最近さぁ

今回の震災の影響が強いのか
 
寛容さを口にする人が増えてきた
 
相手を許す
悪を許す
罪を許す、、、
 
いいですねぇ
 
そいう気持ちは本当に大事と思います。
 
その感情に包まれている方々は
次の段階へも行って欲しいと願います。
 
「許す」ではなく、、、、
「認める」と言うべきでしょうか??
 
許す気持ちは、「今回は問わないが
存在自体は認めない」とも言いかえられます。
 
寛容さは傲慢さも含んでいます。
 
認めちゃいましょう、、、
全てを、、、、
 
あの人は、、冷たい、、、
この人は、、勝手、、、
あいつは、ズルイ
こいつは卑怯だ、、
その人たちの全てを認めましょう
 
良いじゃないですか冷たくて
問題ないです我儘で!
ズルさも卑怯も必要です。
 
あいつは言っている事と言っている事が違う
 
あの人言っている事とやっている事が違う
 
そう言って日本人は、矛盾を毛嫌いしてきた
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そうじゃない、、、
いつも言うが、、、
 
矛盾は「それで良いのだ~」
 
って言うか、、、
矛盾は、盾と矛、、、
 
でしょ?
一対なんです
セットじゃないと意味をなさないのです。
 
攻めと守り。
どちらか一方だけでは不十分。
 
光と影、寛容と傲慢。
矛盾で当たり前だし、それらはセットじゃないと意味をなさない。
 
そこを認識しましょう、、、、。
 
切り離しちゃいけないよ~~
 
まんま認めましょう
良いも悪いも認めましょう
 
貴方だって、貴方そのものを認めて欲しいでしょう
 
誰もが同じ気持ちを抱きます
 
在りのままに
それは善悪、清濁、両方併せ持った世界です。
 
本来は「3」の存在であって
「2」の存在ではないと思うのですが、、、
 
今は、、、
善悪、光と影、男女、他、、、、
「対」と言う「2」の表現の方が解りやすので
矛盾と言う二つの存在を口にしますが、、、、、、
 
勧善懲悪の世界から一歩外へ出て見ましょう
 
悪を認める為には
自分が先ず悪になる事です
自分の手を汚すことなく悪を認識するのは無理
 
殺人者と貴方の間には、特別違うものは一切ない
 
完璧の悪人はいない
完璧の善人はいない
完璧な人間はいない
 
悪の中に善もあり
善の中に悪も有り
自由の中にも拘束があり
拘束の中にも自由がある
 
単純明解な事です
 
誰もが知っている事です
 
なのに認められない、、、
 
それはつまり、、、
自分で自分を認めていないって事です
 
自分も他人も社会も、自分を認めない
だから気がくるってしまう
 
だから窮屈なんです
 
ストレスのかたまり、、、
 
物質的な欲望はそこそこなのに
精神的に寂しいのは
文化的に貧しいのは、、、、
 
矛盾を認めない点も影響が有ります
 
自分の欠点を気にするな
自分が出来なことを恥じるな
自分の勝手さを愛せよ
自分のずるさを押し殺すな
好きなように、やりたいように生きればいい
 
学校行きたくなきゃ行かなきゃいい
誰かを好きになったら、好きでいれば良い
お互い求め会うなら、求め会えば良い
逃げたきゃ逃げろ
別れたきゃ別れろ、、、
 
そう言った事を若いうちに一杯経験しろ
そして怒られ、嫌われ、傷つき、傷つけ、、
生き延びてこい
そうすれば、まともな大人に成長する
 
人を傷つけた事も無い人間が
寛容さを、愛情を、人に出せるわけがない
 
人を裏切った事ない人間は
人を信用すらできない
信用とは両手離しで相手を見る事ではない
信用にも光と影は存在し、そのリスクとメリットを抱える事が
信用と呼ばれるものである
 
知識と欲望
心と体
本能と倫理
栄光と挫折
賢さと愚かさ
善と悪
全ては一対なのである
全ては矛盾する存在なのである
 
矛盾はごく自然な存在である
矛盾は切り離せない
矛盾を毛嫌いするな
 
この世に男しか存在しなかったら?
この世に女しか存在しなかったら?
おかしいでしょう、、、、
男と女と存在して初めて社会が成り立つ
 
仕事ができる人間と出来ない人間が居て
初めて会社は成り立ってりる
 
表現が乱暴なるが、、、
家庭を乱せる者は家庭を守れる
会社を乱せる奴は会社を守れるのだ
 
兎に角、、、、
光あるところに影がある、、、、!!!