子供の成長」などどうでもいいはずである
自分が教師として「飯を食う」のが目的である
故にPTA等にはモノ申す事は無い
 
医者が金儲け、教師が金儲け、政治家が金儲け
はたまたスポーツも金儲け、、、
何でもかんでも、現代は金儲けの時代である
 
あくまで「生活の手段」である
 
そんな時代で、、どうやって個人だけの努力で
多発する問題を解決するのか?
 
民衆が出来うるとは、、、
勢いのある集団に属し、少しでも自分にリスクがかからない様に
注意深くあたりを見回し、愛想笑いをしながら生きる事だ。
 
それが多数の人間である。
 
故に多数決は非常に危険なシステムなのである。
 
一種の結論を厳しく述べれば、、、
「民衆に余計な教育は不要」なのである
 
知識を得ても、知識を有効に使う知恵を持ちえない
知恵を持っても、勇気を創造する継続力を持ちえない
そして継続力を創造する集中力を持ちえない
それらの能力は、8割方生まれ持った能力であり
努力で改善されるレベルは非常に低い確率であろう。
それは古来から言っている「家柄」「血筋」どこの出か?
と言う点が大きい。
歴史を見ればわかるが、、、家柄を金で買ったもの達が
教科書に出てくる国の指導者達で或る。家康、秀吉、、多数だが、、。
 
昔から人間は、待たざる者が持てる者に対抗するのに
使ってきたのが「金」である
今も昔も変わらない、、、
「金」さえあれば、持たざる者は持てる者に対抗できる
それが生き延びると言う事である。
 
どんなに「金」で多くのものを入手しても「金」で買えない物の
恐怖に生涯悩まされる運命にあるのが「金の囚人」である。
それは、、品であり家柄であり、育ち、、である。
 
 
「努力をすれば、何でもできる」と言ったたわごとを
言ううのも信じるのも民衆である。
これも一種の弱者保護の側面を有する。
 
夢を持つ事は、否定しないが、、、
生まれおちた、運命と言う現実を受け止める力を先ずは得とくせよ!
 
己のレベルと言うものを直視できずに、現実を受け止める事は出来ない
 
だから、常に誰かのせいにする
 
教師が悪い、政治が悪い、会社が悪い、国が悪いと、、、、
 
哀しき人間の醜態が見えてくる。
 
歴史は繰り返す、、、、
ソクラテスの時代から、何も変わっちゃいない人間の営み!
 
 はぁぁ
表現下手で失礼しました。
夢を持って頑張っている、もしくは頑張って成就した方々へ
 
現行のシステムで、知恵を推し量るシステムは無いでしょう
現行のシステムで、品格を推し量る事は無理でしょう
現存するシステムは、知識量の多さと多少の応用の確認
 
国家資格や大学受験や入試試験?といった類は
殆ど知識(記憶)の解読が殆どではないでしょうか?
 
夢を持つ事は大切ですよ~~~
 
頑張って下さい!
でもね、できる事とできない事が世の中にはあるんですよ
 
天性の音楽センス
天性の品格
天性の知恵
天性の運動能力
天性の五感
そう言ったもんは努力しても、まぁ殆ど得られない
 
試験は、頑張って記憶すれば何とかなるんじゃないですかね?
 
お金を得る事も、頑張れば何とかいけるんじゃないんでしょうか?
 
