環境と人間

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人間が動物である事は誰もが知っているが
認識を深めている人達は少ないだろう



環境に左右され、環境に飲み込まれ


環境を利用していると思い込んでいる
人たちも居るが、殆どの場合、環境に支配されている


日本の犯罪史上、有名な津山事件があるが
あの事件も、日本の村社会での疎外感が
恐怖をあおり、恐怖が狂気に変わり
殺人と言う行為をもたらした、、、と思う。


最近の若い世代の唐突な殺人事件
それも疎外感 そして恐怖 狂気へと行く


津山事件も映画になったが
砂の器なんかも、日本の社会の
冷たさや、環境に支配されている
人間の弱さを浮き彫りにした。


受験戦争に生命を掛けている人たちも
詰まる所同じである

現状の生活維持に懸命になっている人たちも
詰まるところ、同じである


一つの環境の中、一つの価値観を
信じ込み、それに向ってまっしぐら
そのレールから外れたら、死が待っている

受験失敗、出世失敗、、、
恐怖がその家庭を包み込む


どうしても身の回りの方々を
同様のレールに乗っていないと
まずいのだろう、、、、


隣近所が、課長に部長ベンツにBMW、、
我が家は普通でカローラで、納豆定食
と言う訳にはいかないのだろう

隣近所が皆有名大
うちだけは無名の大学って訳には
いかないのだろう、、、。


その環境下にいない人間から見れば
理解に苦しむ価値観なのだが
その中で暮す人間は、死にも直結しかねない
大事な問題なのである


これが日本や、日本人の大きな特徴の一つである

尚且つ定住民族!
土地に生きて、村に生きて
家に生きた民族だから仕方が無い
移住民族の血は流れていない


つまり環境を変える事が
下手なのだ

引越しが出来ない

東京で駄目だったら、別の地方へ
いけばいいじゃないとなれない

この住宅地に居たくなければ
他の住宅地へ移動すればいいじゃない
となれないのである


経済的にどうのこうのと
思うかもしれないが、
やる人間は、やります

やらない人に限って
やらない為の理由を探しまくり
出来ない理由の理論作りに入る


55歳でも転職する人はする
定年間じかに退職し海外へ移住しちゃう人もいる
親を連れて住処を替える人もいる
金が無くても、金に執着心の無い人はいる
有名大にいかなくても賢いやつは賢い

これらの人たちは、海外では普通の人たち
誰でもが普通の生活でやっていること

50歳でフリーターで、画家を夢見ている
お父さんなんか珍しくも無い

40も過ぎて、ジャズマン宜しく
夜な夜なライブをやっている教師も
珍しくも無い

昨日までベンツを乗り回す生活をしてたのに
今日は自転車で野菜売りの行商の家庭
そんなもんも普通の事で、誰も何も感じないし
それが人生だし、それが人間なのだ

だからみんな笑っている

貧しくても、苦しくても
失敗しても、うだつが上がらなくても
笑っているのだ


これが日本では出来ない
聞く所によると、韓国も
似たような環境らしいが、、

まぁ兎に角、日本はレールに乗らないと
疎外感が生じて、恐怖を感じて
慄いて生きている

東京の毎朝の電車の風景は
ぞっとする
同じ顔つき、同じ服装
笑顔を挨拶も無い
無表情で淡々と「俺にかまうな」と
言わんばかりのしかめっ面。

この風景が日本そのものを言い当てている。


全てはこの電車に乗り込む事が
全てなのだ
それに乗りさえすれば一安心

おかしいと言われようが
寂しいと言われようが
みんなの中に入ってしまえば一安心
この世を勝ち取ったかのような視線を
枠外の人間におくる、、、、。

みんなと同じと言う安心感は
勝者へのプライドへと変換される

「えっお宅東大じゃないの?」
「えっお宅のご主人部長になれないの?」
「1000万の車はイイはよねぇ」
「高層階はステキよね」

こんな、勝ち誇った会話が
疎外感を打ち出し、恐怖へと追い込む


これが信じられないことに
海外の日本人コミュニティーまで
持ち込んでいる

大手の社長婦人が、婦人コミュニティー
トップに君臨する
会社組織そのものだ

以前ある国の日本人会の食堂で
婦人会の集まりを見たが
下っ端婦人は、玄関の外で直立で
オエラ婦人が来るまで待っていた
来た瞬間に「お疲れ様です」と
一斉に45度の敬礼をした


さすがに駐在員達もこれには
眉をひそめた

日本人が多く住むコンドにある
公園は、子供の遊ぶ順番がこの
コミュニティーで決められる

つまりこの馬鹿なコミュニティー
入らないと、この公園で子供は遊べない
子供の為に組織に頭を下げる母親は数多くいる
そして、初めは悔し涙を流していた母親も
何時しか、組織の幹部になり、命令を下す側に立つ
そして「これでよかったのよ」「これが日本よ」
と満足した勝者の気持に包みこまれる。


信じられないだろうが事実である

これが日本と言う国を創造している環境だ


勿論、これらのコミュニティーに見向きも
せずに吾が人生を、吾が家庭を築いている
人たちも居るが、当然、、、マイノリティー


百年前の日本は、ちょっと違ったと思うが
確実に戦後の日本はこれで語れる。

同時に海外でマイノリティーの日本人は
外国人のコミュニティーでは普通に生きられる
まともな日本人として受けいれられる
外国が話せれば。

でも国内のマイノリティーの日本人は
何処へ行けばいい???????
不安と恐怖が待っているだけである。