不気味な存在

イメージ 1

世界中に日本製品や文化?マンガや茶道、お花に着物、、、

色々なものが氾濫している。

同時に日本の物だと認識されていないケースも多い。



何時も情けなくなるのは、、、
日本や日本人と言うものを
殆ど理解されていないことだ、、、、。

極東、、、


東の端に小さな島が、、、



日本人も中国人も韓国人も
白人から見れば、全て一緒、、、


でも、逆も同じ、、
日本人は全ての白人はアメリカ人か
イギリス人と思っている、、

ドイツ人、ノルウェー人、等など
見分ける事ができるか???


それと全く同じこと、、、

当然ヨーロッパの国々の詳細なんて
殆ど知らない、、、


知らないものが進入してきたら
攻撃をかける、、、
自然の動きである。


差別や暴力が未知の
生物に襲い掛かるのは当然の事である


新しい試みを行っても
必ず批判が出まくるのも当然

現状を変えようとしても
必ず変えたくないという抵抗が
生まれることは、極自然のこと



人類が理解し合えたり
人類がお互いに認め合ったり
それは、ほぼ不可能に近い

それを認識した上で努力を積重ねる
事が大切なのである


努力をすれば相手に気持が
必ず伝わると信じ込むな

話し合えば、必ず道は開けると
単純に信じ込むな


たとえそれが日本人同士でも
ましてや外国人となれば、、、

まして白人などは、今でも
有色人種を猿レベルと考えている

決してそれは、彼らだけが
非情の人間と言う事ではない

歴史や教育などの影響で
認識の起点が根本的に違う
それを理解しようとしても
簡単ではない。


昔から日本の物は世界で
認められているが、日本人は
尊敬の値にならないと嘆かれているが
それは、極自然のことであり、日本人が
尊敬されるには、まだまだ時間が掛かる



勿論個人レベルで言えば
これに限らない

どの国でも親日派はいる


兎に角結論は

話せば解るとか、努力は報われる
等と単純な思考は止めた方がいい

しかしそれは、信じることや
努力をすることを止める事ではない

信じることや努力することは
己の責任下である事を認識せよ
と言う事だ


話せば解るとか、努力すれば報われる
と言う思考の背景に、相手に依存する面が
隠れている
依存心の現れである

だから、何回話しても伝わらないと
今度は相手を攻め始めるのがおち。

相手と理解し合えるのが目的で
話し合いをしたのに、終いには喧嘩だ

これが、幼き言動である

依存心が強すぎるとこうなる



日本人は兎に角依存心が強い


和を尊び、相手を尊重する
これが依存心を良しとする


そう、、、
依存心を否定し始めると
日本人の良さを削ってしまう



しかし忘れてはいけない事は、、、

どんなに貴方が日本の文化を
日本の良さを否定し削ったとしても
貴方の中の日本は、無くなる事は無いと言う点だ

DNAが全て切り替えない限り
日本人の血を失くす事は不可能!


だから自己否定を怖がらずに
時には、自己否定をやってみることだ

怖がってはいけない
自己否定を行うと、、、
人間は恐怖にかられる、、

「自分は何?」
「生まれなかった方がよかった?」
「存在しないほうが良い?」
等と被害妄想的な思いにかられる

それは怖さの裏返し、、、

恐怖と言うものを直視できない抵抗が
一種の開き直りを起こし、恐怖心を消し
その絶妙なバランスが、被害妄想的な思いを
起こし、悲劇のヒロインとして自己正当化に
首の皮一枚、なんとか繋げると言う事だ

それが上記の現象である


恐れるな、、、
失うものは何も無い
自己否定を怖がるな、、、


そして見えて来るものや
感じるものが生まれてくれば
そこで均衡が取れ始める


自立と依存
の絶妙なバランスを取れる


日本人はあまり信心深くない
と言うか、宗教活動が生活に
入り込んでいない

欧米は宗教活動が生活に
どっぷりと入っている
それによって、自立と依存の
バランスを保つ役割を担っている
側面がある


日本人は依存心は立派に持っている
多少自立心が弱い、、
だから自立心をもう少しだけ
強く意識した方が、結果、、、
貴方が望んでいる方向へ人類は向う


しかしそのちょっとが、非情に困難
簡単には出来ない
それでもやり続ける


継続が最も大事で
最もエネルギーを消費し
最も困難な事柄である


言っておくが、単なる消費と継続は違う

だらだら続けるだけは、消費であり
目的に向かい困難に立ち向かうのが継続である