しつけ

躾と虐待の境目はどこか!
 
これは非常に厄介な問題だ
 
最近巷で逮捕されている虐待両親
 
実際に当事者の話を聞くと
真剣に躾の範囲と判断しているらしい
 
子供を物の様な扱いで殺す
ケースは思っているほど多くはなさそうだ
それだけも救われる。
 
海外では、虐待と言えば、躾とは無関係で
単純に酷い扱いだ
親も、子供とは思っていないケースが多い
 
結果は似たようなものでも、気持の違いはあるようだ
 
「躾と虐待は違うだろう」
「子を殺すなんて信じられない」
と単純に片づけられない事実も見え隠れする
 
小さな子が、食事をとらない
両手で食べ物を散らかし遊ぶだけ
「食べ物は口に入れるもの、遊ぶものではないのよ」
 
何度言い聞かせても治らない
 
母親だけの注意ではダメなのか
男親の助けが必要か、、
 
手を叩く、大声で怒る、、、
それでも中々治らずに、、、
 
どうして良いのか解らず対処が狂ってくる
 
「子供好きにさせようかしら、お腹がすいたら
 食べ始めるだろうし、、、、」
放置対処の始まりだ
 
気付いたら、、、、子がぐったりしていた
 
食べろと言っても食べない
お腹が空いても食べない
 
いつしか親の神経は滅入ってくる
イライラが増大し、、、判断が狂ってくる
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子育ての経験者は解るだろうが
本当に寝ずに手を拱いていれば
寝不足も重なりイラつきは極限になる
思わず赤ん坊を叩く、揺さぶる、ベッドに放り投げる
アっと思った瞬間、酷い事をやってしまう
 
殆どの親は、大なり小なり経験しているだろう
特に男親は、、、、
 
理屈が通じない、、、
言っても言う事を聞かない
そう言う相手に、どう対処するか
 
切り口を変えれば
北朝鮮、中国、、他の諸外国への対処と同じだ
 
北をつぶせ、中国をつぶせ、、
常識が通じないなら戦争だ
などと思うなら、虐待をした親と同等だ
 
話しても、諭しても、煽てても
相手は動じない。
 
自分の思った通りにしか行動しない
 
所詮人間は、対峙する側への対処が下手だ
 
会社でも政治でも、反対意見を主張する相手に
辛抱強く、話し合いで対応できる人間は少ない
 
まだ政治なら、数の理論と言う武器がある
仕事でも開き直りや、圧力や手段方法はある
 
しかし子供となれば、大人は武器は無い
 
 
おまけに幼稚性が抜けていない親は
子供に対して「キレル」
これを単純に親のせいにはできない
 
企業で反対勢力をつぶそうとしている者
北や中国、韓国などに強制行動を訴えている者
男女間で一方的に言い分を押し通す者
それらの者達は虐待を非難は出来ない
 
犯罪者も貴方もさほど変わらない
馬鹿な親だと切り捨てる者達よ
その浅はかさを省みろ
 
矛盾を矛盾として受け止める思考を持て
右も左も、光も影も、善も悪も同じものである
 
少なくても英国などは日本より精神文化面は優れている
 
犯罪者を犯罪者として弾かない
罪人と自分は同類の人間であると言うスタンスを保つ
故にシステマティックな環境を整える
人間の罪が出にくい環境を整える努力をする
 
若者が、、経験の少ないもの達が
偏見を抱くのは、合理性からの影響がある
生産性、効率性の問題でもある
 
よりベター、無理無駄ムラを無くす思考だ
使いようによっては便利なものである
しかし使い方を間違えると、キレルと言う言動を
引き起こし、対峙す者達をつぶすと言う行為に出る
ナチスである
ナチスは世界に大きく貢献した面も沢山ある
何も悪の集団ではない
しかしあまりに合理的な思考が飛び出し
悲しい結果を導き出した
新撰組もそうである
合理性から仲間を斬首
言いかえれば結果の為には手段を選ばず
日本のサラリーマンが美徳とする点だ
そんな国民が生きている社会
親が子を殺す、子が親を殺す
当然の現象である
 
虐待の問題は、この合理性の思考と
不合理の得、愛情の光と影
幸福の光と影などの、多くの矛盾を抱えている
 
それら全ての矛盾を切りはし、合理的に片づけようとすれば
するほど、虐待は広がる
自分で自分の首を絞めていく
真綿でじわじわと絞めるかのように
自分を追い込み、手を出してしまう
生産性向上を叫ぶ前に無用の要を再考セよ
 
虐待を単純批判する前に合理性を疑え
虐待を批判す前に愛情を疑え
虐待を批判するまえに己の未熟さを知れ