感情なのか理性なのか?

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それは不思議なものだ

時に奪い、時に与え、、
時に寛容で時に嫉妬を招く

先日、愛は理性が司るのでは?
というコメントが新聞に載っていた

愛とは感情がメインになるものではなく
慈しまなければ、人として悲しすぎる故に
その人を大事に思う、、、

それが愛の始まりであって、、、
単純に感情がときめいて
愛が始まるというのも、、、
解せないような気がすると、、、


詰まるところ
それは両方のバランスを必要とする

感情もあるし理性で思う所もある

どちらかが優先されるものでもなければ
どちらかが正しいというものでは無いだろう

勿論どちらかだけの愛で生きるのも
その人の選択肢としてあるだろう、、、


人は時に理性的で、時に動物的で
両面を使い分けて生きてる

理性の愛もあれば
感情のみの愛もある
その両方を兼ね備えた愛もある


何故に日本人は型にはめたがる、、

こうでなければいけない
こうあるべきではないか?
この方がより良いのでは無いか?

そうやって常に型にはめようとする



不安なのだろう、、

好きにやればと突き放されるのが
不安なのだろう、、、、、

人との差異がでるが不安なのだろう

常に周りをみて自分の道を確かめて

まるで暗闇を彷徨っているかのように
確かめ合う癖がついている、、、


それを無視し始めると日本の社会では
暮しにくい問題が出てくる、、、

これも教育の賜物か????

もう少し柔軟性や寛容性
自主性といったものを見つめなおせば
良いのに、、、、と良く思う。

それでも変わらぬが社会であり
国家と言うもんだろう、、、、


政治の動きもあるが、、、
どうなる事やら、、、、

党という徒党をくまなければ
活動しにくい環境が問題なのだが、、、

あいも変わらず数の取り合いに翻弄している

党を一切解散し、個の政治家が個で活動できる
環境を作ったらどうなるのか???

今日の賛同者は明日の否定論者になり
収拾がつかなくなり、、政治どころではなくなるか???

ならば民主主義とは、多数決の専制から脱却は出来ないのか??

多数決が民主主義とは思えないが、、、、


戦地で死体を写真に収める気持は理性か感情か?
親が子を叱る時に真剣に感情が高ぶるのは感情のみなのか?

愚問だろう、、、、