涙にならない悲しみ

イメージ 1

どうして人は、上手く情報を処理できないのか?

反対意見、見たことも聞いた事も無い事柄

理不尽、我侭、矛盾や抑圧、、、


これらを人は、はじいてしまう
拒否反応が強く、受け付けない、、
確かに限度はあるが、、


人の数だけ基準値は違う
知っているのに受けつけない


教育の問題だろうか、、


人類が一つになることは不可能だろう
戦争がなくなる事も不可能だろう
人間が生きている限り、、、


しかしそれらに近づく事が
出来るのが人間であるとおもう

人間は8割の悪と1割の善と1割の才能で
構成されている、、、


時に寛容で身勝手
時に優しく冷酷
時に利他主義で利己主義


それが人間である事は
うんざりするくらい知っている

どれだけの命や人生を
犠牲にしてきただろうか、、、


人間は動物であり
足枷が必要な生き物

神にはなりえない、、


恐らく宗教や政治やなんらかの
抑圧が必要不可欠な生き物


自由と束縛
平等と不平等
平和と戦争

それらを上手く使い
人間が自己制御できる
システムを何故考えない


民主主義であり社会主義


社会はトップダウンであり
ボトムアップも必要


何故それが出来ないのか
不思議である、、、


殆どの人間は、、、
「どうでも良いから、平和に暮したい」
が本音だろう、、、それで良いと思う


問題はそれらの人々が、自然に
自己管理がなせるような仕組みを
管理者達は考えればいい、、


最低のリーダーは、私利私欲に
むさぼりつき、国が乱れる

次のレベルは、管理欲と正義感が
強くなり、法や決まりごとで
国民を厳しく監視し国は治まり
統率者は国民から尊敬される

現実はこのレベルまで達していない。

そして最後のレベルは、、、
統率者の存在が民衆の間では
影が薄く、まるで空気のような
存在だが、国々は平和でキチンと
国民が自己管理がなされている
その仕組みを作る事が出来る
管理者が現れるには、、、、、、

段階を踏んでいかなければいけない、、、


レベル2の管理者すら現れていない
現実社会、、、、

有史以来、、、
どれくらいの時間と挑戦と
失敗と命が費やされたろう、、、

たったそれだけが
今も人間は出来ないで
騒いでいる、、、、。



悲しき現実だ、、、、


世の中が変わるわけも無い
会社が変わる訳も無い、、

しかし大きな波が
大きく社会に影響を及ぼす
事も歴史の事実、、

欧州はシステム管理の
重要性を数十年前から
認識し、構築を図っている、、

アメリカはお金による
人間の自然抑制に希望を持っている


日本は、、、
日本は何処へ行こうとしているのか、、

本来日本は共産であり
共に分け合い、和を尊ぶ


いつの間にか自由と言う
切符を手にして、垣根を
破り外の世界に出た、、、


しかし現実、自由と責任の
両方を抱きかかえるほどの
自立心も思考力ももっていない故
社会が乱れ始めた、、、


農耕民族が狩猟民族のように
生きようとしても無理がある、、

憧れる奴は日本を出ればいい
日本は農耕文化であり
それでしか狭い国土の環境下
生き繋いで行く事は出来ない

何故江戸時代は300年も続いたのか?

結局民衆がそれを良しとしたからだ

点で見れば幾らでも不満はあったろう
しかし総論では受け入れていた、、、
ゆえにそれだけ続いたのだろう、、

しかし時代は鎖国、、
情報の流出は今とは違う、、、

情報が流れ始めた時
維新は起きる、、、


その新しき世界へ憧れて
飛び出したはいいけれど、、、
自立心も自制心も弱い民族、、
結局は他国では生きられない、、、。


みんなでそこそこ分け合って、、
皆で創り上げていく世界があっている

較差を嫌い、、、
不公平を嫌い、、、
自己中を嫌い、、、
出る杭を嫌い、、、

ならば答えは見えているだろう


それが日本である、、、

いい加減自分達のスタンスを
DNAレベルで認識を深めた方がいい

一個人の意識で変えられる
ベクトルではない、、、、

これが多くの国民に理解される
と言う事は、、、、

途上国の人々が富をつかみ
先進国が経てきた経験をし
今日、我々が言っていることを
理解できるまで待つのと同じ、、



悲しき現実である、、

転ぶと解っていても
転ぶまで見守る事しか出来ない

失敗すると解っていても
聞く耳を持ってくれない、、、


繰り返しを行うと知っていても
その無駄に身を任せるしかない、、、

本当に悲しき現実である、、、、