貴方は誰???

テレンス・ディックソンさんが窃盗に入った家から出ようとしてガレージに行くと、ガレージの自動ドアが故障して開かず、家の中に入るドアは彼が閉めたときにロックされたので家の中にも戻れず、その家の家族はホリデイのためにいなかったので、彼は8日間も閉じ込められてしまいました。
その間ガレージに置いてあったぺプシとドッグフードで生きながらえました。この怒りが収まらなかったディックソンさんは、精神的な苦痛を受けたとその家の保険会社を相手取って裁判を起こしたのです。それに同情した陪審員たちは彼に50万ドル(約470万円)を支払う判決を下しました。
 
アメリカの実際の判例ですが、、、
 
泥棒が盗みに入った家で、勝手に閉じ込められ、酷い目に遭ったので、泥棒が家主を訴え、泥棒に入られた家主に「金を払え」と判決する社会。
 
車を盗もうとして、失敗して怪我をして、その泥棒が車のオーナーを訴えて、オーナーが、泥棒に金を払うなんて判例は沢山ある。日常的に起きている判決である。
 
特に中絶問題は、面白い。
宗教的には、中絶禁止の感情を持ちながら、一方ではプライバシー確保と言う憲法があり、宗教心と憲法の矛盾をいつも騒ぐのもアメリカだ。本来宗教哲学、宗教方針と、憲法は全く違う次元の問題であるが、アメリカ人は憲法も宗教も、基本ベースは「自分達に取って利益があるかどうか」で判断する。
 
こう言った問題は、他国があぁだこうだと勝手に批判や判断はできない。
 
上記の泥棒の件もそうだが、、、、
自由の国!自由は泥棒をする自由がある!と言う現実が社会に存在すると言う事だ。
こんな意識は日本人には無理だろうし、望みもしないだろうが、、、それが自由と言うもんだ。
 
同時に栽培員の構成や、訴えた側の背景や、被告の背景が全く不明なので、面白く描きたてている側面も否めないとおもうし、兎に角、第3者がとやかく言える問題ではないだろう。
 
理解すべき点は、彼等は何者なのか???
彼等はどう言った人種なのかであろう、、。
 
そもそも、英米では、制定法中心の大陸ヨーロッパや日本の法体系とは異なり、コモン・ローという判例法の体系を持ち、判例こそが法制度をささえる土台や基礎として機能しています。つまり、英米の法律は、過去の判例との継続性の中で、新しい判例を次々に生み出しながら発展してきたわけです。

もちろん、議会で制定された法律や憲法も法体系に大きく寄与していますが、あくまでも英米法の基礎は初期の時代に発達した手続きや原則に従った新しい事件の判決です。

この新しい事件と過去の判例との継続性を保つ上で重要なのは類似の事件を研究することで、裁判官は、個々の事例の相違点をしっかりと考慮しながらも、類似の事件は同様に判決されなければならないという「先例拘束」の原則に従った判断を下さなければなりません。
ただし、膨大な判例の中には矛盾したものがいくつも出てくるので、弁護士としては、いかにして自分の側に有利な判例を見つけるかが大きなポイントとなるのです。
 
これが現実です。
故にお金があれば裁判は勝てる。
人が人を裁く以上、公平性の確保は難しい。
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アメリカであれ、日本であれ、、、その現実は変わらない。
 
日本は法界の変化を選んだ。
長年、蔓延ってきた、判例の探しごっこ
如何に有利な判例を探すか!
これがもっともっと現実味を帯びてくるだろう。
 
毎年拳銃事件は発生し、そのたびに死者が出ている。
それでも拳銃の管理は行わない。
なぜならば、殺す権利が自由の中に含まれるから。
「死にたくなきゃ、自分の身は自分でも守れ」
これが原理原則だからである。
 
そう言った人種の社会や価値観をどこまで理解して
アメリカを模倣しようとしているのかいつも疑問に思える。
 
差別や非難するつもりはないが、、、
まぁ十中八九、日本人や日本社会とはそぐわないと思うが、、、。
 
「良い処だけ取り入れればいいじゃn」と言うが、、
そんな簡単な事じゃない。
 
光と影は切り離せないのであり、メリットを取り入れれば必ず
デメリットも入るのである。
 
故に独自性を持った姿勢で望む事が大事であろう。
 
これは、、、国の問題だけではなく
家庭、企業、地域と言ったものも同じ事が言える。
 
恐らくどの道のプロになっても同じ事が言えると思うが
ただ単に認識すれば良い、単に取り入れれば良いと言う事にはならないと思う。
 
 
例えば判例にしても、文化面、社会面、時代背景、状況、様々な側面を理解し、且つ様々な側面からの人間の発想、判断と言うロジックを読み解く必要があるはずである。
 
例えば、営業と言う仕事も一緒である。他人の成功例を読み解くには、全てを理解しなければいけない。
 
経営も一緒である。「A社がこれで成功した!」それを取り入れたから成功すわけではない。
 
全ては全く一緒である。
 
 
 
故にアイデンティティーの確立が大きく影響を及ぼしてくる。
 
そもそも自分は誰なんだろう、、、と言う点が大切なのだが、、、
 
これが厄介である事は間違いない。
 
だからと言って何もしないのもチョッと哀しい
 
どんどん多くの国や個人、企業と言ったものが
独自のスタンスを確立してきた時には、、、、
時代は大きく変わるのだろうが、、、、
知的レベルの変化、本能の維持、時代背景、と言ったものの
進捗状況に大きく左右される為、、、、長いなが~い時間を要するだろう。