ワークライフバランス 調和だろうね

若年層の労働意欲が減退か?
とも思われるような、現象は以前から見られる
 
シングルマザーの多忙さや労働環境問題で
労働と生活のバランスのとり方の難しさはよく言われる
 
同時に、独身者達もこの問題に悩んでいるらしい
 
シングルマザー等とは違い、もっと自由な時間が
あるとは思うのだが、、、、それでも労働と生活のバランス
が上手く取れず、職を辞する者達が多いと言う
 
 
この労働と生活のバランス問題は管理が難しい
 
1、調和の境界線が個人でバラバラ
  基準値が定められないだろう
2、昔に比べて豊かな生活環境があり、それが当たり前と
  なっているが故の贅沢な問題でもある
  貧しかった頃は、選択肢が少なかった
3、選択肢が広がった分、格差、相違の面も広がり
  バランスの置きどころが難しい
 
等の問題点があるだろう、、、
 
 
「18:00には、仕事を終え22:00迄遊んで
 豊かな暮らしをしたい」
そう思って、ある程度できる時期は有るのだろうが、、、
 
時期が来れば、生活をエンジョイするにはお金が必要となり
又、働かなければいけない
 
今時の若い世代の思考を見てみると
「面倒が嫌だ」
「苦労が嫌だ」
「辛いのが嫌だ」
それを起点にして、個人の権利だなどと述べている
 
もしくは履き違えた熱意で懸命に走り、息切れをする
 
自分本来の能力や幸福感と言ったものを認識もせず
唯、目の前の暮らしを崩したくないが故に稼ぐ
我が子を他人に預け、労働で生活を維持をする
それが母親としての幸福を満たすタイプの人間なら問題は無いが
本当は違うのに、それを続けると、、、
全てが狂い始める、、、、疲労感も違う、ストレスも違う、、、
 
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人それぞれ幸福感と言う線引きの基準は違う
 
物質的欲求の強い人弱い人
精神的欲求の強い人弱い人
スローライフを求める人
進歩的な生活を求める人
愛に生きる人
金に生きる人
労働に生きる人
楽さに生きる人
自虐的に生きる人
自尊的に生きる人
本当に多種多様の幸福感があり
且つどんな人にも、直進的(進歩、改善、変化)な幸福と
環状線(無難、日常の平和、繰り返し)等の幸福とある
 
問題は、、、、自分には嘘をつけないと言う点だ
 
どんなに「これで良い」「仕方がないさ」「こんなもんさ」と
自分に言い聞かせても、、、、漠然とした不安や何か満たされない
と言う心情になるのである
 
詰り多くの現代人が陥っている症状の一つは
「自覚」の欠如である
 
自分がどんな人間で、何が好きで何を求めて
どう生きたいのか、、、何が嫌いで、どこに苦痛を感じ
変化と平穏の調和をどう取ろうとしているのか
そう言った自覚がきちんとなされていない
 
ありのままで居ようとすると
何かと不都合な現実が立ちはだかる
同時に自分のありのままを維持できない故に
他人のありのままも許せない
 
不都合な真実の前に臆病風が要領の良さに拍車を掛ける
 
変化を求めながら、不都合な現実の前では
繰り返しの平穏な世界を求める
これが直進的、環状線的、幸福感両方持って人間は生きている証拠だ
 
「あぁなんて良い時間なんだろう、今日と同じ日がいつまでも
 このまま平穏無事に続いて欲しい」と言う環状線的幸福感
 
「今日より明日は改善するぞ、他人より良い服着て、楽しい事をして
 良いマンションに暮らし、美味しい物を食べて、、、」
と言うような直進的幸福感
 
その両方を人間と言う動物は所有しているもんである
 
そのなかで、そのバランスのとり方が一様に違い
境界線が千差万別なのである
 
そこに落とし穴があり、、、
自覚をせずに「仕方がないさ」でここまで生きた
 
日々の暮らしの変化の中で、日々の暮らしの比較の中で
人間は自己満足的な幸福感を得て生き延びてきた結果
「何か満たされない」「こんなはずじゃなかった」となる人が多い
 
詰りその方々は得てして直進的幸福感より
環状線的幸福感が強い人間なのに、、、、
それを自覚せず、目の前の現状維持に集中し生きてきた
そして比較論で「人並みよね」「他より良いわよね」などと
比較論で欲求を満たすのである
 
本来自分の幸福とは比較論で図れるものではない
自分には嘘をつけないからである
 
 
もう一度、自分を省みる事だ、、、、
もう一度、自分の姿を客観視する事だ
もう一度、何が好きで何が嫌いか整理してみる事だ
 
善悪ではは無い
 
好きか嫌いかだ!!!
 
何が良い物で、何が欲しい物で、何が必要な物か
明確にする事だろう、、、、
 
特に大切な事は、欲しい物と必要な物を認識する点であろう
 
それは全て一致するとは限らない
と言うより、多くの場合違うものである
 
それがごっちゃになると、、、、、
よい物=必要な物となり
全てが直進的、比較的思考で染まってしまう
 
しかしそれは比較論でしかないので、、
誰かが「うらやましいわ~」「凄いわね~」と
周囲から言われた時には、満足感を得られるが、、、、
唯、それだけのこと、、、、、
 
結局は自分の心がそれを必要としていなかった場合
「なんか満たされないな」「不足は無いんだけどな」
「特に問題がある訳じゃないのに」「どうしてこうなるの?」
と根底が崩れ始める、、、
 
家族の笑顔を、家族の幸福を考えて頑張って
終いには働きづめで、家族との時間を省みず
気付いた時には家族関係が冷え切っている
それでも高級マンションに暮らし、外でも遊べて
多少の贅沢もできて、人よりは良い暮らしに陥っていると
「こんなもんさ」「これでいいのさ」と自己防衛本能が働く
 
夫婦でありながら、、、互いに外に恋人を持ち
子供達は親を尊敬できない
 
それが、本当に自分が望んでいた事なのか?
 
そこが大事である
それが自分は望んでいた事だ!と言えるなら
それで良い、、、、
 
「否違うなぁ」と思えるなら、もう一度省みる事だ
 
ここでも、、必要なものは、知恵と勇気である
 
愚か者にはできないのである