集団、、、

何故人間は、数が増えると思考を変えるのか?
 
一人で行動している時と
集団で行動している時では
人間の言動に大きな違いが生じる。
 
 
ここが民衆の一番の陰になる部分だろう。
 
都合の良い需要が時代を引っ張る。
 
民衆が恐怖を感じれば
殺人は正当化される。
 
民衆が飢えを感じれば
汚職は正当化される。
 
民衆が不便を感じれば
破壊は正当化される。
 
いつの時代も民衆は時代を動かす。
 
そしてその怪物を手なずけたヒーローは
権力を手中に収める。
 
多くの政治や経済の在り方を
偉い方々が古今東西、今も昔も
頭を抱えて考えている。
 
どのような仕組みがよりベターなのか?
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それは、民衆の管理と言っても過言ではないだろう
 
 
集団化する人間と言う動物を
どのように管理し得て行くのか、、、、、
 
それは、力だけでは不十分。
それは法だけでも不十分。
それは仕組みだけでも不十分。
 
最も効果を期待できる方法は
生活の基盤を補償する事だろう。
 
お金をあげれば良い。
湯水とまでは言わないが
その時代の平均以上の生活が出来る
レベルの資金を配ればいい。
 
今の日本ならば、、、
子供二人の家庭で、年収七百万円
月収で60万円弱、、、
 
その程度のお金を配布しちゃえばいい。
そして労働をしなくても暮らせると言えば良い。
 
どれだけの人間が、何もしない生活に
落ち込めるのか、、、、?
 
お金を、ばら撒くのは不可能でしょう!”
と怒られそうだが、、、、
既存の概念を捨ててみましょう。
 
今のルールを全てご破算にしてみましょう。
 
例えば、一番懸念される「価値の推移」
お金を単純に多くすれば、他国貨幣とのバランスが崩れ
自国のお金のが価値が大きく損なわれる。
これが今のシステムですが、、、、
 
共通通貨は、市場の弾みと呼ぶのか
市場の遊びと言うか、調整可能分を消し
融通が利かなくなり、デメリットが多いと言われているが、、、
なぜ???
それも既存の概念に縛られいるから、、、、
 
元々貨幣は信用制度に成り立っている。
 
全て一斉に調整を掛ければ、どうなるのか?
 
格差は一気に縮めてもいけない!
段階を踏んで、精神的ステップを踏まずに
経済面だけが一人走りをすると精神に悪影響を及ぼす。
 
在る程度の基準に達した国民は、暫く休めばいい。
労働をしなくてよい。
それでもしたい人たちは、労働力を必要としている
場所へ移動し、労働する。
家族を残したければ残せばいい。
生活は保障されている。
生活が保障されるなら、離婚したいと思うなら
離婚すればいい。
 
兎に角、世界の通貨を統一し
世界中の人達に、一定のレベルの
貨幣を配り、生活の保障をすればいい。
 
そんな社会なら、貨幣はいらないだろうと言うなら
貨幣制度を壊せばいい。
 
一度、既存の概念ではなく、、、
新たな仕組みを考えてみる必要性はある。
 
寿命以外で死ぬ事が無くなった場合
人間はどうなるのか?
 
平和で苦労しなくても済む社会が
人間にどのような影響を与えるのか?
 
よくよく考えてみるが良い。
 
面白い世界が待っているかもしれない。
 
既に人類は、次世代へのステップを踏み出す
時期に差し掛かっている。
 
賢者たちよ、、、、
富の分配をどのように行うのか?
 
成り金資本家達の概念を崩せばいい!
 
人は人を管理する。
しかしそれは、武力でも、金の支配でも
法の支配でも、文化的支配でもない。
 
本来の管理とは、、、
空気の様に、感謝もされず
普段意識もされず、しかしそれがいなければ
人間が存在し得ないものである。
 
恐怖でも、不安でもない
限りなく透明に近い色で
限りなく微量な力で
限りなく負担の少ない
存在物である。
 
それが真のリーダーであり
システムである。
 
カリスマ性が無ければ等と言っている様じゃ
幼稚な未熟思考の者達から脱皮できない。
所詮人間は金だよ金!と言っているようじゃ
教育レベルの低さと品の無さをさらけ出しているだけ。
 
限りなく存在感を消し
且つ全ての根源となれるリーダーに為れ。
原始型の人間からの脱皮が必要とされている!!!
ニュージェネレーションの創世期に成りえる今
賢者たる意識のあるもの達は、もう一度考えろ!
既存の概念を切り崩し、新たなシステムを作り出せ!
 
破壊と創造の原理原則は変えられない!