日本女性

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日本女性と言えば大和撫子

そう言うと、一部の女性達から批判を受けそうだが、、

1959年児島明子がコメントしたその姿勢に
日本女性の、清楚で凛としたその姿が世界へ強く印象を与えた。

花の名前は、ジュピターの花と言う意味から来ているらしい

花言葉は気高さ、堂々とした、、


恐らく男性側の希望的観測も多く含んで
この言葉が独り歩きした故に、女性側から
蔑視観念が生じ、同時に大和撫子風になれない
タイプの女性から見れば、ステレオタイプ的な
女性像を壊す必要性も生じたのだろう。



決して薔薇のように派手では無いが
可愛く気高く凛としたその姿は、決して
蔑視する観念を生まないと思うのだが、、。

蔑視するその心は、型にはめようとする心
それ以外をはじこうとする心であって
女性を大和撫子に喩えて観る心では無いのに
何故か大和撫子と言う言葉自体が蔑視の対象になった。


昔を懐かしむ思い
無いものを求める思い

それらが相絡まって
子供の頃に夢見ていた女性を求めてしまう。



様々な国にへ行く機会があるが、、

得てして、貧しい国々の中に
慎ましく凛とした女性達はいる


経済的に発展した国々に探すのは非常に困難


それは欲望にも関係すると思える


社会進出や仕事の楽しみや
家庭の中では見れない喜びが
外の世界には沢山ある

それらを知った女性達は
帆を高く張って海原へと出て行った


その勢いはもう止まらないだろう


500年後?には男が消滅するという

将来子孫をどうやって継続するのか

人間の身体の構造も変わるのか?



男と言う動物はやはり女性に求める点が多い

それは身勝手な部分も多く含むだろう
それは期待を含めてもいるだろう

しかし、、

現に撫子のような雰囲気をかもし出している
女性が実際に存在することも確かである

少なくて明治大正昭和初期の方々の中には
数多く、その様な女性達が居た。

男も同じだ、、、

威圧せず、優しく、強い男性達が、、、


男女平等を叫ぶ事は必要だが
それは男女を同じ様な姿にする事ではない

男女平等とは、男女を男女として
存在させる事であろう
つまりは、男らしく、女らしく、、、

それが平等へと繋がる面もある

其処を見落とし、一面だけの平等性に集中すれば
歪んだ世界へと繋がってしまう。


平等とは同化ではない

金持ちも貧乏人も同じ権利を持つ
同じ発言権をもつ、そして蔑視されない
頭脳派も肉体派も、どちらも大切
足の早い子、遅い子、どちらも大事なんだ

それを皆を同じ様な収入にしたり
金だけが世の中の基準になったり
暴力がはびこったり、知識だけがはびこったり
足の速い子が良くて、遅い子は駄目と思ったり
成績が良い子が良くて、悪い子は駄目と
思う心がいけないんだ


女性は女性らしく、男性は男性らしく
金持ちは金持ちらしく、貧乏人は貧乏人らしく
賢者は賢者らしく、阿呆は阿呆らしく
皆が違って、等しく存在するべきである

みんなちがって、それでいい
男と女はちがって、それでいい


大人たちの僻み根性が
間違った平等意識を子供に植え付け
平等と同化、援助と充足、などが
ごっちゃになった認識が勢いづいている
自分が自分である為には

女らしく、男らしく生きることから今は始まる