管理

人が集まれば様々な問題が生じる
 
困った問題だが、避けられない
 
家庭だろうが会社だろうが国家だろうが
人間が集まれば問題を起こす奴が出てくる
 
価値観の多様性
精神の自由
 
様々な人権がライトを浴びる
 
 
集団を平和に維持するためには
ルールを決めて一定の枠の中で
一定の規律の中で暮らすようにしなければいけない
 
我が家には我が家のルールがある
我が社のルールに沿って、、、
我が国法に照らし合わせ、、
 
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さてこの矛盾をどう扱う
 
自由と管理
 
多くの日本のマスコミは
他国がどうのと息巻いているが
他国の心配より自国の心配をした方が良い
 
 
自由だ自由だと叫んだ結果
挨拶もできぬような若者が育ち
国家に対する義務も意識しない
国民が増え、、
一体どうするつもりなのか?
 
アメリカだって自由の国と言いながら
他国にはアメリカの価値観を押し付ける
 
中国はまだ押し付けてこない
 
民主主義が良いと誰が決済できる
 
いつも言うが多数決は現代にそぐわない
 
精神の自由
言論の自由とは響きが良いが
 
結論は、あくまで枠内での話だ
 
つまりは基準の問題となる
 
じゃぁ誰がどのように基準を作るのか?
 
そんなものは結局出来ない
 
日本の基準は世界では通用しない面がある
世界基準は日本にそぐわない多々ある
 
当然アメリカや中国などの基準は
彼らの基準であり、基本的に第三者
あぁだこうだと騒ぎたてる問題ではない
 
日本はあくまで日本の基準で
思考を巡らしているだけ
 
故に日本の価値感で日本の基準を
世界に対し主張するだけ
 
そうなれば、世界各国が各々の基準を
主張し始める
 
結果は見えている
 
国家の背景によって
必要なモノ、生まれている価値観は
全く違ってくる
 
小学生に大人の理論を理解セよ
と言っても無理な面があるように
国家間でも同じこと
 
3000年の歴史の国と200年の
歴史の国と、アジアと欧州
狩猟民族に農耕民族
そんなもの達が、画一的に
価値観が統一される訳はない
 
中国はそれを知っている
 
ノーベル賞の問題でも
中国にしてみたら正しい理論だ
「受刑者を表彰なんて!」
 
世界は
「彼はいい人だ」
と勝手に言っているが、、、
 
だれが本当の事が言える
 
欧米の押しつけに呑みこまれるな
 
言論の自由だと言いながら
中国の言論をつぶしにかかるのは
あまりにも勝手すぎる
 
だから多数決は危険なのだ
 
自由を叫ぶなら
右も左も、上も下も
赤も白も、共産も民主も
全てがそれぞれに存在すべきである
 
自由を叫びながら
価値観の画一を図る奴らの
勝手さを許してはいけない
 
自由と管理のバランスと言うならば
反対意見や違う価値観を悪と弾くことはできない
基準は自国に委ねるべきで
一つの基準に落とし込めるはずがない
 
結局は無理が生じる
 
鎖国が良いか
画一的な価値観で統一するのか
結局はその両面を取るしかない
 
基本的な大まかなルールは
世界的に基準として決め
手段方法、主義主張は自国に
委ねるしかないのである
 
ノーベル賞も光と影がある
ノーベル賞を良いと言う人も
疑問視する人もいるのである
 
当然、都合のいい人悪い人が
いるのである、
 
 
非常に危険なのは一方的な
偏見的なモノの見方しかできない
奴が増えている事と、それに仕向ける
様にジワジワと罠を仕掛けている奴が
相も変わらず正義面している点だ
 
善と言う武器を手に如何にも
救世主の様な顔で殺戮をする
己の庭先に影響が無い故に
人ごとに客観視している愚かなるもの達
 
非常に危ない環境が徐々に出来上がっている
 
管理と自由をどう扱うか
管理が無ければ自由は無い
自由が存在すれば管理を必要とする
 
他国をあぁだこうだと言う前に
日本の管理はどうなっているのか
日本の自由はどうなっているか
それを良く知って自覚したほうが良い