日本と言う国
昔、日本人の脳の使われ方が他国の人たちとは違うと書いた本が有った。本当かどうかは知らないが、生活をしていて「確かに」と思われる点は多々ある。
元々日本人は、閉ざされ気味の国や村の社会で、自分達で深く考え、自分達で経験し話し合い、オリジナリティーに富んだ価値観や社会環境、決まりなどを構築していた。
しかし開国がなされカルチャーショックが人心を突いた!
「百姓が国のトップだと?」
「皆平等たと?」
「ブーツ?」
なんじゃそりゃ~~~
有り得ない世界が外に存在すると知った
日本のオリジナリティーの中で、押し込まれていたマイノリティーが立ち上がり、何時しか横展開が大きく波紋を生み、諸外国の外的要因も重なり維新が起きる。
明治の初期中期は混沌とした価値観世界があったように思える
右も左もアカも自由も保守も、様々なものが元気だった。
楽しかったろうなぁ、、
皆で喧嘩しあい、言い合って、いがみ合って
それでも毎日会う。
毎日一緒に飯を食っては喧嘩する。
「なぁにぃ?隣のクソ親父だって?ほっとけ、くたばってしまえばいいんだ、あんな奴は」と言いながら何か実際に有ると、懸命に面倒を見合う。
見事に均衡を保って、自由で平等だ!
当時の白人が「凄い国である」と驚嘆するのは当然だ
自立をして独自の文化を確立し、光と影が、矛盾が矛盾として
キチンとバランスの取れている世界を確立した国が世界に
ましてや、こんなアジアにあったのか?
「やばい、、」白人はそこに結論を見出した。
当然国力は増す!そして戦争へ、、、、。
日本の衰退が始まったと思う。
それは軍国主義とかナショナリズムとは関係ない
日本人一人一人の「欲」
結果を達成するという「欲」に起因する。
目的の為に手段を選ばず、目的の為に生きて、目的を達成できないものは社会からはじかれ、目的主義者以外は非国民として疎外されていく。 --しかし忘れてはいけない、戦争一色に染まった国の中でも、反戦を命を懸けて説いた日本人は居たのである。男も女も、殴られても、疎外されても、警察に拿捕されようが、街で非国民となじられようが、「殺人は、戦争は良くない」と胸を張って生きた日本人が居た事を忘れてはいけない。この時代は、、まだ居たのである。
高度成長時代も同じ。稼げ稼げ稼げ、堕落したものは非国民。誰のお陰で飯が食えてると思っているんだ。誰のお陰でTV、洗濯機、掃除機、炊飯器が我が家に有ると持っているんだ!怒涛の如く言葉や平手打ちが女や子供達を襲う。
それでも物が増え、新しい物に切り替え、生活が便利になり、車が来て活動範囲が広がった。生まれてこの方、隣町が精一杯だったのに、北海道から九州まで、後に沖縄返還、自由為替と移行すれば、ハワイだアメリカだ、どんどん世界が広がり目の前の風景が年々変わっていく。何時しか殴られた痛みは消えていく、、、、。「これでいいんだ」「仕方が無いさ」が、国民一人一人の心中で巨大化する。
お国の為、街の為、家族のため、、、。
「かぁちゃん、せめて雨風防げて、子供達が安心して眠る家を建てような」「せめて皆がのんびりくつろげる広めの家を建てような」「みんなでテレビをのんびり見れる居間が欲しいなぁ」
初めはそんなところから始まった、、、、
それなのに目的主義のデメリットが大きく影を家庭内に落とす。
父ちゃん留守で金をくれればいい
かぁちゃん今日も若いツバメとラブホで決める
子供は冷たい食事で、ゲームを楽しむ
この姿が日本人が求めた世界!
純な心を持った弱きものの中に、狂気が生まれる
追い込まれ、消化しきれず、疎外感、恐怖、狂気へと
やりきれなさが、虐めを生み、子供世界まで
親の社会的地位を横滑りさせた階級組織が生まれる。
偉い子供は要領を覚える
「こうすればいいんだ」
「こうすれば、許される」
子供はその場を誤魔化し、大人は笑う
特に1980年代以降は夢も希望も無い時代
リスクをどう回避するかが、時代の主流
誤魔化しの勢いは増す一方
その場を何とか誤魔化す
とりあえず、誤魔化す
15で殺人、、下手したら執行猶予
「俺には人権が有るからね、へへへへ」
25で殺人
「まぁ20年~15年かな、、まだOKだ」
「それより、就職もできねぇんだ、暫くは飯の食いッぱぐれは、ねぇぞはははは」
「先ずはだんまりを決めて、世間の同情を得て、大人しく大人しく、、、リスクを減らすことに集中しよう」
表面づらを見抜けない親だらけ
表面づらを見抜けない大人たち
若いから、子供だからと笑って事を済まし
指導教育する責任から逃げる大人たち
こんな連中の集まりが今の日本である
まともな奴は、非常に少ない
必ず崩壊は来る
オリジナリティーもアイデンティティーも
創意工夫も改善も、汗をかく事も忘れた脳!!!
