タイ騒乱

巷でタイ、バンコクの騒乱が先週話題になった
 
前回のクーデターの時もそうだが
タイの民主化が問われる記事が多い
 
特に欧米は、軍の介入には敏感だ
 
以前にも書いたが、民主化、民主主義と簡単に言うが
何が民主主義か明確にしていない
 
多数決は民主主義なのか?
お金で投票を買い取る慣習は民主主義なのか?
 
外国の実態をどこまで把握した記事なのか解らないが
民衆を一定の方向へ導く記事が多すぎる
 
今回の記事でも、低中所得者層の赤組が
高所得者の黄組に対し怒りをぶつけた
と言うような記事が多い。
 
つまり、虐げられた貧困層が、怒りの行動に出て
それを最終的に、強制排除した
と言うような海外の記事が多い。
 
嘘は書いていない
確かに一部の人間に富が集まる図式は存在する
しかし、それはタイだけに留まらないだろう
日本だって他の国々でも、そこの矛盾は存在する
 
貧富の格差問題は、タイだけの問題ではない
 
同時に今回の暴動に参加した多くの人たちが
日当を貰って雇われている事実も大きく言われていない
 
女、子供を前線に人質的扱いで、担ぎ出した
非人道的な行動も然程非難されていない
 
2か月の間、国内を騒乱に持ち込み
強制退去させられなかった事実が消えている
 
もし、これが日本、アメリカで起きたならば
政府は2カ月も話し合いを続けるか?
 
今回の政府対応は、紳士的過ぎるほど
いら立ちを感じさせた部分もあるほどだ
 
タイ国内のテレビで、今回被害に遭われた
一人の女性がTVカメラに向かって叫んでいた
 
「何故、罪もない一般市民のお店を焼くのか、
 何故罪もない人々が犠牲にならなければいけないのか」
 
今回焼きつくされた多くの商店、、
デパートや路上商店が多くの被害に遭った
 
虐げられたはずの紅組は暴徒化して
罪のない市民に被害を与えた
イメージ 1
 
結局いつの時代も、どの国でも
リーダーと呼ばれている連中は政治的な
駆け引きの中行動している
つまりは損得で動いている
 
特にタイでは、経済的格差も然りだが
思考の格差も酷い
 
高所得者層と呼ばれている人たちの多くは
知識人が多い。一定の教育レベルを受けている
故に、その見識は合理的でマクロ的な部分がある
 
しかし低中所得者と呼ばれている人たちは
そんな教育をあまり受けている様には見えないし
生活の環境が、経済だ、国の繁栄だなどと言う
マクロ的な発想をする環境にない
 
ここに今回の最大の問題点が存在する
 
意識の格差が大きすぎる
 
一日微々たるお金で暮らしており
日本円で1万円も貰えたら、それだけで
幸せと感じる人たち。
タクシンはそこを突いた!
貧しい人たちにお金をばらまいた
一人頭にしたら少額だが、兎に角お金をばらまいた。
貰った貧困層たちは、彼を良い人、良い政治家とあがめた。
 
お恵みを与える政治家が、良い政治家なのか?
 
これが、中高所得者達の言い分だ
彼はとんでもない搾取をしていた
政治の力を利用し、私腹を肥やす為に動いた
その私服のほんの一部を、貧困層にばらまき
票集めをして良い気になっている
 
 
お金をもらえれば、良い政治家と崇める意識
それは不正だろうと咎める知識
 
ここに問題のコアがある
 
人間の愚かさでる
 
日本でもそうだ
おらが村に道路や橋を掛けてくれれば良い政治家だ
 
然程意識は変わらない
 
しかし、日本ではあれだけ民衆の愚かさに付け込んで
地位を確立した角栄さんも、有罪となり政治家を辞めた
どんなに利益を還元しても、有罪になる土壌がある
民衆の意識の中にも、不正は不正と言える意識がある
 
世に言う常識と言うやつだ
 
しかし世界には、この常識が無い国々がたくさんある
 
盲目である
 
タクシン問題も同じである
タイの田舎に行き、タクシン派の人々に
タクシンの疑惑の事実を語っても
「あの人に限って、、」
「それはでっちあげだ、、」
取りつく島も無い
 
常識が通じる国々では
同じような事を聞けば
「まぁもし事実なら、不正は不正だな」
「それが事実なら、身を綺麗にして出直して欲しい」
と言うような回答になり、まだ話し合いの余地はある
 
結局意識格差が大きすぎて
話し合いがなされない
 
例えで言えば、大人と子供の会話だ
子供に幾ら常識を解いても、泣いて喚くだけ
ふてくされて横柄な態度を取るだけ
 
相手が子供だから、大人も我慢するが
大人同士だったら喧嘩になる
結局、ここが問題点である
 
話し合いの出来ないレベルをどう管理するのか?!
 
今、日本の社会もこれに近づいて来ている
 
個人尊重だ
個人の自由だ、、
などと自由だけがもてあそばれ
責任が伴わない言動が闊歩する
 
仕事も出来ないのに怒られればパワハラと叫ぶ
己の愚かさを棚に上げて、指導する側の責任を問う
己の弱さを棚に上げ、強きものを恐怖と慄く
 
手を付けられない
 
この意識の格差は今後世界で大問題になる
 
知識が一気に流れすぎた
情報が一気に流れすぎた
 
それを浄化できる知能を持った人間と
それらを汲み取る知恵を持たない人間と
大きく分かれてくる
 
知識人は管理経済を求め
無知人は自由を求める
 
人間が全て同レベルの人種と考える方が間違いだ
 
環境が違う、教育が違う、知能が違う
それらを平等に扱う事自体が不平等だ
 
知識レベルでも、真の平等を考えるべきだ
 
人間を図る方式が現代はない
 
知識量を測る方法があるが
質を図る方法が無い
 
人間性や、知恵、、
それを図るものが無い
そこが問題だ
 
知識量ならメモリーに任せればいい
 
問題は解読だ(最近解読も怪しいが)
知恵、知能、人間性、、、心だ
 
これを何らかの方法で数値化し
確固たる社会的構造を考えなくては
知恵を持つものと持たざる者の格差は広がり
終いにはタイと同じような問題が勃発する
 
お金の格差が何時も問題になるが
意識の格差も同様に問題視されなければいけない