なんでこうなるの?

生活と経済活動は切り離せない
 
災害と同時に企業活動の問題が騒がれている
 
経済を止める訳にはいかない
 
企業活動が止まれば、会社は経営が困難になり
社員の確保が難しくなり、職を失う者が増える
 
生命の危機が迫っている
それでも企業存続の可能性も同時に考える
 
生活の基盤が崩れきっている
それでも企業損益を考える
 
非常に難しい問題ではあるが
ある意味単純な問題とも言えないだろうか
 
災害時に大きく影響が出ている企業活動を
国家指導のもと一時停止し、その間の損失を
国が補助を行う訳にはいかないのか?
 
様々な問題が起きるだろうが
その殆どは経済的問題であって
人間の尊厳に係わる問題ではないだろう
 
生活の基盤が崩れている
安全の基盤が脅かされている
それらは人間の尊厳に係わる問題であろう
 
国がお金で補償出来る範囲は限度がある
故に国債などを発行し補っている
 
他にも何らかの手立てはあるはずだ
 
しかしそれらの国家支援は、後で国の借金として
国民に負担がかかる、。
これを国民はどう思うかだ、、、。
 
恐らく結論は、一定の額まで認める
全額負担はダメだ
と言う結論になるような気がする
 
恐らく国民の過半数が、「兎に角安全な生活の
基盤復興を最優先に、国指導のもとで対策を取れ」
と考える事は今の日本では不可能だろう。
 
様々な価値観があふれ出し
基準を決めらず、管理不能になっている
これがアメリカの言っている自由であろう
自然的に発生する「神の手?」
人間の根底に流れる倫理観を重視し
誰かが管理を行う訳ではなく、自然に発生する
自主的な規制に期待を掛ける
 
それは否定しない
様々な側面の理論に出てくる考え方だ
 
しかし人間が自然発生的な基準値を
創り上げるには時間がかかり過ぎる
国家間、個人間、様々な環境での
経験や思考のレベルが同レベルに達しないといけない
それはほぼ不可能であろう
 
何らかの見えざる手による自主的規律を
期待する考え方には、経験や知識、理解力による
格差を軽視している
 
人間社会、過半数が同じような経験をし
同じような知識を得て、同じような理解力を
得られることはあり得ない
イメージ 1
10人十色
100人100様
 
戦争が始まってもテンでバラバラなのが
人間社会である
 
それを一定の規律のもとに社会を生みだした
 
管理基準を明確にしなければいけない
しかしじゃ誰が決めるの?
じゃぁ誰がリーダーなの?
誰が判断したの?
それの基準値は本当に正しいの?
と迷宮に入り込んでいく
それを端的に短時間で行うとすれば
ナチスである。
 
神の様な独裁者が現れ
客観的な公平な基準値を生み出し
決定し実行する
それでもその神は一定の反乱分子は
消し去らねばいけなくなるだろう
 
じゃぁ神もヒトラーも同じじゃないか?!
そう、、、
同じである。
それが真理である。
 
神は悪魔であり、悪魔も神である
 
じゃぁどうすればいいの?
基準値を明確にしようとすれば独裁者が必要
自由を重視すれば社会に混乱が生じやすい
 
それが現社会の問題である
民主主義も崩れた
社会主義も崩れた
さてどうすればいいのか?
折衷案だ!
 
民主社会主義
自由共産主義
 
で、日本の昔のやり方が
注視されているが、、、、
折衷案が得意な日本は、ほぼ崩壊に近い
自由が蔓延り過ぎた
今の日本は崩壊寸前自由主義国家とも言えそう
 
いやいや、日本は捨てたもんじゃない
現に今回の災害時の対応や振る舞いが
世界では賞賛されたではないか!!!!
日本はまだまだいける!!!
 
賞賛されたのは災害にあった被害者たちであって
第3者の見物客が賞賛された訳ではない
 
関西大地震の時も、新潟の時も
全て直接被害にあった方々は目覚める!
何が大切で、何が優先で、どうすべきか!
明確に自分の中にも社会の中にも生まれる
それは自然災害が生み出した神の手である!
生きるか死ぬか、、、
前に進まなければ何も生まれない環境に置かれ
自然の神に寄る管理下に置かれたからだ!
災害の被害者たちは管理下に置かれている点を
忘れてはいけない。
彼等に自由は然程無い
 
管理下に置かれた人間が如何に自己管理が可能か
その社会も自然に基準値が生まれ、社会も規律を守る
これを我々は認識しなければいけない!!!!
人間とは管理下に於いて活きてくる動物である!!!!