働かない「脳」は消滅へ向う
その崩壊が、天災で来る事を望む
戦争や人の作為などによって崩壊ではなく
自然の大きな力で、公平に潰して欲しい
シヴァ神に祈りを込める
何故神が、バベルの塔を破壊したか痛いほどわかる
何故、原理主義者が崩壊を望むか痛いほど理解できる
何故、神の中に破壊の神が存在するのか、明確に解る
元々日本人は、閉ざされ気味の国や村の社会で、自分達で深く考え、自分達で経験し話し合い、オリジナリティーに富んだ価値観や社会環境、決まりなどを構築していた。
しかし開国がなされカルチャーショックが人心を突いた!
「百姓が国のトップだと?」
「皆平等たと?」
「ブーツ?」
なんじゃそりゃ~~~
有り得ない世界が外に存在すると知った
日本のオリジナリティーの中で、押し込まれていたマイノリティーが立ち上がり、何時しか横展開が大きく波紋を生み、諸外国の外的要因も重なり維新が起きる。
明治の初期中期は混沌とした価値観世界があったように思える
右も左もアカも自由も保守も、様々なものが元気だった。
楽しかったろうなぁ、、
皆で喧嘩しあい、言い合って、いがみ合って
それでも毎日会う。
毎日一緒に飯を食っては喧嘩する。
「なぁにぃ?隣のクソ親父だって?ほっとけ、くたばってしまえばいいんだ、あんな奴は」と言いながら何か実際に有ると、懸命に面倒を見合う。
見事に均衡を保って、自由で平等だ!
当時の白人が「凄い国である」と驚嘆するのは当然だ
自立をして独自の文化を確立し、光と影が、矛盾が矛盾として
キチンとバランスの取れている世界を確立した国が世界に
ましてや、こんなアジアにあったのか?
「やばい、、」白人はそこに結論を見出した。
当然国力は増す!そして戦争へ、、、、。
日本の衰退が始まったと思う。
それは軍国主義とかナショナリズムとは関係ない
日本人一人一人の「欲」
結果を達成するという「欲」に起因する。
目的の為に手段を選ばず、目的の為に生きて、目的を達成できないものは社会からはじかれ、目的主義者以外は非国民として疎外されていく。 --しかし忘れてはいけない、戦争一色に染まった国の中でも、反戦を命を懸けて説いた日本人は居たのである。男も女も、殴られても、疎外されても、警察に拿捕されようが、街で非国民となじられようが、「殺人は、戦争は良くない」と胸を張って生きた日本人が居た事を忘れてはいけない。この時代は、、まだ居たのである。
高度成長時代も同じ。稼げ稼げ稼げ、堕落したものは非国民。誰のお陰で飯が食えてると思っているんだ。誰のお陰でTV、洗濯機、掃除機、炊飯器が我が家に有ると持っているんだ!怒涛の如く言葉や平手打ちが女や子供達を襲う。
それでも物が増え、新しい物に切り替え、生活が便利になり、車が来て活動範囲が広がった。生まれてこの方、隣町が精一杯だったのに、北海道から九州まで、後に沖縄返還、自由為替と移行すれば、ハワイだアメリカだ、どんどん世界が広がり目の前の風景が年々変わっていく。何時しか殴られた痛みは消えていく、、、、。「これでいいんだ」「仕方が無いさ」が、国民一人一人の心中で巨大化する。
お国の為、街の為、家族のため、、、。
「かぁちゃん、せめて雨風防げて、子供達が安心して眠る家を建てような」「せめて皆がのんびりくつろげる広めの家を建てような」「みんなでテレビをのんびり見れる居間が欲しいなぁ」
初めはそんなところから始まった、、、、
それなのに目的主義のデメリットが大きく影を家庭内に落とす。
父ちゃん留守で金をくれればいい
かぁちゃん今日も若いツバメとラブホで決める
子供は冷たい食事で、ゲームを楽しむ
この姿が日本人が求めた世界!
純な心を持った弱きものの中に、狂気が生まれる
追い込まれ、消化しきれず、疎外感、恐怖、狂気へと
やりきれなさが、虐めを生み、子供世界まで
親の社会的地位を横滑りさせた階級組織が生まれる。
偉い子供は要領を覚える
「こうすればいいんだ」
「こうすれば、許される」
子供はその場を誤魔化し、大人は笑う
特に1980年代以降は夢も希望も無い時代
リスクをどう回避するかが、時代の主流
誤魔化しの勢いは増す一方
その場を何とか誤魔化す
とりあえず、誤魔化す
15で殺人、、下手したら執行猶予
「俺には人権が有るからね、へへへへ」
25で殺人
「まぁ20年~15年かな、、まだOKだ」
「それより、就職もできねぇんだ、暫くは飯の食いッぱぐれは、ねぇぞはははは」
「先ずはだんまりを決めて、世間の同情を得て、大人しく大人しく、、、リスクを減らすことに集中しよう」
表面づらを見抜けない親だらけ
表面づらを見抜けない大人たち
若いから、子供だからと笑って事を済まし
指導教育する責任から逃げる大人たち
こんな連中の集まりが今の日本である
まともな奴は、非常に少ない
必ず崩壊は来る
オリジナリティーもアイデンティティーも
創意工夫も改善も、汗をかく事も忘れた脳!!!
働かない「脳」は消滅へ向う
その崩壊が、天災で来る事を望む
戦争や人の作為などによって崩壊ではなく
自然の大きな力で、公平に潰して欲しい
シヴァ神に祈りを込める
何故神が、バベルの塔を破壊したか痛いほどわかる
何故、原理主義者が崩壊を望むか痛いほど理解できる
何故、神の中に破壊の神が存在するのか、明確に解る