入口、、、

人間には抑圧の中で「智」を得れるものと「我」を欲すものとがいる
人間は解放の中で「寛容」を得られるもの達が多い様な気がする
 
イソップ物語の太陽と北風である。
 
人間の善の部分に光を浴びせたいのであれば、解放環境が
詰り、多様性の環境が良いのかも知れない。
 
多くの心理学者が述べてきたように、、、
人間と言う動物は、人間として育てないと人間にならない。
これは、非常に危機感のある事実であり、真理でもある。
 
環境による影響度が非常に高い。
 
開放にせよ、抑圧にせよ、恐らく最終的に行きつく場所は
「死」である。
 
その終着駅のそばに行けば、多くの人間はほぼ同様の
境地に追い込まれて行くのだろうが、、。
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最近、、、、、思うが、、、
世の中もっとこうなれば良いのに、、、
こうした方がより良いのに、、、
と考えてきた結論が、、、多様性や開放性、自律性、などの
ポイントがあるが、、、、
人間社会均質化に向かわせると言う事は、多様性が無くなり
開放性が無くなり、自律性も減退する方向へ行くのだろうと
気付き始めた、、、、、
 
詰り、現実の様々な問題、、、
差別に、格差に、殺人、搾取、等々無数の問題、、
これらは、人間が意識的管理できるものでもなく、、
意識的に管理するものでも無いか?と言う矛盾点にぶつかった
 
日本人が培ってきた文化の中での社会作り
欧米が培ってきた社会づくり
各国が培ってきた社会づくりは、全てその人たちが
その環境下の中で、必要とされたやり方が自然発生的に
生まれ今日が出来上がっている。
 
日本式が欧米人に合う訳もなく、逆も又然り!
 
 
情報が拡散する環境の中、既に「日本だから」
「中国だから」と個の存在意識だけでも生きられなくなった
情報と言うもんが人間を管理し始めている
 
知らなきゃ済んだものを、なまじっか知っちゃったから
比較もするし、嫉妬もするし、あこがれもするし、批判もする
 
社会の均質化、人間の均質化を図る為に多様性、開放性を
必要とし、均質化が進めば、多様性、開放性は減っていくと言う矛盾。
 
同様に均質化を図る為に、日本は抑圧、強制、つまりルール、システムだ
欧米は自由と言う個人責任に任せたやり方で来た。
 
結果、日本は「自由」を渇望する
自由である欧米は「管理」を必要とする
 
何とも人間らしい、、、
 
農耕民族と狩猟民族、母音民族子音民族、、
基盤の違いなどで、、、、相違点はあるが、、、
同、人科としては共通点も多い。
 
昔、、愛が欲しければ愛を与え
金が欲しけりゃ、金を与えろ、
と良く言ったもんだが、、、
 
与えようとすれば戻ってくる
 
自由にどうぞって、、、言われれば、、自律しちゃう
ルールを守れって言われれば、守りたくない
本当に人間と言うものは面白い動物だ、、
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で、、この段階での結論
 
抑圧された人間どもには開放政策
解放しきった人間どもには抑圧を与え、、
全体的な相違点を縮め、均質が始まり
安定した社会が形成されて、その後
「激動」の社会が再び来る!
 
歴史は繰り返される、、、
馬鹿だと思うが、仕方が無い、、、
森羅万象、あるがままに、、、
 
内部変化は生じる!
詰り、今の人間どもは、旧人類になる
新型人間が発生してくる、、、
 
発想も、思考も、全てが大きく違う生物が生まれる!
 
人間の中性化は大都市では自然発生する
 
生活文化の変化によって人間は変化を起こす
 
生物学的観点からも、、、
500年後は「オス」が消滅する
 
間違いなく、、、新型人類の誕生になる
 
そして新たステージでの繰り返し、、、
 
螺旋と言う繰り返しの中で、、、、
森羅万象は宇宙の藻屑となっていく。
 
「人間は人間として育てなければ人間にならない」
この真理の裏側は、、、、
「人間を人間でなくさせる」と言う事だ、、、
「智」を得て、、、人間は何千年もの時間を要しながら
従来の人間ではない、別なものの創造へと歩み始めてた訳である。