何故人は愛するのか?

結論、、、、不明
 
愛する故に一緒に居たい
愛する故に別れる
愛する故に与える
愛する故に奪う
愛する故に責める
愛する故に責めない
愛する故に抱く
愛する故に抱かない
愛する故に泣く
愛する故に泣かない
愛する故にさらけ出す
愛する故に隠す
 
人の数だけ愛の色や形はある
 
前に生きる意味などは無い
と書いたことがあるが
愛する意味も無いんだろう、、きっと
 
持続させる為にモティベーションが必要なだけで
そのモティベーションとしての理由を創りだす
 
誰かを愛し、自分を愛し、又他人を愛し自分を見つめる
 
幾つになってもその気持ちは絶える事は無いだろう
 
自然に任せればいい
それもまた簡単ではないが、、、
 
 
足掻くのも自然
流れに身を任せるのも自然
 
動きまくるのも自然
山の様に不動になるのも自然
 
自分がしたいようにすればいい
 
自己実現の欲求は消えない
同じ時間を過ごすならと、、、
欲求が首を持ち上げる
 
ドーパンミン等の分泌液の影響や
流れる仕組みは解っても
それが何故起きるのか、
何故「好み」と言うものが発生するのか
結局は解らない
 
好きも嫌いも、結果論でしかない
 
生まれてからその瞬間まで
何らかの記憶、データーの蓄積等よる
生物的反応が「好き嫌い」の感情を創造する
 
同時にそれは一定の方程式は無いだろう
 
否、、、
有るのかもしれない
 
しかし当の本人がその自覚があるか?
と言うとそこに問題がある
 
嫌いだと思い込んでいるだけで
本来は好きなもかもしれない
 
大人しい子だと思ったいたら
非常に情熱的で雑な面を内面に潜ませていた
なんて事はよくある
 
故に意識領域をベースに解明しようとすれば
無理が生じる
イメージ 1
本人に自覚が無いからだ
 
人間の厄介なところだ
 
愛する事も愛される事も
いずれにせよ欲求が求める
無ければ生きていけない事も無いだろう
無感情のまま、、、100%は無理か?
 
例え人間を愛さなくても
動物や他の対象物を愛するかもしれない
 
自由が良い!!と叫びながら
今日も他人の戸口で眠ろうとする人間の性
 
一人じゃ生きていけないなんて泣きながら
二人じゃ呼吸が窮屈になると直ぐにぼやき始める
 
それが人間であり、人間らしくていい
 
愛情も冷めるだろうし復活もある
 
今日はカレー明日はハンバーグ
和食に洋食と、趣味趣向や必要とするものは
日々変化を起こす
 
その変化を否定してはいけない
 
将来からなず結婚の概念は変わる
一人の人間と何十年と付き添うなんて
全員が出来るわけがない
 
それに法的な規制を掛けるのは無理がある
 
現に欧米と日本では大きく家庭や家族
結婚と言ったものの概念は大きく違う
文化レベルの違いだが、、、、
 
今のところ欧米が辿ってきた道を日本は
追いかけている
と言う事は30年後日本も変わる
 
いつも言うが善と悪なんて概念は
その時代時代の多数派の民衆によって
作り上げられる都合の良い概念だ
 
戦争になれば殺人は問われない
お金を中心とした社会ならお金は常に崇拝される
愛情なんて概念も時代時代によって変化を起こす
 
自由だ民主主義だなんて騒いじゃいるが
自由の恐怖と、民主主義の影が濃くなれば
必ず管理社会を望むのが民衆である
 
それらに振り回せれずに一人一人が生きれる様に
なった時に、新たな概念が生まれ、創造される
 
愛するなんて行為も、時代の影響を隠せない
 
先人達が命を掛けて言い伝えてくれたように
個人が出来うる事は、決して後悔しない事だろう
それしかできようがない
 
不倫だろうが、浮気だろうが、歳の差だろうが
結婚だろうが、別れるだろうが、様々な愛情の
色形、匂いと言ったものが存在して当たり前で
画一的に決めるものではない
そして個人が思った様に人を愛し、自分を愛するしかできない
 
傷つけあう愛もある
舌を噛み切る愛もある
春風の様な穏やかな愛もある
涙だらけの情熱の愛情もある
 
誰がカルメンは可哀想と言いきれる
恋多き女として幸せだったかもしれない
ピアフを誰かが裁けるのか?
ピカソを何かが裁けるのか?
 
そんな事は出来ない
 
思うように愛せ
思うように憎め
思うように悩め
思うように泣け
そして思うように笑えばいい