夫婦の会話

夫婦の会話が話題に出た。
 
日本と欧米では根本的に夫婦の会話が違う。
 
映画で見られる様に、欧米の夫婦は良く話す
それに対し、日本の夫婦には会話が無い。
これを批判する人がたまにいるが、卑下する必要はないと思う。
 
家族や夫婦と言う認識も形態も違う訳で
比較検討するものではないだろう。
 
欧米は狩猟民族。
日本人は農耕民族。
 
狩猟は今に生きるし、農耕は未来に生きる。
 
農耕は種を捲いて、面倒を見て、収穫時期を迎える。
春には秋を見据えて行動を始める。
狩猟は今、目の前の獲物を狙うのみ。
今逃したら、次は無い。
 
夫婦も我慢して苦労して、長く寄り添う
何時か笑う為に努力をし、創り上げていく
故にそこには、無言の会話が流れる。
時間を長く共有した者にしかできない芸当だ。
 
だから会話が少ないからと言って卑下する必要はない。
 
勿論、愛情とは何なのか?
と言う問題とも切り離せないが、、、。
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欧米は今一緒に暮らしている人が家族です。
日本は別居していても、家族は婚姻関係もしくは血の
繋がりがある者を家族として認めます。
社会がそれを認めます。
 
前に向井千秋さんの本で、同じ事を読んだ。
スペースシャトルの打ち上げ前のパーティー
(万が一の為に最後の家族の晩餐の意味が含まれているが)
これに呼ぶのは当然乗組員の家族である。
 
日本人は血の繋がった親、子、もしくは婚姻関係のある者
欧米人は、今一緒に暮らしている人。
それが彼女でも誰でもいいし、それを社会は家族とし認識する。
これだけの違いがある。
 
 
 
 
点は線の原点、線は面を構成し、物事は出来る故に
今の結果が未来なのだと言う認識。
今を笑って暮らせば、それが自分の人生の歴史になる訳だ。
刹那主義とも違うと思うが、、。
 
日本人は到達すために生きる。
未来へ生きるのだ。
今じゃない。
今苦しくても、悲しくても、先へ向かって努力し
目標を達成する事に意味を見出す。
 
故に愛情の概念も影響される。
 
愛情を育て育む日本人と
愛情を今に必要とする欧米人。
 
ただそれだけの事だ。
 
どちらが良いとか悪いとかの問題じゃない。
 
長く時間を共有すれば情が湧き
いつかしら、それは愛情へと変化する。
未来がほぼ確実に来ると言う環境故の発想だ。
 
明日死ぬかも知れないのに、いつの日かなんて
言ってられないよ!先ずは今を優先さえないと!
これが狩猟民族のベースである。
 
 
夫婦と言う概念も形態も違うものを
比較し自分を卑下するのは止めよう。
まるでウサギとカメを比較して、カメが偉いとしか
認識できない、狭義者のやる事だ。
 
男と女は根本が違う。ウサギとカメも根本が違う。
日本人と外国人も根本が違う。
その根本を認識せずに比較検討するのは御門違い!
 
人それぞれに、人それぞれで生きれば良い。
 
みんな違って当たり前。