ただね、記憶一つとっても
例えば500ページの情報量を一年掛けて記憶できる人と
たった一晩で、もしくは数時間で記憶できる人の能力は
努力だけでは限界があるって事です。
 
一定のレベルまでは良いが、一定の大きな責任を持った立場で
激しく動いて、複雑な動きをしている社会の中で、、、
「頑張るからもうちょっと待ってて」とは許されちゃいけないでしょう
 
瞬時に分析、判断を行わなければいけない時に
結局、必要とされるのは天性の能力です。
 
それを「金」の力で経営者になったり
「金」の力で権力をもちだすと、、、、世の中おかしくなる訳ですよ
 
記憶はコンピューターで十分でしょう、、、
 
現行の様々な試験、、全て「持ち込み化」にしちゃえばいいよね
 
裁判の実例、法律の詳細、化学式の詳細、年号の羅列、、、
そう言ったものはネットで誰もが直ぐに調べられる環境にしちゃえばいい
 
そうなれば、行間の読める者の読めない者と直ぐに解る
表に出ているデーターの陰に隠されているものを読み解くものは
必ず現れる。
 
極論を言えば、数千年前の人間の思考回路から未来の
人類の思考回路まで、瞬時にして見えてくる者達が現れる。
 
早く、そう言った人間の数を明確にした方が良い。
 
その時に、哀しくも不都合な真実として、、、
できる者とできない者がはっきりと区別される。
 
今は、例え大学試験に落ちた連中でも、、、
道具を使えば、カバーできる範疇である。
しかし表面上のデーターから、行間を読み解き
あらゆる結論、現象を読み解くものは少ない。
 
先ずは、その知恵が必要なのである。
 
それは「金」で買えない!
 
ブッシュがイラク核兵器情報を論じた時に
とっさに「嘘」と見抜いた者たちである。
そんなもんは、国家安全、政治、経済を読み解けば
直ぐに解る事だ。
 
「嘘」を嘘にしない事は簡単だ!
「付き通す」
「ばれない事」
誤報と訂正する」
「嘘に基づいた事実を創造する」
等であろう、、
 
話がずれたが、、、
努力しても得られないものは、そう言った事だ。
 
 
肉体的な事象もあろう、、、
持って生まれたものである
それが、脳の中でもあるって事だ。
 
兎に角、警鐘するが、、、
「金」の力を持って「数」の理論を使用し
能力の無い物が、それらの地位や立場に就き
世の中を運営し始めれば、世界は翻弄される。
 
能力の無い物が、努力や他の道具を使いカバーできる
範囲と言うものは、限度がある。
 
その現実を受け止めた後に、、、
夢を持ち、突き進むならば、結構である。
 
成れぬものへと執着し、結果に囚われず
人生を掛けても、夢に向かってひたすら進む!
それができるならば、拍手喝采である。
 
少ないと思うよ?現実は、、
だって生活があるもん。
 
見方を変えれば、単なる馬鹿でしょ?
 
無理と解っていて、ず~と夢に向かって突き進む
 
子供なら良いが、、、故に現実世界では、、、
大人になれば何て言われる??
 
「いい歳こいていつまで夢みてんのよ!」
「現実を直視しなさい」
なんて説教されんのが落ちででしょ?
 
社会的責任ってものがつきまとう
家族の責任、社会人としての責任、国民としての責任
もっともっと多くの責任が、人間社会で生きる以上生じてくる。
 
その責任を全うしながら、且つ出来もしない夢に向かって
歩み続ける事が可能な人間は、限られている。
 
 
現在は、真の意味での能力の査定ができない。
簡単に言うと、心を分析するシステムが無いって事!
 
だから、、出来る事をしようとすれば、、、
どうしても、記憶量とか理解力とか多少の応用、、って事になる訳ですよ。
 
 
全ての試験を、パソコン持ち込みでしちゃうと
一番困るのが、テスト製作者たちだろうかかかかか。
 
国語の文章読解や絵画の読み解きと一緒で、、、
「これが正解」と言う基準が付けられない。
 
遠藤周作が怒りを述べていたが、、、
東大レベルでそんなもんだ、、、
(知る人ぞ知る)
 
だから、、基準値を創りだすとと言うのは困難なのだ
能力、価値観、そう言ったものは見えたり聞こえたりしない。
 
いじける前に、現実を直視し、己を知る事が先決だろう。
 
夢に向かって撃てばいいじゃん