通勤電車内でカップヌードル

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最近通勤電車内で食事を取る人がいるらしい

これが問題になっている

しかし、駅弁を売る以上
おでんやカップヌードル
食べる人もでてくるのが普通。


「駅弁は容認できるが、カップヌードル
 おでんは、常識でおかしいだろう!」

と言っても、常識なんてものは
その人のご都合主義で出来ているから
幾らでも反論が出てくる

「駅弁が良くて、カップヌードルが駄目とは差別
 駅弁業者の保護に結びつく!」

なんて反論が聞こえそう



長年日本はこういう会話から先に進まず
停滞期の中にいる

なぜなら独裁を許さないから

交通各社が
「構内で販売しているもの意外は
 原則、飲食禁止」
と強く指針を打ち出して営業すればそれで済む。


勿論反発し客も減るかもしれない
苦情の電話も来るでしょう
そんなもの無視すればいい

企業のポリシーとして打ち出せば事は済む


携帯も然り!



そうせざる負えない背景には
日本が末期的状況にあると言う事だ

子供の教育も家庭内で処理しきれないから
国家が口を出す

学校が自立できないから
PTAへの依存度が高くなる

全ては金だろう

客が減るのが怖い
客が他に流れるのが怖い

医者も教師も介護士も弁護士も
所詮商売でしかない

交通各社も売り上げ減が怖い故に
客に強いことを言えない。
「へ~こらへ~こら、何とか穏便に」


この姿勢が続く以上
日本が救われる事は無い


必ず歪みは大きくなり
問題が深刻化する



骨を折る程度ならいいが
ガンになってたら日本国は消滅だ


電車内でマナーの無い奴は
鉄こん棒でぶっ叩け!
ボコボコニ叩きのめせ!

マナーを判断できないものは
日本人として認めない
抹殺する

人命を商売としか見ていない奴は
日本人として認めない、死刑!

殺人を犯したものは全て死刑!

徹底して恐怖で管理を行えば
直ぐに国家は立ち直る!

餓鬼の言い分なぞ聞いている場合じゃない

国家が危ない

馬鹿は排除しろ
馬鹿は殺せ!



ちょっと想像しただけで解る事
簡単なことだ!

これも人間を管理するには
必要な側面なのである。

これを否定してはいけない


言葉で言って
理屈で言って理解できない者に
どうやって理解をしてもらうのだ
言葉がわからない、理屈が解らない
それは人間じゃない、動物だ
身体に教えつけるしかない
マナーを守らないと痛い目に合う
マナーを考えないと殺されると言う
恐怖が自立心を植えつける

これを否定してはいけない
野蛮とか原始的と否定してはいけない
なぜなら人間は、原始的な側面を兼ね備えた
動物であるからだ


理屈は後からついてくる
精神が成熟し、思考が成長した時に
理解力がついてくる
それまでは、理解力が弱い動物なのだ


非常に単純な話であるが
これを日本人はフタをして
口にすること事態を嫌悪する


馬鹿じゃないの
時代遅れ
勘違いしてんじゃないの
何様のつもり

馬鹿共が騒ぎ始める
弱き羊の群れが一斉に泣き始める
そんな連中は、鉄こん棒持って殴り込めば
一発で黙る、
当然、理解はできない
馬鹿だから!

しかし、10年も経てば
少しずつ理解出来るようになる


今、マナーを大した問題じゃないと
思っている若者も歳を取る
今、ボコボコニ殴られ恨みを持っても
歳を取ったら、その意味がやっと解る


経験者、認識者、お年寄り等と
未経験者、非認識者、若い世代は
分かり合えるほうがおかしいだろう

分かり合えないのが普通なのに
親と子が分かり合おうとしたり
企業の幹部と下っ端が理解しあうつもりで
いるから、根本が狂っている

基本は、分かり合えないのである

60歳の社長の気持を30歳の社員が
理解できると思い込んでいる事が、日本の危機だ!

40歳の親の気持ちを15歳の子供が
理解できると信じていること事態が病気の証拠


企業の存続をお金だと思う奴も
企業の存続は理念だと思う奴も
企業の存続は人材だと思う奴も
様々いて、対立しあい日々争っている
のが一番ベストなバランスにある

家庭も同じ
親の気持ち、子の気持、理性、感情
様々なものがぶつかり合って成立する
30年も家族をしていれば、ある程度落ち着くだろうが
それまでは、家庭内で争いの日々だ、
だから父がいて、母が居て、子がいてバランスを維持する

それをオブラートに包んだような家庭で
まともな人間が育つ訳がなかろう



電車内でカップヌードルを食う食わないは
両方が正論なのである

その両方の正論の内、日本として、企業として
個人として、どっちを選ぶかだけのこと

国家と個人が違うもんを選択したら
個人は国家に合わせなければいけない

企業と個人が違うもんを選んだら
個人は企業にあわせるのが当然である

勿論、そこには非常に危険性をはらんでいる

故に知恵を使うのだ

その大勢を(基本)を維持しながら
危険な方向へ流れ難いシステムを作成する


基本は、国家へ国民が従事する
組織へ個人は、属するのである
親に従うのが子の努め
これが基本である

まぁ企業の場合は、嫌だッたら
辞めればいい。

国も、家庭も、、実は一緒なのだが、、

日本が嫌なら出ればいい
親が嫌いなら棄てればいい

それが出来ないなら
全ての基本に沿って生きていけ


いい加減、企業も理念を意思表示せよ
良い加減、親達も指導者の自覚を持て
いい加減、国も国民の義務を告知せよ
全てを、やんわりとした表現で
何とかその場をやり過ごし、後でなんとか
しようとする、やり方はもう通用しない

臭いものにフタをして済んだ時代ではない

一番意思表示を強く打ち出さねばいけないのは個人である

日本人のDNAが活きているうちに、痛い目を感じないと
本当に日本は消滅する。


ユダヤ人が国家を失ったように
ユダヤの血が入っていると言われている日本人も
国家を失う第二の民になるのだろうか

いよいよ持って
日本人も長い流浪のたびへと発つのか!