死ぬ為の医療

日本政府、日本医学会は延命治療を積極的に行わない事を
既に決定している。
 
最近、マスコミでの情報の開示が始まった。
徐々に、慎重に「死ぬ為の医療」の価値観を広める予定だろう。
 
従来、医療は「生きる為の医療」でり、死は罪であった。
 
しかし、近年金が掛かり予算も無くなり、労働者も減ると言う
現象が表面化した故に、延命治療を「それは本当に正しいのか?」
と言う視点を打ち出してきた。
 
「姥捨て山」的思考が賛同を得始めた。
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現実問題、金がなければ飯が食えない
子供を助ける為に、ばぁちゃんには犠牲になってもらう。
国家、民族を超えて未だに目の前で起きている事実である。
 
人間社会の闇の部分で、中々多くの人間は受け難い事実。
 
かと言って「仕方がない」と開き直るだけの人間も如何なものか!
 
今となってはどうしようもない部分が沢山あるが
この問題の根源は何か?
 
それは「生きる為の医療」を進めてきたエリートが悪い訳ではない
現場で、介護の苦痛を訴えてきた医者が冷酷な訳ではない。
 
人間の矛盾性
物事の矛盾性を否定しあっている事が原因である。
 
このブログのテーマであるが
矛盾は悪でも何でもなく、極自然の事であり
否定したり、隠そうとするものではない
 
生と死の矛盾性をひも解く
生と死の光と影をきちんと理化する事
 
医療の光と影を認識する事
 
年老いる事の光と影
子供を優先に助ける事の光と影
親を優先に助ける光と影
高額医療の光と影
無料医療の光と影
延命の光と影
介護の光と影
そう言った現実の光と影を先ずは認識すべきである
 
どうしようもない「人間の性」とどうしようもない「自然の力」に
我々はぶち当るのである
 
従来はその矛盾と言う現実の巨大な影を見ない為に
利点や良識と言ったもので、影を隠そうと動いてきた
 
しかし、本来は「臭いものに蓋を、、」では何も解決していない
 
多数決制度を見直す時期に来ている
不都合な真実を受け止める時期に来ている。
 
人間にとって最も不都合な真実は「死」である
それは病気であり、生まれおちた環境である
 
現実を受け止める客観性と
現実を変えて行く進捗性の両方が必要なのである。