永遠のテーマ
恋愛至上主義(れんあいしじょうしゅぎ)とは、恋愛を人間における最高の価値と考える思想・思考形態を指す。結婚後であったとしても、恋愛の情熱が無くなれば別れることを選び、また他の異性と恋愛に走ることもやむを得ずとする主義である。(ウィキペディアから抜粋)
まぁ世の中、基本的には男と女しかいないわけで
どんなに時代が変わろうと、人が人を愛する気持ちは
未来永劫続くだろう
倫理が幅を利かせば、不倫は悪となり
自由が幅を利かせば、それは解放となる
これまでに、どれだけの男女が恋愛劇を繰り広げたのか?
今こうした瞬間にも、劇は熱く燃えているだろう
この様な物語や、過去の人物の人生を垣間見た時
いつも感心させられる人部達がいる
例えば鹿討(ししうち)豊太郎
妻は島崎藤村を愛していたらしい
勿論島崎藤村も彼女に夢中だった
しかし二人は結ばれないままに人生を歩く
結果的には豊太郎の妻、佐藤輔子は
若くして死亡するが、夫は結婚中も妻の死後も
彼女を愛してやまなかったらしい
妻は常に藤村の写真を懐に忍ばせていたが
夫はそれを知りつつ、攻めも非難もせずただ愛した
死後も墓参りを欠かさなかったと言うから、関心する
勿論様々な見方はあるだろう
もしかすれば、もっと冷めたものかも知れないし
もっと傲慢な事だったもしれない
いずれにせよ、簡単に出来る事ではなかろう
人が人を愛するとは一体何なのか?
一方藤村は、佐藤輔子に対しては純愛を見たが
実生活では島崎こま子と近親姦を起こしている
現在では、藤村は精神を病んでいた?との見方もあるようだが
愛の為に死すのか
愛の為に生きるのか
愛した人が偶然、やくざだった
愛した人が偶然、同性だった
愛した人が偶然、犯罪者だった
愛した人が偶然、既婚者だった
愛した人が偶然、、、、、、
ただそれだけ、、、
しかしそれらは、非常に生き難い
古今東西昔から、それらは非難の的である
その為に命を落とした人間は数えきれない
その者達を、さげすむのか
その者達を、憐れむのか
その者達を、どう思うのかは人それぞれ
命かけるまでに人を愛する者もいれば
そこまでは、愛に夢中になれないと言う者もいれば
十人十色、、、、、
愛憎が複雑に反射すれば狂気もでる
永田洋子が死んだ
連合赤軍の14名を殺した女だ
彼女は14名を殺した夢を見ないと
瀬戸内寂聴に伝えたらしいが、、、
彼女は間違いなく普通の女だったと思う
いつも言うが凶悪犯罪者と貴方の間に特別な物はない
全く同じ人間が、貴方と同じような優しさを持ち
貴方と同じような痛みを持つ者が偶然犯罪者になるだけだ
孤独過ぎても、集団に属し過ぎても
人間は狂気を帯びてくる
そこに恋愛が絡めば、よりドラマティックに色づく
佐川一政もいる
今、苦しい愛を持つ者たちよ
その想いを潰すことなかれ
愛すればいい
愛したいように愛すればいい
今、楽しい愛を見ている者達よ
その想いを大切にせよ
愛すればいい
そのまま愛すればいい
愛は未来永劫、人間を悩ます
500年後にはオスが消滅し
新たな人種が生まれるらしいが
それでも愛は人類を悩ます
なぜならばそれが生きる幸福の一つあであるからだ
例えそれが苦しくても悲しくても痛くても
それが幸福の一部であることには変わりが無い
そして人は自由を望む
自由も幸福の一部である
愛と自由と責任と義務と全てが幸福の一部である