それぞれの息遣い

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オバマ氏が世界に向けて共に行動を起こそうと言う。
よく言うぜ!と冷めた声が飛ぶ。

鳩山氏は高い目標を達成させる意気込みで不退転を働きかける。
解って言ってるのかとなる

弱者を助けよと叫ぶ
弱者の責任は何処にあると跳ね返る

国は保護せよとシュプレヒコール
自由を崩壊させるなとなる

いい文化を残せと怒る
愛情ならば、押し付けは許されるのかとなる


そう、、愛情ならば、、、
いいことならば、、、無理強いは
許されるのか??

強要された側の感情はどうなる
傷付いたものの思いはどうなる


昔もこの様な思いや意見はあった
しかし上からの声は絶対で、、
心は荒んだ時期も傷ついた時もあったが
結局は立ち上がる強さを備えて大人になった


今は、、守られ、、育ってくる
強さは兼ね備えていない、、
モロイ狂気となって肉体だけが育つ


時代だろう、、、
弱くなったものが強くなるには
時間が必要だ
長時間と言う労力が必要だ

一気に畳み込めば、、つぶれる



時代の波は止まらないだろう、、、


世界は弱体化と協調を進める、、、

争いを抑え、、、
進歩と言う歩みは鈍化する

我武者羅に稼いできた反動だろう

生き急いだ人間達の悲しき想いが
今の社会へと導いたのか


協調であり保護では無い、、、

自分の取り分は他人には渡さない
でも弱者には感情移入し共に泣く

出来る奴を「すごい」と感動する
しかし、自分はなりたいとは思わない

他人と自分の境界線を明確にし
テリトリー意識が強まり、、
そこからの進入は強く拒否をする

同時に相手が自分と似たもの同士か
どうかは、大きな問題にはならない
一見寛容には見えるが、、、
寛容とは違う事に気付かない

それは、、責任逃れを含んでいる

巻き込みたくないし巻き込まれたくない
相手がどうなろうとも、、それは相手の
自主性を重んじ、、なるようにしかならない


個人への責任が大きくなる
協調と言う名の我侭さである

他人を背負う力も勇気も無い
干渉しない代わりに干渉してくれるな
勝手に各々の道を行け、、、
それでいいじゃないか、、、


羊達の傲慢である、、、、
群れをなす弱き集団、、、


その苦しみや悲しさが
絶対多数に襲い掛かるまで
皆で渡れば赤信号怖くないの
傲慢さは決して止まらない、、、、

なぜなら多数決だから、、、
その多数決を時代の流れと言う、、、

故にいつの時代も正義や真理はマイノリティーにある


弱者を助けると言う事は
管理下において自分の取り分が減ると言う事だ

自由な言動は、必ず責任を伴う
言いっぱなし、やりっぱなし、、
言ったは良いが、すぐに撤回する
行動はしたが、直ぐに飽きる、、、
それらは、自由とは言わない
身勝手と言うのである

一度口にしたら、責任をとる
そのバックグラウンドがあって
初めて自由な言動が許される、、、


そう、、、
言い換えれば弱者の時代とも言えよう
勇敢さを貫いた結果の弱者ではない

顔色を伺い、、出方を伺い、、
こそこそと紆余曲折する弱者である
それが時代のマジョリティーである

衰退への一途を止められない、、
過半数が痛い目に合うまでは、、、

解っていても止められない、、、


それぞれの息遣いを聞きながら
時代は衰退へと向かい、、、
衰退から蘇生へと転換を行うのか、、、


数百年前の人間達も
同様の事を言っている、、、
いにしえ人は西暦2000年位には
人類消滅と思って居ただろか