じゆう

自由が少なくストレスフルなイメージがある軍隊。だが、適度に制限のある環境は、実は想像以上に働きやすいという。なぜなのだろうか。
 

刺青問題もそうだが、どうも今の日本人は狭義的思考が蔓延っている
 
 
自由とは、雁字搦めのしがらみの中にある
自由とは、全ての責任を取るから活きてくる
自由とは、孤独と向き合うものでもある
自由とは、知恵と言うエネルギーが不可欠
自由とは、変幻自在の側面もある
自由とは、恐怖を伴うものでもある
 
他にも色々な側面を包括したものを自由と言う
 
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大阪の刺青問題でも「個人の自由だ」「文化の自由だ」
と一面だけしか捉える事しかできない連中が多い
 
役所と言う場所で、老若男女、多種多様の価値観を対応すべき
窓口の者が、己の都合だけで「相手への派慮」「労働している場所」
「税金で給金を得ている」等の責任を念頭に入れてない連中が多い
 
日本人に生まれおちていながら、アメリカ人だ!
貧乏な家に生まれおちていながら、資産家の子供だ!
等と言っているレベルと同様である
 
 
刺青をするしないの「個人的価値観」は色々あって良い
同時に「社会人としての責任」等の集団の中での自由を
認識しなければいけない
 
人間が生まれおちた以上、己一人で生きている訳ではない
親に育てられ、一期一会で世話になった者達、、、
多くの「お陰さま」で生きているのである
 
日本の文化の好きな処、嫌いな処
他国の文化のうらやましい処色々あるだろうが
 
先ずは日本人として生まれた以上、その環境下での
責任は最低限取ららなければいけない
 
どうしても刺青をしたいのであれば、日本と言う国内で
環境的にも、社会的にも、許されるであろう処へ身を置く事だ
 
政治家が「政治家の前に一個人である。故に個人の利益を優先する」
と言って許されるのか?
 
医者が「公人の前に個人である、俺は儲ける医療しかしない」
それで、許されるだろうか?
 
教師が「個人の自由だから、依怙贔屓は当たり前」
と開き直って許されるだろうか?
 
外国で「刺青文化が社会的に受け入れられている」言うが、、、
それは、その一部の階層で、一部のコミュニティーでしかない
 
アメリカ大統領が刺青入れるか?
一般企業のホワイトカラーが刺青入れているか?
 
主にアメリカでも刺青などを入れているのは、、、
元々軍関係だったり、貧困層から這い上がったワーカーレベルであり
スポーツ選手や芸能人や、ある種ファッションを見せる事も仕事の一部である
連中が刺青などを楽しみ、それを見る相手も楽しんでいる
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その一部の世界を見て「世界は自由だ」「世界では刺青が認められている」
等と述べている事自体が、既に幼稚な発想であり、子供が親に対し
「みんな、やっている」「みんな持っている」と言って親に駄々をこねているレベルである
「お前が言っているみんなって誰だ?」と聞けば一部の取り巻きの小さな世界を言っている
 
 
ましてや公務員やサラリーマンや客商売、不特定多数の人間が来るような
環境下に於いて「俺の勝手だ」「個人の自由だ」と思考する幼稚性
 
まぁ幸いにも、日本国内に於いても「大阪刺青問題」は、民衆も
マトモナ判断を下している様だが、、、、、
 
そう言う中でも「自由」と言うものを履き違えたり、、、
「自由」と言うものを一面的にしか捉えていない連中が多い
 
簡単に言えば「自由」とは個人にとって都合の良い面と
都合が悪い面の両面を含んでいる
 
しがらみから、解き放たれる面も
しがらみに、縛らる両面を受け止めて初めて「俺は自由だ」と言えるのある
 
田舎や家庭や、社会の規則や文化を受け止めて
尚且つ、その環境下の中でも容認される様に努めて行動し
始めて「俺は自由」だと言えるのである
 
「他人は関係ない」「周囲の事など気にしてられるか」
等の開き直りは、単なる幼稚な思考でしかない
一般的に「勝手」「我儘」と言われている点である
 
 
 
「良いなぁ自由に職業選べて、自由に好きな場所へ行けて、、
 私は、稼業もあるし、田舎に暮らしているし、親が親だから、、、」
 
と多くの方々が、雁字搦めの環境を嘆く、、、、
 
しかし、よ~~~~く見てみると、、、、
同じような環境下に於いても、可能な限り自由でいる者と
文句ばかりを周囲に言っている連中と、開き直って勝手に
言動を取っている者達がいる
 
これが一個人の生まれおちた環境の問題だけではない
会社勤めの社会人もまったく一緒で或る
 
「社長が馬鹿だからなぁ」
「幾ら言っても変わらないし」
「何で上司は馬鹿なんだ」
「あいつはおかしい」
「客が我儘過ぎる」
等の文句ばかりを述べている社員と、、、、
 
開き直って「や~メタ」と言って辞表出す奴がいる
 
 
そして、その同じ企業内で、上や取引先からの理不尽な要求に
答えながら、可能な限りの改善を確実に、着々と進めて
気が付いたら、思うようにできるようになっていた
と言動を取っている者達がいる
 
 
この生き方、思考の違いは「ほんの小さな違い」である
 
しかし時間を積み重ね、経験を積み重ねた時に大きな違いとなる
 
 
その違いとは何か????????
 
問題の認識である、、、
 
どれだけ多くの矛盾性を受け止められるか
どれだけ多くの矛盾性を理解できるか
 
知恵と強さが不可欠である!
 
故に、、、言葉は乱暴だが、、、
愚か者にはできないのである